自句自解217 秋光や命綱して・・
秋光や命綱して屋根洗ふ
(しゅうこうや いのちづなしてやねあらう)2014年11月
季語・秋光(三秋)
間違えやすいのだけど「秋の光」の事ではありません。
秋の太陽光線ではなく「秋の景色」全体のことをさします。
秋光=秋の景色です。とりわけ心情的な時、気配や気分が入り込んだ時「秋光」を使うとス・テ・キ♡
とワタクシは教わりました(キッパリ!)持ってる歳時記にもそう書かれています。
重箱スミ子みたいで嫌なんだけど(ウソ!ほんまは好き)先日の新聞の俳壇でエラ~イ先生が「秋の光」として解釈してはりました。
ええんですよ。誰にでも勘違いはおます(と、上から)
ただね、エライセンセイやったら「それもアリね」で、私が誤用したら四方八方から槍や鉄砲が飛んでくるの
なんで?
・・・・・
「柿取りにおいで」といわれていたので朝早く行ったら、職人さんが屋根を洗ってはりました。
屋根に撒く水が朝日に輝いて飛び散っていました。新鮮な空気は今日の秋晴れを予感させます。
気持ちのいい朝の景色でした。
農家の屋根って大きいんです。
元々の茅葺屋根の上から板金(?)金属のカバーを架けてあります。
茅の吹き替えは莫大な費用がかかるので、どこもそんな具合にされています。
当地に来た頃は茅葺のお家もポツポツ残っていましたが、今は自治体が管理する資料館になったり、歴史あるお寺だったり、よほどのお金持ちでないと茅葺屋根の管理は厳しいみたい。
「屋根葺く」「屋根替え」は仲春の季語です
冬の風雪で傷んだ屋根の茅や藁を春のうちにやり替えておきましょう。というのが農村の習いでした。
隣保関係者総出で、葺き替え熟練の親父さんを見よう見まねで若者が技を継いでいく・・それが当たり前だったのでしょうね。
瓦屋根にした農家も多いし、屋根の吹き替えは10年ほど前に見たきりです(隣町で)もう春の風物詩とは言えません。
こうやって、風景は変わっていくし季語は消えていく
この世に普遍なんてないんやわ。瀬戸内寂聴さんもそんなこと言うてはった。
季語は流動的!おおらかにおおらかに。
だからわたしも、「や~いあのセンセ(選者)間違うたはる~」と尻の穴器の小さいことを言ってはダメです。メッ!
ほな。
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しばらくの間、俳句(自句自解)に特化して書きます
自分の覚え書きです。
2022秋
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