映画・歌舞伎

2013年7月20日 (土)

柳影澤蛍火



末は博士か大臣か・・・立身出世は男の野望

なんていうコモンセンスだかコンセンサスだか・・(イッケナイNHKでもないのにカタカナを多用しちゃってるよ
キョービの男子に欠けているのはソレやね。

で、そこいらじゅう見渡しても腑抜けの、上昇志向のない、ちんまりした。
おとなしく、優しく、油っ気のない「をのこ」ばっかりです。

林真理子でなくっても「野心」をすすめたくなりますわ。
青年よ!欲をだせ!

ところが、この「出世欲」正しく出さないとドエライことになる諸刃の剣。なのでございます。

 

と、言うのがこのお話
「柳影澤蛍火」(やなぎかげさわのほたるび)

初演、昭和45年という新作物で、2回めが昭和51年。いずれも実川延若の柳沢吉保。おさめの方は初演・芝翫。2回め・扇雀(当時)だったそうです。

延若この頃、50代前半。油の乗った時期といえます。もしかしたら「延若」ありきで書かれたのかなと思いました。
彼が関西に定着していれば今の関西歌舞伎がもっと重厚になっていたように思いますが残念なことに土俵がなかった。関西そのものに歌舞伎を受け入れる土壌が育っていなかったということです。

話が横道にそれましたが、今回は実に37年ぶり3回目の上演です。

・・・・ということは・・ど素人のおたまでも判りきったこと。
そ~んなに、評判を取ったわけでもなく。良く出来た本でもなかった・・・んじゃね?ってことですわ。

期待(?)どおり、話の展開は冗長で(よく言えば丁寧)華もない。
出世のためのはかりごとの部分は面白かったけど、悪ならワルをとことん描かないと・・・結構、悪を重ねていくのに、サラリとしてて(演者のせいか?)みている方は、最後に毒を盛るおさめの方に肩入れをしなきゃいけないんだろうけど、気持ちがそこまでたどりつけません。
あっそう・・・って感じ。

権謀術数のモロモロをもっとエグく描いて欲しかったわ(あたしゃMか!)
観客に「柳沢サイテー」でも「ちょぴりワカル」・・って思わせて欲しかったわ。

ということで、ストーリー紹介は超ザックリと。

「老中・柳沢吉保。出世物語」 です。

柳沢吉保/橋之助・・出世のためなら女も泣かす。それがどうした文句があるか。のし上っていく野望をもっとギラギラに見せて欲しかったです。

おさめ/福助・・児太郎時代の例えば名月八幡祭の美代吉など美形であるのは申し分なくても、あの・声・・甲高いばっかりの・・が、あまり好きではなかったのですが、今回観た福助は夜の部の土手のお六の伝法さといい、この、おさめの方の娘時代と側室の演じ分け(特に声の)といい、魅力を感じました。
艶やかさは天賦のものでしょう。

桂昌院/秀太郎・・最近観た秀太郎の中で最も気に入りました。色情過多が生臭くって良かったです。嬉しそうに演じておられたのでは?「上り詰めた」代名詞である桂昌院の愚かしさと哀れな結末。
前にも秀太郎のことで書いたとおもうけど、「絶対、いるよねこんな人」と思わせてくれる。今回もそうでした。

 

護持院隆光/扇雀 徳川綱吉/翫雀 お伝の方/孝太郎
 篠原数馬/薪車 成瀬金吾/吉弥 権太夫/亀蔵

そういえば、松嶋屋ファミリーのなかでリン。だけ出ていなかったわ。
謹慎中かしら・・・( ´艸`)プププ

 


 


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2013年7月19日 (金)

カルテット



映画「カルテット」人生のオペラハウス
           
(2012・イギリス)をみてきました。

 

ダスティ・ホフマンが徹子の部屋に出演されていたのを見て、機会があれば観ようと思っていました。彼の初メガホンです。

ストーリーは↓予告編をみていただくとして・・

この映画で最も、感動的だったのは
エンディングロール

映画の最後に流れる、監督・出演者・スタッフ・などが表示されるアレです。

 

イラチのお父さんや、お●っこ我慢してたお兄ちゃんや晩のおかず買うて帰らなあかん・・てなこと考えてるオバチャン達が余韻もヘッチャクレも無く立ち上がり、周りのヒンシュクを買う・・・・アレです。

