平家栄華の夢の跡②
山田かつて、いまだかつて・・(このくすぐり、古すぎて失敗やったわ)
源氏を題材にしたドラマは多けれど、そういえば平家が主役のドラマって、あまり知らないですよね。あたしだけかなあ。
・・・・・・・
まあね、昨日の入道キャラじゃねえ。
「キヨモリクン」若干、ビジュアル的に難アリだわね。
でも、貴族から武家社会へ移行する、面白い時代だとは思うのです。
神戸が「平家ゆかりの地」として、バタバタとPRしだしたのは、もちろんNHK大河ドラマ「平清盛」によるものですが、遺跡の出た福原などよりも日宋交易の拠点となった南部のほうが、見どころはありそうですよ。
話は、昨日にもどり、海鮮丼を食べた中央卸売り市場ですが、ここの2階テラスに立つと、
う~~むなるほど、
清盛が経ヶ島(築島)を何としても作りたかった、そのわけがわかってきます。
はい。南東のものすごい風なのです。
宋の大きな船を入港させるためには、この強い南東の風、波浪を防ぐ島が必要だったのです。
現場に行って実感するのは楽しいです。
自分がまるで、清盛になった気分。
おたまの、ちゃびんさん。プププ。
築島は三十丁(町)四方といわれています。一丁(町)が110メートルなので・・
・・・・どれくらいかようわかりません。(わからんのかいな!)
けど、山(塩槌山)ひとつ削って埋め立てようか、という話しやからそらぁ、えらいこってすわ。
築造は困難をきわめ・・
だから、この辺りには「工事の成功」「人柱の供養」「海運の安全」などを祈願したお宮やお寺が多く点在しています。
多分、観光MAP片手の方は立ち寄らない(でも、おもしろい)ところばかりを、歩いてきましたですよ。
まずは・・
平家が大輪田の泊の安全を願い安芸より勧請(神様の分身に来ていただくこと)した厳島神社です
市杵嶋姫命をおまつりしてあります
↓ ↓
イツクシマ神社
海難事故を鎮める神様で、ミニチュアだけど厳かで、なかなか良い神社でした。
清盛さんも、ちょくちょくお参りに来はったんやで・・
きっと。
(↓歴史に詳しい方、間違ってたらおせーてね)
清盛は福原に十二年住んだそうです。
最後は、病気になって、上川隆也(平盛国)のとこで死にたいって言わはるねんね。
孤独な清盛にとって、身分は違えど、幼いころから全幅の信頼を寄せてたんやね。最高の参謀だったわけです。
源頼朝をして、「武士の鏡」と言わしめた男。盛国。
彼だけは源氏の手により生かされるわけです。もう74歳やから、恐るるに足らずという意味もあったけど、「武士のシンボル」として生かされる。
でも、彼は屈服しない。へつらわない。
重臣中の重臣。
ま、ゆうたら清盛にとっての「諸葛孔明」
だったのです。
以上、歴史のセンセの受け売りを交え、ご案内しました。
散策はスタートしたばかりですが、なーんか面倒くさくなってきたので、「夢の跡」シリーズは気が向いたらちょくちょく書くことにします。
| 固定リンク | 0
« 平家栄華の夢の跡① | トップページ | 水玉天女 »
コメント
おたまさんの記憶力に脱帽です
投稿: poo | 2012年4月11日 (水) 07時46分
夢の跡シリーズは勉強になりますが、これだけの文章を書くのは大変な事と思います。
しかしおたまさんの文章力が、難しい話を分かりやすく教えてくれます。また機会を見つけて書いてくださいね。待ってます。
投稿: スマイル | 2012年4月11日 (水) 17時33分
pooさん。
山田に食いついていただいたのかしら?ほっ。
帽子はいいけど、服は脱いだらイカンよ。
スマイルさん。
知り合いのセンセについていきましたが、お話が面白くて、興味しんしん。
書くことが山ほどあって、逆に書けない感じです。ぼちぼち、書きますね。
投稿: おたま | 2012年4月12日 (木) 07時29分