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2024年1月

2024年1月29日 (月)

自句自解258 絵馬百枚・・



 

   絵馬百枚風に吹かるる探梅行
(えまひゃくまいかぜにふかるる たんばいこう)2023年1月

 

自句自解91 で先輩と探梅行をしたことを書きました
その時にもったいぶっていた(*`艸´)のが上の句です。

外に投句する時は「未発表の句」を。という約束があります。
「発表」とは「活字になったかならないか」ということです。
その中には「ブログへの掲載も含まれる」とするところがあります。

私なんてペイペイのペイのおっぺけぺだから
誰ひとりとして気にもしていないのですが、
ルールは守りたいと思っとります。

この句は去年某所へ出句し採っていただきました\(^o^)/

 

季語・探梅(晩冬)
まだ、雪が残っているような山の中に梅を尋ねることをいいます。
物好きですねえ・・香をたよりに一輪でも見つけられたらどんなにうれしいでしょう。
春のさきがけ、始まりの始まりを見つけるよろこびの季語です

この時は梅の名所のお寺に行きました
たくさんの絵馬が塀のようなところに掛けられていて、畳でいえば4・5枚もあるでしょうか。
そのとき強い風がさ~っとふいて、カラカラカラと音を立て、風が送る順番に絵馬がめくれ上がっていきました。
一瞬の出来事でした。
先輩が「詠まなきゃね!」とにっこりされました。
百枚は数えたわけではありません。そんなにたくさんという意味です。

去年はこの方と宝塚歌劇を観に行ったり、川の見える料理屋さんでお食事をしたりして遊びました。
もう少しあたたかくなったら連絡をとってみませう。

 

てなことで、1月の15件終了です
次回は2月1日(ってもうすぐやん!)更新予定(のつもり)

ほな。


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2022秋

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2024年1月28日 (日)

自句自解257 葱ひいてきます・・



 

   葱引いてきますとしばし待たさるる
 (ねぎひいてきます としばしまたさるる)2014年1月

 

小さな用事で知人宅に寄った。
伝言と預かりものを渡して帰ろうとすると
「ちょっと待ってって」

門を出た正面に自家用の野菜畑がある。
それはそれは立派な葱。両手をとんとんと打ち合わせ、泥を落としてからクルクルと新聞紙に巻いてくれた。
「ごめんね。車汚れるね」とかなんとか言いながら・・

私は車のボンネットを開け、この人の気配りに胸が暖かくなる。
ついでだったから「うん。ええよ」とたのまれただけなのに。

こんなことがよくある
ここに住んでてよかった!
葱もらったからじゃないよ。

 

季語・(三冬)

 

ほな。


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2024年1月27日 (土)

自句自解256 冬日和すずめが・・



 

  冬日和すずめが雀追ひかけて
(ふゆびより すずめがすずめおいかけて)2014年1月

 

今日はいいお天気。大寒過ぎの寒さが続くけど、それでも今日の空の青さは目が醒めるようです。
庭に雀がやってきました。外の空気は刺すように冷たいのに、この明るい冬晴れを嬉しそうにはしゃいでます。

⇑⇑ てな、句意ですねん。
うん。たったそれだけ。それだけやねんよ。

季語・冬日和 は冬晴(ふゆばれ)の傍題になっています。
傍題って言うのはメインから波及したサブテーマみたいなもんかな。「大きくそれも含みますよ」ってこと。
でも、決して=イコールではありません。微妙に違う。

冬晴と冬日和では時間の感覚が違うかなと自分では思ってる
日和のほうがちょっとだけ継続してる。「ハッ」と感じるのではなく「ああ」とか「ふ~ん」とか感じる
冬晴れは透明な美しさがあり、冬日和はホッとするおだやかさがある。
こんな事、よそに行って言うたらあきませんよ。
あたしが勝手に思うてるだけやから・・・