・・・・・・・

出演者のポートレートと彼らが光り輝いていた若き日の写真が所属または何時の、どんな時かの説明を添えて、並列して表示されます。

1人1人の人生の越し方を観客に想起させる巧い手法です。

この映画に関してだけは、事前に出演者のプロフィールや撮影エピソード・裏ばなし等を知っているほうが面白さが倍になると思います。

実は、あたしが行ったシアターでも支配人が、その辺りをレクチャーしてくれる機会があったのですが、残念ながら都合がつかず、受けることができませんでした。

 

 

全篇に流れる音楽。洒脱な会話。室内の素敵な調度品・・・・

ハリウッドのドンパチ映画には付いていけない中高年のお父さんお母さんにはピッタリの映画です。
落ち着いて観る事ができました。

映画の中で、オペラは今ではお金持ちや一部の人達のものになってしまったけど、実は路上で楽しむ若者のヒップホップと何の違いも無いんだよ
みたいな会話が出てきます。

そうや、そうや、歌舞伎かて、河原でやってたんやもんな・・
明日はその、歌舞伎のハナシをば・・・



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2013年7月 5日 (金)

一條大蔵譚



久々の歌舞伎カテゴリーでございます。
な・なんと今年になって初めてです
お芝居、観てるけど、張り切って書く気が起きなかったのが正直なところです。
おもろなかったから

大阪松竹座七月歌舞伎・夜の部へ行ってまいりました。
「一條大蔵譚」いちじょうおおくらものがたり

このお話は「鬼一法眼三略巻」(きいちほうげんさんりゃくのまきという浄瑠璃の四段目が独立して上演される時に使われる外題です。

常盤御前に秀太郎。鬼次郎に橋之助を従え、我等が仁左衛門さまの大蔵卿でございます。

あたしの世代って「日和見」って言葉にちょっとアレルギーがありますねん。
事態のなりゆきで形勢有利につく。体制にも反体制にも・・・。それまでは傍観者をきめこんで・・。
節操なさすぎ!侮蔑の対象!

なんて。カリカリしてたのは、蒙古斑の残っていた時代の話でね。今や青い正義を振りかざすなんてナンセンスの骨頂やわ。ふ。
ああ、汚れちまったのか、返す刀でばっさりやられたのか・・・おたま。

以上、言うてることわからんやろうけど(ちょっと湧いてます)

独り言でしたぶつぶつぶつ

お話は、日和見・傍観男の物語のようでありますが。
それは、表層だけをなぞるようなもの・・
まあ、おききください。

常盤御前(秀太郎)を平清盛から下賜されたお公家さん・一条大蔵卿(仁左衛)は狂言・今様・曲舞にうつつをぬかすばかりの、三本ほど毛が足らん人やでと噂されている。

あ。常盤さんご存知でしょ。源義朝の元ヨメで、平清盛の元カノ。義経のお母さんです。
清盛はクソ真面目な長男・重盛に「お父さん。それはあかんでしょ。いくら別嬪さんやからと言って敵将の未亡人に手をだしたら何を考えてはりますねん。このどスケベ」と言われたかどうかはしらんけど、常盤を全く差しさわりのない阿呆とうわさの大蔵卿に渡すのです。

あたしね、常盤さんに一度会って話をききたいんだけど、ホンマのところどうなん?あーたの生き方。あーた一番したたかなんと違うの?

・・・・

どうせ。あたしなんかが聞くまでもなく、ここに登場するのが吉岡鬼次郎(橋之助)とお京(孝太郎)という夫婦。
実は源氏再興を願うアッチ系のひとで、常盤の本心を量りにきたのでありました。

芝居のみどころは、

浄瑠璃狂言らしい科白のおもしろさと、二面性。
この二面性の変化について、仁左衛門。客におもねることなく演じておられる。番付で「公家らしい品のある呆け」のようなことを語っておられるが、やりすぎず、客を単純に喜ばせればいいというものではないことを踏まえての演技は、さすがだと思った。

さらに、この二面性。単純に作り阿呆の賢者とはいえない人(生き方)の深さを客に投げかける。
演者が役そのものを冷静に見つめてこそ(役に思い入れをいれず)観る人に訴えかけられるのだと思うし、それが大蔵卿という人物。「冷徹に、自分で決めた生き方を全うしてゆける凄さ」を持つ人物像をくっきりと浮き上がらせる。

演者そのものがその人に思えてしまう。

 

