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2025年8月 2日 (土)

五島列島の旅⑬ 潜伏キリシタンと隠れキリシタン



キリシタン洞窟やハリノメンドのある若松島を船窓から眺めながらチャーター船は次の桐港をめざします。
この若松島と中通島(なかどおりじま)に挟まれたリアス式の入り組んだ海路が島めぐりのメインストリートなのでしょうか、福江港や奈留港からのフェリーや高速艇の通り道のようです。右も左も上陸して訪ねたい教会が沢山あるのですが、ここがツアーズの悲しさ。予定通りにしかスケジュールは進みません。
桐港は上五島町の中通島にあり、今夜のお泊りはこの中通島の最南端奈良尾地区にあります
五島の旅の上半分?までやって来たことになります。

五島に行こう!と思ったのは偶然の重なりからでした
滅多に開けない抽斗にしまっていた、赤いロザリオのお導きかもしれません
やっと緑が芽吹き始めた頃、思いがけず連れて行ってもらったのが大阪府下にある「隠れキリシタンの里」でした。
自句自解476に書いています。そのほかにも、本をもらったり・・
ま。アタクシの事情はどうでもいいですね( ´∀` )

Img_8660
(若松島・中ノ浦教会は小さな入り江にありました)

 

「隠れキリシタン」と言う言葉をよく使います
私も秀吉の禁教時代以降に、お上に隠れて信仰を守った人たちの事をそう呼ぶのだと思っていました。
ガイドさんお話によるとこうです。
(聞き違い、私の理解不足等により「それちゃうで!」という部分があるかもしれませんが、出来るだけ記憶通りに記します。学術的に疑問の在る方はゴメンナサイだけどご自分でとことん調べてね)

(キリシタン大名の保護下で)元々みんなキリシタンだった。
(秀吉の元で禁教政策にかわり宣教師たちは追放され大名や武士たちは次々と棄教していった)
禁教時代、民衆レベルでひそかな共同体として信仰を続けた人達を潜伏キリシタンという
(1587年秀吉による伴天連追放令を経て徳川の御世になると政権掌握のため「キリスト教アカン」がより強固なものになります。
各藩の大名たちが信仰+海外交易の興隆で力を増大するのを抑えるためです
棄教改宗させ従わぬ武士が居たら密告させ(スパイ防止法か!)信仰が露見した者には激しい拷問を加え禁教を徹底していったのです。

 

長くなるので続きは次回ね。隠れキリシタンのお話です


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