句帳を調べたら、鳥の中で一番多く詠んでるのが雀でした。
一番身近やもんね。可愛いしね。
庭に来るすずめさん。だんだん少なくなってるけど、頑張って生きてね。

 

 

ほな。


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2024年1月26日 (金)

自句自解255 追伸に・・



  

    追伸に蕪のレシピ寒見舞い
(ついしんにかぶらのれしぴ かんみまい)2012年1月

 

止めよう、終わりにしようと思いながら決心がつかないのが年賀状です。
十五年ほど前、ちょうどこのブログを始めた頃
「仕事も社会活動もしていない平凡な未亡人が、なんで120枚も年賀状出してるねん!」とぼやいていたのを覚えています。
それが今年は50枚を切りました。
自分自身は、もうやめたいと思いながら、
「賀状でのご挨拶は今年をもって・・」などとお知らせを受けると
なんか、淋しい気分になるのも事実です。

神奈川に住む京子ちゃんが「年賀状ね。断捨離してん。おたまちゃんには出すよ」といいました。
私は「どうでもいい人」のグループには入っていないそうです。
それも・・どうだかなあ・・
人の「断捨離」かあ・・。さぶい話ではありませんか。

 

短文のラインの言葉は誤解されやすく。変なニュアンスで伝わってしまう事があるようです。
何でも便利で早く済ませなくてもいいですものね。
会えない時はゆっくりとした気持ちで文でもしたためませう。

 

昔、春休みや夏休みになると必ず手紙や葉書をくれる人が二人いました。
一人は女子で「教室で、ろくに話をしたことがないのに、休みになると、おたまちゃんにこうして手紙を出す私って変な子って思ってるでしょ?」と書いてありました。
学校が始まると別に彼女と特段話をするわけでもなく、目があうとニッコリし合う変な仲でした。
もう一人は男子で内容のない中身のカードや葉書をよくくれました。この子とは大人になっても仲良しでした。

ああ。やっぱり「手書き」ていいですよね。

 

季語・寒見舞(晩冬)
寒さの折りに安否を問う見舞い。
歳時記には「旧年中に身内の不幸などで年賀を述べられなかった場合に交わすことが最近では多い」とあります。

蕪(三冬)も季語になっているのですが、この句の場合は「蕪のレシピ」という事で
季重なりはセーフなんだよ。と思ふ

 

 

 

ほな。


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2024年1月25日 (木)

自句自解254 霜柱踏みて・・



 

   霜柱踏みて童のごとくをり
(しもばしらふみて わらべのごとくをり)2011年1月

 

奥様!可愛げのある殿方って「すてき!」って思いません?
どうでもいい?
「可愛げ」が解りにくかったら「いつまでも少年の♡ハートを持った」と言い換えましょうか。
あの、田辺聖子さんも
「男はんは、かいらしい(可愛らしい)のがエエ」と言うてはりました。

あたしのねえ。「すてき!」と思ったお方は、
もう、天国へ行かれましたが、生きておられたら今年100歳ですが
当時80代半ばでしたが・・
少年のようにキラキラした目で、あたしのつまらない話を聞いてくれた方です。
「ホーホー。うん。それでそれで?」

ジャーナリスト出身だから取材能力(聴く力)に長けてはったんやね
いや。それだけではなかったと思う。
ほんとに、かいらし方でした。

 

季語・霜柱(三冬)
こたま(子どもの頃のおたま)時代。霜柱を見つけてはザクザクと踏みつぶしながら登校したものです。
友だちと競争しながら、先に見つけるもんね!
今の、お子はそんな経験ないんだろうね。通学路はすべてが舗装路で霜柱の出来る土や水たまりがない。
そう言えば、長靴を履いて登校する子もいない。
今のシューズは、撥水・防水加工されてるものね。

 

 

ほな。


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2024年1月24日 (水)

自句自解253 喪正月なり・・



 

    喪正月なり満天の星仰ぐ
(もしょうがつなり まんてんのほしあおぐ)2004年1月

 