嵐のような時代の変化、権力の推移の中で生きる一人の男。
その生き方は「したたか」であったのか「知恵」であったのか・・
おたまは、この人根っからの平和主義者やったんと違うかなと思いますねん。
政争に巻き込まれず生き延びる手段として呆けに徹する。冷静に世の中を眺めながら・・・それしかなかったんと違うかな。

 

共鳴はしないけどね。

 

 

「桧垣」(序幕)の終盤。鬼次郎を認め、はっとした瞬間。賢者の本性をを瞬間の目の光で見せる、仁左衛門。しびれますわ。
もちろん、この場面、双眼鏡の形が残るくらい眼球に押し当てておりましたですよ。

 

秀太郎の存在感。結構でした。

橋之助・孝太郎夫婦も安定していました。


 


 

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2012年12月 5日 (水)

悼・中村勘三郎

 



ブログを初めて3年が経ち、前回で記事数が777件になりました。

カウントはされているものの、実はこの中に「下書き」のままUPされていない記事が一件あり、それに気がついたのは昨日のことでした。

2011・9・27・19:27
「人情話文七元結」

たぶん、書き始めたものの、どうしても気持ちがすすまなかったものと思われます。
久し振りでみる中村勘三郎の舞台は精気がなかった・・・

 

歳の暮れ。どうやって年を越そうかと相談中の母娘。
これ以上の貧乏はないと思われる長屋に寒風が吹き込む。
そこに、主人である左官屋の長兵衛が博打で負けて身ぐるみ剥がされた姿で戻ってくる・・・・

最初の登場だけで、舞台の空気を作る勘三郎はさすがだと思いました。
しかし、舞台は磐石ではなく、「大丈夫」かなと思わせました。

 

そんな印象から、記事も書けなかったのだと思います。

中村勘三郎というより、ベビーギャングの頃から愛されたカンクロチャンとして「中村勘九郎」という名の方が親しく感じます。
新勘九郎の襲名も見届けられましたが・・

惜しい。

歌舞伎ではこれからという年代に差し掛かったところなのに・・

何でもこなせる器用さゆえに、優等生過ぎると贅沢な「不満」もありましたが、これから、先代勘三郎に負けない味わいを出していく人だと思っていたのに本当にざんねんです。

最後に観た舞台が彼に最も似合う人情噺であったのがせめてもの慰めです。

 

下書きのままだった記事をここに載せて
777回目UPということにしておきましょう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この演目を今は無い道頓堀・中座で見た記憶がありますが番付によれば、そのときのお久は今回と同じ芝のぶになっています。

強い印象として残っているお久は、だからたぶんテレビで見た、平成9年1月歌舞伎座だったのでしょう。

それは、中村勘太郎のお久でした。ちょうど変声期だったのでしょう、年頃も役と同じくらいで、その可憐さ、けなげさが忘れられません。
カンクロチャンは良いお子に恵まれなさったと思ったものでした。

前置きがながくなりましたが、
9月4日、新歌舞伎座・昼の部へ行ってきました。

休演が続いていた勘三郎、久々の舞台でございました。

今月初め(9/4)に新歌舞伎座に行きました。

記事にしておこうとおもいつつ・・・
今日になっちゃた。少しうろ覚え。

しばらく休演していた中村勘三郎の復帰ということで
出し物は「人情噺文七元結」(にんじょうばなしぶんしちもっとい)

年越しもままならない貧乏長屋に、


 


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2012年9月23日 (日)

にあんちゃん



今朝の朝刊「武士のサムライ」に「わたしが愛した日活映画」という読者アンケートのランキングが載っていました。

今年は「日活」の創立100周年だそうです。
皆さまの栄光のベストスリーは何でしょう?

それを見てね、胸がキュッンっとしましてんよ。
・・・第10位に
「にあんちゃん」(今井昌平監督)が入っていたから。

小学校の講堂で見た記憶があります。
教室から椅子を運んでね。パイプ椅子とちがいます。「木の椅子」です。重くってね・・。

お話は九州の炭鉱で働く両親を亡くした幼い兄弟一家の末っ子「末子」さんの日記を元にしたもので、「にあんちゃん」とは二番目の兄さんのことです。

私は小学校の低学年だったと思うけど、何か大泣きしたのを覚えています。
記憶にあるのは、にあんちゃんがどこかのお家に貰われていくのね、そこは(たぶん)お豆腐やさんだったと思うけど、そこにも子供が沢山いて貧しいんです。

