« 自句自解142 もう誰も・・ | トップページ | 自句自解144 湯上りの・・ »

2023年6月 5日 (月)

自句自解143 川音の・・



  

    川音の高きに蛍ふえにけり
(かわおとのたかきにほたるふえにけり)2017・6月

 

蛍のシーズンがやってきた。
この町に越してきたおよそ40年前は蛍が珍しくて、嬉しくて町内のあちこちに出かけたものだ。
まだ街灯も少なく車の交通量も少ない川沿いの道は蛍の光を邪魔することなく楽しめた。

田に水が張られるとカエルの大合唱が始まる。
むせるような栗の花の匂い
近くの山でポキポキと折ってきた淡竹と掘りたての新じゃがいもと・・三度豆の炊き合わせ
これらすべてが6月を感じさせてくれた。

何でもかんでも「昔がよかったなあ」って思っちゃいけないのかも知れないけど
新聞に「蛍の名所」なんて紹介されると都会から大勢の人が虫籠を持ってやってきて
「蛍の夕べ」を売りにしている高級料亭は大型掃除機みたいなもので蛍を吸い込んで帰って行った。
住宅が増え、防犯のために街灯がふえ、車のヘッドライトが増えた。
ある年、自治体が「ほたる祭り」などと書いた提灯をぶら下げたが住民の猛反対で撤去された。

蛍の棲む条件が年々厳しくなるけれど
それでも、ジモティの特権で穴場中の穴場は知っている
どんな天気の日によくみられるか
時間帯はどうか、日にちをかけて「ほたる前線」がゆっくり北上する。我々見物人も共に移動する。
気温が高くなると蛍は高く高く舞い上がり、明滅の間隔が短くなる。
地上3メートルの藪の中でクリスマスツリーのように光る。
まるで「蛍川」と呼びたくなる光の帯に出会う位置も承知だ。

 

都会の人がもっとお行儀が良ければ教えてあげるんだけどね。
春になると地元の小学生が長靴で川に入って空き缶やごみを拾っているのを知っていたら捕虫網を振り回したりできないと思うんだけどね。

 

季語・(仲夏)

 


メインブログはhttp://nurebumi-2.cocolog-nifty.com/です。ただいま休止中やけど


こちらは「おたまの未亡人日記」の旧ブログです
しばらくの間、俳句(自句自解)に特化して書きます
自分の覚え書きです。
2022秋

| |

« 自句自解142 もう誰も・・ | トップページ | 自句自解144 湯上りの・・ »

俳句」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 自句自解142 もう誰も・・ | トップページ | 自句自解144 湯上りの・・ »