昨日というか今朝がたというか、素晴らしい星空の夢を見ていました。
うわ~っと声を挙げたくなるほどの星空です。

マーニャ(友人の夢占い師)によれば、夜空に輝く美しい星の夢は「願望成就」だそうです。
大切なこと。もの。に手が届く。

未亡人おたま。どこに願いなどありましょう。望むことなどこれっぽちもありません。
先だっての初句会の時も
 「何ひとつ願い事なき寒さかな」(季語・寒さ)

なんて、句をだして失笑されたばかりでおます。
あーたね。世界平和でも願ってたら?と罵倒されたばかりでおます。

 

季語・正月(新年)
2004年。20年前のお正月は、おばあちゃん(姑)が前年6月に亡くなっていましたので、喪のお正月となりました。
お雑煮くらいは祝ったと思うけど、お飾りも・お屠蘇も・お鏡もないさみしいお正月でした。
それでも、どこかに出かけたのでしょう
暗くなって、家に入るときに見上げた夜空の美しかったこと。
それは、はっきりと覚えています。

昨夜の夢はその時の星空のようでした。
きっと、あたし
高レベルのエネルギーで光りに導かれどっかに行くんやわ!
おばあちゃん(姑)のところ??
いやいや、それはまだエエって!

 

 

ほな。


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2024年1月23日 (火)

自句自解252 榾火爆ぜ・・



 

   榾火爆ぜ三矢の儀式始まれり
(ほだびはぜ さんやのぎしきはじまれり)2020・1月

 

小さな小さな集落で元服(成人)を祝う古い伝統行事があるということで
この年の初吟行として参加しました。
「三矢の儀式」については兵庫県庁のHPにわかりやすい記事が載っていましたので、興味のある方はご覧ください(クリックで記事に移動します)私達が吟行した、まさにその時の記事です。
自然災害のために休止していたものが三年ぶりに復活。とあります。

それにしてもたった15戸の集落で連綿と続く行事を守っておられることに感心します。
該当(新成人)する男子がいないことが例年で、年配のお父さんが「子役」をする
そんな新聞記事を昔読んだことがあります。
この年(2020年)は若い人たちが頑張ってくれて3年ぶりの復活は明るいニュースでした。

そこからコロナウィルスの感染拡大です。
行事はどうなったのでしょう。今年はどうだったのでしょう。

広く明るい田んぼの真ん中で冬の澄み切った青空に放たれる弓矢
子どもの成人を地域の大人たちが祈りを込めて祀る。
いつまでも残って欲しい行事です。

季語・榾火(三冬)
田んぼの数か所で、見学者が暖をとるために焚火を用意して下さっていました。  

榾) 囲炉裏を使う生活では当たり前にあった榾。
原っぱや工場の空き地などではブリキの一斗缶で燃やす風景が懐かしい。

木の幹や株、枝などを何日も乾燥させて使用します。
山深い農村ならではの静かな趣を感じさせる懐かしい季語です

 

ほな。


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2024年1月22日 (月)

自句自解251 初風呂や孫を・・



 

   初風呂や孫を次次丸洗ひ
(はつぶろや まごをつぎつぎまるあらい)2020年1月

 

季語・初風呂(新年)
初風呂(初湯)は新年最初の入浴の事。
歳時記によれば「元日は主婦を休ませるため二日に風呂を沸かす」とあります。
お風呂屋さんも二日が「初湯」だったそうです。
風呂焚きが主婦の重労働だった時代。きょーびの若い方はお判りでしょうか?
このアタクシだって小学生の頃は薪(まき)と石炭で風呂を沸かしておりましたよ。
ふろがまの隣に石炭の入った大きな木箱がありました。

今や人差し指一本でお風呂が沸かせますものね。
一日からお風呂沸かしちゃう。
朝シャンなんて贅沢な事も簡単にできちゃう。

 