裸電球の下でごはんを食べるシーン。辛かった。
にあんちゃんは逃げて兄妹のところに帰ります。
で、まだ子どもなのに東京に働きに行って連れ戻されます。

003_copy

 

戦後十年足らず、国中が貧しかった時代。
その中で幼い兄妹だけで生きていかなければならなかった、その暮らしぶりは現代の人に理解してもらえるでしょうか。

150円ばかりの教科書を買えないのです。
お金を持ってきた人から順に教科書が渡されます。
お弁当を持っていない子はお昼になると運動場に出ているしか仕方がないのです。

そんな暮らしが少し前の日本にあったのです。

子どものころ住んでいた博多は、市内中心部からでも、東の方角にボタ山が見えました。
天神町の交差点に11階建ての「天神ビル」というのが建ちまして、それが、市内で一番高い建物だった頃ですので見通せたのです。

大きくなって、色んなことを知っていく中で、当時どのクラスにも在日韓国朝鮮人の子がいたのはどうしてなんだろ・・って。それは、炭鉱と大きく関係していたんだな・・って。
学校では教わりませんから・・。
そんなことがきっかけで、日本の近代史に興味を持っていくわけですが・・

末子さんも在日韓国人でした。
この世代の方ですから二世です。

大人になってからの友人で二世の人がいますが、知らないことを沢山教えてもらいました。本当に知らないことだらけでした。
友人は頭の良い人だったので、親御さんが学問に力を付けさせます。
日本で生きていくためには「学力」だといって・・

親のいない末子さんや、にあんちゃんはどうだったのでしょう。
ネットで調べてみたら、印税のおかげで、それぞれ早稲田・慶応大学に進まれました。
勉強の好きな人が、勉強を続けることが出来た。
そのことに、少しホッとしました。

今は静かに関東地方でお暮らしのようです。

時代背景や、炭住や、ボタ山を知っているワタクシにとって、忘れられない映画・「にあんちゃん」

ベストテン入りしているのは、それだけ多くの人のこころの名画として記憶に刻まれているのでしょう。

二年前、九州旅行のとき、「あれがボタ山ですよ」と教えられました。
形こそ特徴のある三角形でしたが、緑の草や木に覆われ、私の知っているボタ山ではありませんでした。

 

 「ボタ山にボタの色無くいぼむしり」 おたま
                      (季語・いぼむしり)

 

いぼむしり=かまきり



 

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2012年9月10日 (月)

女暫



大阪松竹座、夜の部
女暫(をんなしばらく)を見てきました。

当月の松竹座は中村勘太郎改め六代目中村勘九郎の襲名披露ということでございまして、病気療養中の五代目勘九郎に代わる父親の務めを果たすにふさわしい「人間国宝」玉三郎さんの華やかな、これぞTHE・ 歌舞伎の舞台でございました。

数多い歌舞伎劇のなかでも、その、ほとんどが男性が主人公。
これを、すぐれた女方が演じたら・・いや、演じてほしい
という、観客の憧憬を形にしたのが
「切られお富」や「女定九郎」・・というふうに、当たり狂言の主人公を「男」から「女」に書き換えられた演目なのです。

逆にいいますと、立役に匹敵するほどの、魅力と芸と貫禄を兼ね備えた、圧倒的な立女方でなければ、勤めることの出来ない演目といえるでしょう。

その時代を代表する女方に邂逅することは、非常にラッキーであるといえるかもしれません。

お話というのはこうです。

いい者と悪い者がいて、悪い者がいい者に理不尽な裁きをしようとするところにスーパースター(巴御前)が

 し~ば~ら~く~

と、ちょっと待ったコールをかけて花道より登場し、やっつける。

ハイ。
話はコレだけのことなんです。

コレが、面白い。
お江戸の顔見世では、毎回毎回登場する定番メニューだったそうです。
登場人物(良いモン・悪いモン)の際立ちキャラがいつもいつもいつもいつも、同じ。
真っ赤な顔の腹出し。鯰と人のハーフ・・・

歌舞伎デザインのすごさを思い知るのも、このお芝居です。

この日はラッキーにも花道横の席でした。
身近で見ると生身の役者さんの息使いも感じられていいもんです。

あと、皆さんのふくらはぎを見て思ったんやけど。
歌舞伎役者ってアスリートなんやね。
筋肉のつき方が美しい。
思わぬ発見でした。

 


