絶望
十年毎に、たった一時間だけ雨が止む星がある。
その女の子の住む星は毎日毎日雨が降り続く。
だから、辺りはいつも暗く、昼間でも電灯をつけている。
このまえ、雨が止み太陽が顔を出したのは、
女の子が生まれた日だった。
だから、その子は「太陽」をみた記憶がない。
本当に「太陽」ってあるのかしら・・。目がつぶれてしまうくらいのまぶしさっていうけど想像もできない。
今日は女の子の10回目の誕生日。
人々は十年ぶりの太陽を待ちに待っている。
多くの子ども達は初めてみる「太陽」に心を浮き立たせている。
女の子ももちろん皆と同じきもちだ、そのうえ今日は誕生日。
なんて、素敵な日なのでしょう。
ところが、朝の教室で男の子達にいじわるをされた。
男の子達はふざけて女の子を掃除道具を入れる部屋に閉じ込めてしまう。
外から鍵をかけて・・・・
そのうち、雨音が止み、外の空気が暖かくなり、空が明るくなり始める。
「太陽」がでるのだ。
初めて見る太陽に子ども達は夢中になる
閉じ込めた女の子のことなどすっかり忘れて・・・
おたまが子どもの頃に読んだ本の中で主人公の女の子が読む「物語」が上のお話です。
梅雨の季節になると、この話を思い出します。
世界中で一番不幸な女の子。
この局面。
「絶望」という意味をなんとなく知った最初の経験だとおもいます。
| 固定リンク | 0
コメント
お早うさんです!
子供の頃に、読む本にしては結構強烈ですね。
今も昔も、イジメは有り、どっちが陰湿でどっちが陰湿でなかったかは、受ける側の気持ちだと思います。
些細な、ほんの悪戯が、相手にとっては死ぬほどのことになってしまうことを、しっかり教育すべきです。
この日の本の国から、道徳や倫理の教育を止めてしまった日教組や当時の文科省の責任は重いと思います。
今からでも、道徳、倫理をしっかり教育すべきです。
投稿: OJIN | 2013年6月21日 (金) 05時32分
おたまさんてなんて博学なのでしょう!
おたまさんは拒絶するかもしれませんが
これからもおたまさんの記事を楽しみにしています。
あ、ときどき読めないこともあるけれど^^;
おたまさんのブログ、わたしの目標にしてますけど
ぜんぜ~~んスタイルが違うのが悲しいです。
私もたくさん本を読んで、素敵な音楽を聴きますね。
投稿: こごろう | 2013年6月21日 (金) 08時57分
おこちゃまの僕にはわからない文学だなぁ・・・
投稿: poo | 2013年6月21日 (金) 20時40分
タイトルを見て「おやっ?」と思いましたよ。いつものお玉さんの名調子じゃなさそう…と。
筆者を間違えたかと思ったくらい、ココログで私が読んでる風みどりさんの書くようなお話の内容だと思いました。
彼女は物書きです。童話であってもちょっとこわいんです。
私は、絶望といつも戦ってきました。その反対の希望を持ち続けることで。根拠なんかいらないです。魯迅の言った「道」と同じです。
お玉さん、何かに絶望してるんじゃないでしょうね?
投稿: campus cat 55 | 2013年6月22日 (土) 00時19分
OJINさん
誤解を恐れず極論を申し上げると、おたまは国や学校に道徳教育は求めません。
それは家庭や社会の大人が担う分野だと思っています。
学校は「読み・書き・そろばん」の人として生きていく基本をキチンと教えてくれればいい。
もちろん学校は子ども達が読み書きそろばん以外を多く学べる場であるのは当然ですが、それは友達や先生とのかかわりから子ども自身が学びとっていくことです。
過去の歴史を振り返っても国や学校が「心」に踏み込めばそれはファッショにつながります。
子どもは社会を写し取る鏡です。子どもが荒んでいるのは大人社会の荒廃にほかなりません。
ちゃんとしようよ。大人。です。
あ。おたま、日教組の人間ではありません
(^-^;
こごろうさん
こごろうさんに、そう言われると透明人間になってしまいたい気分です。パンツ脱いで・・
ときどき読めないって「広」からINできないってことですか?
このブログの読者は大方がcocolog以外です。外から入ってこられますよ。
pooさん
うんにゃ。POO氏はなんでもわかってるはず。
しかも、この本「小学校高学年向け」やし。
campus cat 55さん
絶望を知らなければ希望は語れません。
強く打ちつけられるほどボールは高く弾みます。
campus cat 55さんが戦ってこられた絶望がご自身にとって価値ある希望になっていると(勝手に)思います。
今のところ、おたまの辞書には「絶望」は載ってないです^^
投稿: おたま | 2013年6月22日 (土) 12時10分