孫俳句は避けた方がいいとよく言われますが
「俳句は日記」ですもの、登場しないわけにはいきません。
なるべく「甘く・べたべた」にならないように気をつけます。

次次といっても、二人しかおりません。2020年正月はまだ幼い。
一緒にふろに入ってくれる年齢でした。

次次はあえて漢字にしました。次々ではなく、「次次」
ひとりひとりという意味を込めています。
なんてね。

あたしの夢は介護で孫に丸洗いしてもらう事です
証拠として、恩に着せるためこの句は残しておかねばなりません。

 

 

ほな。


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2024年1月21日 (日)

自句自解250 手土産に佳き名・・



 

  手土産に佳き名の和菓子松の内
(てみやげによきなのわがし まつのうち)2018年1月

 

季語・松の内(新年)
ものの本によると、「松の内」は関東で7日まで、関西で15日までとするのが一般的だそうです。
一週間も違うね。
いつまでも正月気分でグッタラしていたい関西人と気持ち引き締め仕事に励む関東の人の違いやろか?
わがやは11日に松飾を外して燃やすので、だいたいそこらあたりで、正月気分が抜け、
心をあらためて清く正しく美しく生きて行こうと思うのです
ホンマです。信じて下さい。

 

ケーキの類も好きだけど、このお年頃になれば和菓子がよろしおす。


暑い国のお友達滞在中のお茶の時間に「上品な最中と下品な最中どっちがいい?」とたづぬれば
「下品なほうで・・」というご所望だったが
よく見れば「上品さん」のほうが賞味期限が近かったのでそっちにした。
福寿園の初昔(お稽古用)のお抹茶をたてて、頂戴しました。

Japaneseもの何でも手に入る(手作りできる)らしいけど、もなかの皮はないだろう
え~っ!見上げたもんだよ屋根屋のふんどし・・などと優雅におしゃべりしながらいただく。
4倍ほどの大きさの「下品さん」もそれはそれで美味しかった。
どっちも食べたんかい!

佳い・・いい言葉でしょ。
良い・善い・好い・吉い・・のどれでもないのよ
美味しかった。

次男坊殿下の正月帰省の東京土産。
肝心の御銘(菓子の名)わかりまへんがな。
下品にびりびりと包装紙破いて箱つぶしてしまいました。
すまんことどした。

 

 

ほな。


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2024年1月20日 (土)

自句自解249 仏飯を少し・・



  

  仏飯を少し分けやり初雀
(ぶっぱんをすこしわけやり はつすずめ)2006年1月

 

仏壇にお供えするご飯の事を「ぶっぱん」
「お」をつけて「おぶっぱん」
それが訛ったのでしょうか、祖母は「おっぱん」と言っていました。
うちのおじゅっさん(住職)は
「仏さんはご飯の湯気がご馳走だから、お供えして湯気を召上がっていただいたら、すぐに下ろしてきてみんなでいただいたら良い」とおっしゃいます。
それって、愛想なしやと思いません?
いえ、奥様がどうお思いになってもいいのです。大事なのは仏さんですから。
で、わたしはしばし、お供えしたままにします。
そして、すっかり忘れてしまいます。
次にご飯を炊いたとき(大体は翌日です)お仏壇をみて「あちゃ~」と思います。
それでカチコチのご飯を指でほぐして、庭に来る雀さんのために撒いておきます。
量としては、おもちゃの優勝カップみたいな仏具に、おしゃもじの端の端のご飯ををチョコッと乗せたくらいのものです。

 

だから私は決して動物愛護の精神に富んでいるわけではなく
まして、仏さまをいつもいつも大事に思っているわけでもなく
おろそかにしたときは「ここにわたしは居ません」と歌う声が空耳でしょうか、聞こえて来て心が安らぐのです。

そんな人間・妻・ヨメ・子孫なんです。私って!
ウェ~ン(´;ω;`)ウゥゥ

 

季語・初雀(新年)
年が明けたお正月の朝の雀の事。
年中親しくやって来る雀も元旦であれば目出度く思えるものです。

ほな。


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2024年1月19日 (金)