 


 

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2012年8月30日 (木)

少年と自転車



映画館で予告編を見て「見て見たい」と思っていた「少年と自転車」[(2011/ベルギー)を見てきました。

たまたま先日、テレビに監督であるダルデンヌ兄弟が出演されていて、この映画は実は日本で聞いたひとつのエピソードがきっかけで制作したという話をされていました。

その話というのは

一人の少年が、来る日も、来る日も、自分の預けられている施設の屋根の上に登って父親を待っているというものです。遠くからやってくる父親がよく見えるように一番高い屋根に登っているのです。

ネタバレ・あらすじはいつものようにやめておきます。

見たいと思ったのは少し変わっているかもしれませんが、少年の物語より、

少年を庇護する、真っ赤な他人であるサマンサという女性がどのように描かれているかに興味をもったからです。

強い女性が出てくる映画が好きです。
サマンサは恋人に自分と男の子のどちらを取るかと迫られ「男の子」と答えます。

それは、彼女の人間愛なのか、母性なのか・・
「あなたの力になりたい・・」
その思いはどこから、生まれてくるのでしょう。

残念ながら、わたしの鑑賞力ではそこまでは分かりませんでしたが。

 

それに比べ、少年の父親は、きわめてあっさりと子を捨てます。

以前このブログにも書いたことがありますが(たぶん、「小高へ~父・島尾敏雄の旅」の読後感だったとおもうけど)

親は子を捨てることができるが、子は親を捨てることができない。
なぜなら、親を捨てることは自分を捨てることだから。

私は、そう思っています。

切なくなるほどの父恋しの思いは少年の父親には通じません。

映画は、実録かと錯覚するほど、真直ぐに自然に、静かに撮られています。
主役の少年だけをストレートにみつめ、一切の誇張がありません。

第64回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品だそうです。


 


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2012年8月 7日 (火)

渡海屋/大物浦



おまた~~~
お待たせいたしました。

って誰も待ってはいないと思うけどね。

 

  「役者の汗拭いて黒衣の畏まる」 おたま
(やくしゃのあせふいてくろこのかしこまる)季語・汗

義経千本桜「渡海屋/大物浦」のつづきです。

壇ノ浦で平家一族が滅んだあと、

戦功第一の人であった源義経は兄・頼朝の不審を買い、都を離れることなるのでございます。
ここら辺の事情は、後白河がテキトーなヤツだったとか、義経も調子こいとったとかいう話をしたら、前回みたいに脱線しまくりますので、端折ります。

義経は大物浦(尼崎市)より九州は大分をめざしますが、大嵐に会い、急遽、逃亡先を吉野に変更することになります。

ここまでは、史実の事実らしいでっせ。うん。

この時の、太陽フェリーでも欠航やな!みたいな大嵐は、壇ノ浦に沈んだ清盛が四男・平知盛の亡霊のしわざでは・・なんてね。どっひゃ~。

たられば・・
は、所詮、ゆめまぼろし・・だから、お芝居になる。

もし平家が負けていなければ・・
知盛が生きていたとしたら・・・

奥さん。知盛さんは生きてはったんやし・・。
大物浦の船宿・渡海屋のご主人がそうらしいよ。
ほんで、奥さんは典侍局(すけのつぼね)。
あの、可愛いお嬢ちゃんは実は男の子。
安徳帝やねんて~~どっひゃ~。

そこへ、飛んで火にいる、義経ご一行。
やったる!いてもうたる!

「こんな、天候。無理やろ」といっていた義経らを、だまくらかして船を出し
幽霊装束に変装し義経に襲い掛かる知盛さん。

が。

ここで、勝ってしまったら、歴史が変わる。
知盛、破れ、碇と共に身を投げ海底に沈むのでありました。

我々(観客)は知盛が既に死者であること、隆盛を極めた平家が滅んだことを知っています。
史実をふまえて観るこのお芝居は「滅び行くものの哀感」を呼び起こさせ、知盛の妖気・凄みがその哀しい魂のしわざであると感じるのです。
それ故に凄絶な最後は、せつせつと、胸にせまってきます。

血みどろの体に大碇を巻きつけ海へ投げ込む。
太い艫綱(ともづな)がするすると海底へ沈んでいく。
その時間の長さは、海の深さだ。
そして、このわずかな後に知盛の体がもんどりうって、絶望の海へ引きずりこまれることを我々(観客)は知っている。

「さらばでござる~」

そう言っているのは、知盛なのか・・・
播磨屋その人が、このまま海底へ沈むような気がして、
劇場内は水を打ったように静まりかえる。

 

いやぁ~。

歌舞伎って、面白いっす。ホンマ。

渡海屋銀平(平知盛)吉右衛門 女房お柳(典侍局)魁春
源義経梅玉  弁慶歌六  相模五郎錦之助
 入江丹蔵歌昇


 


 

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2012年8月 3日 (金)

碇知盛(いかりとももり)



忘れないうちに書いておきましょう。

 「大海へ沈む猛将夏芝居」 おたま
 (たいかいへしずむもうしょうなつしばい)

七月歌舞伎・夜の部渡海屋(とかいや)/大物浦(だいもつうら)」

歌舞伎の人気演目である「源平モノ」のうち「義経千本桜」の中の一部のお芝居です。
一部と言っても、独立した、完成されたお話です。

眼目はなんといっても、主人公・平知盛が大碇を体に巻きつけて海中に消え去る場面でしょう。
それゆえ、この芝居を「碇知盛」いかりとももりといいます。
あたくしは、この演目を見たことがなく、とても楽しみにしていました。

舞台は、現在の尼崎市大物(だいもつ)
そう、「アマ」です。「ガサキ」です。
悲しい色やね。大阪ベイブルースですねん。
いえ、アマは兵庫県ですねん。
でも、市外局番は06ですねん。
中途半端な街。アマ・ガサキ・・・
すっきゃねん・アマガサキ。

 

話は突然かわりますが、
先週のNHK/大河ご覧になりましたか?

清盛(松山ケンイチ)の次男・基盛が川にはまって死んだでしょ。
よう、わからんね。急にあんな話もってきても。
基盛という人は病弱で清盛は確かに彼を可愛がっていたらしい。
平家納経の必然性で、持ち出してきたのでしょうが話が唐突すぎて、分かりにくかったです。

幾度も夢見た即位が叶わず、希望の星、重仁皇子も死んじゃう。そんな、崇徳院の怨霊にしても、リアルを売り物にしてるなら、も少し演出を考えて欲しかったわ。

第一、恨みの矛先は清盛ではなく、パパ鳥羽院や、廃帝させちゃってよ!と強訴した得子さんにでしょう。

あっ。いけない。NHKのこと言ってられないわ。
あたくしの、話もぶちぶち、きれてるわ。

 

もとに、もどしましょう。

 

で、この川にはまった基盛さん。
彼の弟が、何をかくそう・・いや、誰も隠してへんけど

碇・知盛 その人なのであります。
(よかった。話が戻ってきました)

お芝居の状況設定としては、平家は既に壇ノ浦でほろんでおります。
蟹さんに、なったんよ・・かわいそう。

このとき

なんてったって、大活躍の源義経でありましたが、現在は。兄・頼朝の手の者からの、逃亡者の身になっております。

またまた、脱線しますが・・

これ(義経が追われまくってるの)って、みんな、後白河(松田翔太)が悪いのと違いますか!

で、あの人、「悪いことした」って全然、思っていない

 

why? how?   なんでやねん?

 

バカダカラ・・・

「古今未曾有にして、日本中国に例のない愚かな天子」

って、あたしが言うてんのと違いますよ、信西(アベサダオ)が言っています。自分が帝に押し上げたくせにね。だから彼だったのね。
彼に政(まつりごと)ができるわきゃない。
傀儡くんにはうってつけだ。

眼前の保身にのみ右往左往する凡庸の人。
実力のある者の顔色をうかがい、その前では見事に豹変する・・
それでもって、木曽義仲がツオイとみれば、頼朝追討の院宣を発し、義経がツオイとみれば、おべんちゃらを発し。彼が逃亡すると、手のひらを返して、頼朝の意を汲んだ。

そうこうした、「義経追討」なのです。

やっと、やっとでっせ。ここからお芝居の話がはじまります。

ほんまに、前置き長すぎました。
ごめんなさい。

じゃ、明日ね。(明日かいな!)