自句自解248 「笑って」と・・



   

  「笑って」と言はれ笑ひぬ初写真
(わらってといわれわらいぬ はつしゃしん)2020年1月

 

季語・初写真(新年)

今では
フィルムが無くても現像所に持って行かなくてもその場で写して、確かめて、取り出せたりお友達に送ったりできる時代ですもの。
愛想もくそもない!
撮りっきりカメラが出たときは「なんて便利な世の中!」と思ったものです。
あれは・・そう綾小路小百合さまがそれなりに写っていらっしゃった・・あのころはもう何年前になるのでしょ。
そのもっと前は、カメラ持ってるのは趣味や興味のある方ばかり
そのもっともっと前はハレの日には写真館に行って写真を撮ってもらった

この「初写真」という季語も「写真を撮る」ということが特別な事だった時代のお話かもしれません。
お正月に親戚が集まった。友人が来た。赤ん坊がやって来た。。
一枚撮っておきますかな? てなもんですわ。
今年初めて撮る写真・・「初写真」は新年の明るく平和な風景の象徴のようです。

 

恥じらいとか遠慮とかと、遠くにいたアタクシは子どもの頃から
集合写真はセンターで仁王立ちするタイプだった。
誰彼に言われたわけではなく、そっと押し出されたわけではなく、そこが自分のポジションだと思ってました。
やな子だねえ・・言われなくてもニコニコ笑ってた。

それが奥様!どうざんしょ。
今では罪人のようにこそこそと人影に隠れる
出来たら写りたくない。もう私の事は忘れて!!
笑え!だと?? なんでやねん!
なーも 可笑しうない っちゅうねん。

人間って変わればかわるもんやねえ・・

 

ほな。


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2024年1月18日 (木)

自句自解247 大的へどよめき・・



  

    大的へどよめき移る弓始
(おおまとへどよめきうつる ゆみはじめ)2020年1月

 

季語・弓始(新年)
歳時記は春・夏・秋・冬のほかに(新年)を加え五つに分類されています。
それだけお正月は特別という事なのでしょう
「弓始」は朝廷の正月行事に起源をさかのぼるそうで、新年に初めて弓を射ること。
夕方のテレビニュースに必ず流れるのが京都の三十三間堂の弓始ですね。
「その年の新成人が一月十五日に行う」と記憶しているのですが
ほら、奥様!ここ数年。成人の日が何月何日なんて、すぐにお分かりになりますか?
しかも大人になったのにお式は遊園地(ひらかたパーク)でやるとか、18歳で行くのか20歳からなのかぜ~~んぜ~~んご存じないでしょ?
世間の流れに、もう、ついて行けない、わからんちんになってしまいました。
そう言えば、三十三間堂の弓始は今年初めて男性も参加!(従来は振り袖姿のお嬢さんだけでした)されたようですよ。


句は2020年に作ったけど、どこにも出していなかったから先年だったかな、某所に出したら好きな先生に思いがけない評価をいただきました。嬉しかった♡
なにも考えずさらっと作った句が採ってもらえるようです。
無欲・無欲だね。

 

ほな。


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2024年1月17日 (水)

自句自解246 懐手の二人・・



  

   懐手の二人ぬた場を眺めたる
(ふところでのふたり ぬたばをながめたる)2020年・1月

 

つくづく、季語に困らないところに住んでいると思います。
だからと言って俳句ができるわけではないけど・・

ぬた場とは蒐場と書きます
イノシシが泥んこ遊びをする水たまりです。
水たまりと言っても四畳半くらいの広さのもあります。
遊んでいるわけではなく、体に寄生している虫を取り除くために泥を塗りつけているのです。
藪から続く獣道の突き当りなどによく見られます。
ここが通学路になっていたりするのですが、地元の子にとれば普通の風景です。

季語・懐手(三冬)
上の句は、恒例の初日の出参拝に墓へ行く道すがらのことでした。
最近では和服をお召しになる男性もほぼ絶滅かとおもいますが、たまたま元旦だったからでしょう。
二人の男性がふところに両手を差し入れて立ち話をされていました。
足許には「ぬた場」
こんな希少な風景を詠んでおかなくてどうする??