 


 

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2012年7月24日 (火)

河内山(松江邸)



ハイ。わたくし「波路」(米吉)と申します。

本当は「お藤」っていうんだけどね、「波路」って名で松江藩18万石、江戸屋敷で腰元やってま~す。
実家は上州屋っていう結構デカイ質屋です。

なにも、キャリアを積みたくてお城に奉公にあがったわけじゃないの。
私たちエエとこのお嬢さんにとって「お城ツトメ」はステータス。
お嫁に行くまでにちょっと箔をつけなきゃ・・ってくらいの気持ちだったのよ。

それがさ・・ほら・・
ここの、ぱっぱらぱ~のお殿様・松江出雲守(歌昇)に横恋慕されちゃってね。も~う困ってるわけ。

心配したパパが「娘を家に帰してくれ」っていったら、軟禁されるは、刀はふりまわされるは、も~わけわかんない!

そこで、援助を頼んだのが河内山宗俊(染五郎)という御数寄屋坊主。
ところが、この方の評判がねえ・・・。
ま、一応、大名の横暴に腹を据えかね、世話になっている上州屋への義侠心も、あるには、あるんだろうけど、どうもパパから二百両もせしめたらしいわよ。

 

御数寄屋坊主というのは、江戸城内の茶道一切を取り仕切る役職のことでございまして、ゆうても「幕府直属」の役職やからね、結構、政治力も握っていたみたいですね。

 

(松江邸書院)

で、この茶坊主、河内山が「宮様の使者」に化けて松江邸に乗り込むわけです。
徳川の菩提寺の門主は代々皇室の出で絶大な格式を持っていたそうですよ。
そんな人になりすまし・・

・・・・

好色殿様をだまくらかして娘を奪い返し、そのうえ
「相成るべくば山吹のお茶を一服所望いたす」

なんてね。
大人なあなたなら、お分かりね。山吹のお茶ってキャッシュのことよ!
お殿様のこ乱行を内分にしてあげるからって、ワイロをせしめます。

やった!まんまと成功しちゃった!

 

(玄関先)

ところが、ちょっと待った!の掛け声が。
「とんだ所に北村大膳」
北村さんという、松江藩の重役(吉之助)に呼び止められる。
実はこの人河内山とは顔見知り。の正体バレバレ・・
あっ!北村と(来た)を掛け合わせてあるねんよ。(ついてきてね)
しかし、河内山少しも騒がず。悠然と笑い飛ばして去るのでありました。
何処から来るのかその自信・・・

 

みどころは、河内山という人物像に尽きるやろね。
ほぼ、河内山の一人芝居だから・・。

堂々とした「ワル」の押し出し。豪放ぶり。
といっても、そこはお数寄屋。上品なワルじゃないといけない。
そして、心底には権威(大名家)に向けられた反骨心を持っている。

きのう、このお芝居の初演日を書きましたでしょ。このオハナシは江戸の末期、斜陽の武家社会に対する庶民感情を代弁している。

大名ナンボのもんじゃい!だまくらかせるし、笑い飛ばせる権威ってなーに?
それを、河内山宗俊が芝居で実現してくれた・・。

「馬鹿め」

花道での最後の高笑い。
溜飲の下る思いだったのではないかと思います。

 

で、今回の芝居やけど

染五郎の河内山。スケールの大きさ、風格の点から申せば、やはり物足りない。
東叡山寛永寺の使僧。何事の登場かと、家臣が案ずる緊張感の中の花道の出。
こいつ・・悪いやっちゃで・・という期待感が薄い。
貫禄不足は否めない。

見どころ最大ポイント、
本性を暴露する玄関先の啖呵。
え~~この人、そうやったん?と、

書院での高僧成りすましと、玄関先の伝法の落差がもっと大きいくらいが、ど素人おたまには好みです。
変わり身のメリハリっていうのですかね。
裾前をはだけた瞬間にワクワクさせてくれなきゃ・・
いや。そういう意味でなく、次の啖呵のことです。

ま、ゆうても御数寄屋坊主の品位。あまりにエグイこともできないでしょうがね。

この場面は、正体ばれて、いわゆる捨て身の駆け引きをしていくわけだけど、一か八かの緊迫感があまり感じられなかった。
落ち着き払っても内心ドキドキだったはずじゃないの?コーちゃん(河内山)

 

予定調和はおもしろない。

 

では、次回はもうひとつの「碇知盛」をご案内。
って、また予告してもうた!

天衣粉上野初花・河内山
河内山宗俊・染五郎  松江出雲守・歌昇
宮崎数馬・隼人 腰元波路・米吉 北村大膳・吉之助
高木小佐衛門・錦之助

 


 


 

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