2020年。民家のすぐ近くにまでイノシシが出てたのね。
ここ数年で頭数がめっきり減ったと聞いています
先日、暑い国のお友達と食べに行ったお店では「岡山のイノシシ」を使ってるって言ってはりました。
もう、ここイノシシの本場じゃなくなってるのかな。カナシイ。

 

 

ほな。


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2024年1月16日 (火)

自句自解245 子らの来て・・



誕生日には誕生日の俳句を詠んでおきなさい。と言われました。
かつて所属していた結社は「俳句は日記」という考え方で、自分の身ほとりの「モノ」「コト」を丁寧に読むことを教わり
そして直接指導していただいた先生からは「向日性」を大切にと幾度となく言われたものです。
沈む夕日より昇る朝日を詠みなさいって。

よくわかんないけど(先生ゴメンナサイ)その事「向日性」は心にとめている(つもり)

 

   子らの来てしぐれ明るき誕生日
(こらのきてしぐれあかるき たんじょうび)2018・1月

 

季語・時雨(初冬)

「子らの来て」だから(この人)作者は、いつもは子らと離れて暮らしているのでしょう。
「ら」だから一人ではなく複数の人たちがやって来る。
子とその眷属、連れ合いとかその子たちとか。
そこで作者は年配者だとわかる。
静かな暮らしも今日はいつもと違う。なぜならば特別な日。誕生日だから。
突然の天気雨。細い雨脚が雲間から覗く太陽にキラキラと輝きながらふりそそぐ。
冷たいはずの時雨でさえも今日を祝ってくれているようだ。
祝賀を受ける温かな気持ちのような春しぐれの明るさ..

なんてね。
自分の句を人ごとみたいに解説しちゃいました。

今年一年「良い心」で俳句を詠んでいきたいなあと持っています
まあ。そんな日ばっかりじゃないけどね!

 

 

ほな。


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2024年1月15日 (月)

自句自解244 春や春・・



やだわ。
1か月更新しなかったら、御下劣な広告が一杯載ってる
たっぷたっぷ女子の、おいど(尻)の絵柄・・
タップしたらお尻がプルプルしますねん。
よう考えてはるわ~

 感心してる場合と違う!
やめて頂戴。目が腐ります。
せっかく、綺麗なプレゼントをもらったのに・・・

 

   春や春九谷の花鳥たんじやうび
(はるやはるくたにのかちょう たんじょうび)2024・1月

 

年明け早々、見事な三段切れからの陳腐な「春や春」
この一年が思いやられる
(;´д`)トホホ


   誕生日春の絵柄の九谷焼
(たんじょうび はるのえがらのくたにやき)同上

に、しとこかな
どっちもどっち?
さいですか。

・・・・・・・

ご挨拶が後先になり申し訳ございません
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


なかなか更新(ここの事ね)がないのでごくごく一部の方にご心配をおかけしたようで、すまぬことでした。


暑い国から旅人がやってきて、歌ったり踊ったりして暮らしておりました。

旅人滞在中に上記の焼き物が届き、審美眼のないアタクシは何だかんだと文句をいいました。
後で調べたら「絵付けの第一人者」だとか、知りたくない「価格」までわかり
ははは~~~っ!と押しいただいておるわけでございます。
大切にしたいと思います。
持つべきものは孝行息子。

そして、深い反省(値段で態度がガラッと変わるところが)
(その前にせっかくの「お気持ち」をググっちゃって調べるところが)


ほんま。サイテーや自分。トンデモナイ人間やで。しかし。
「しかし」というのは(なげきかなしむ)の意をもつ感嘆符みたいなもんです。

 

 

ほな。 明日からブ活動をちゃんとやります(予定)


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