訃報欄
芸能人とか、有名な人が亡くなったというニュースって
ある種の感慨をもたらせます。
自分が生きた時代とその人を重ね合わせるねんね。
だから、有名な人の訃報って昔の「はやり歌」を思いがけなく耳にするのに似てるかも知れへんね。
楢崎弥之助氏
福岡の名門修猷館から九大を卒業後、松本治一郎の秘書を経て、1960衆議院に初当選。
日本社会党の元気な時代を担ってきた人だ。
私の子どもだった頃の周囲が特に政治色があったわけでもないけど、
ナラザキヤノスケという名前はよく耳にし、覚えている。
いつまでも、博多訛りの抜けない人って、わたしは無条件に信頼してしまう。
米倉斉加年(ヨネクラマサカネ)さんも、そうやね。
民芸の俳優さん(今は違うかな?)として演出家として、いわば「言葉」を生業にしてきたのにゴッツゥ訛ってはる。
あっ。米倉さんは生きてはります。
ナラザキヤノスケさん。91歳だったそうです。
選挙カーに手を振っていたランドセルのおたま・・。
デイビージョーンズ
も~うっデイビー、なんでそんなに早く死ぬのん!
66歳。心筋梗塞。
「デイドリーム・ビリーバー」だって「モンキーズのテーマ」だって、あの頃の歌は、歌えるぞ!英語の勉強はしなくても、英語の歌詞は一生懸命覚えたなあ。
デイビーを最後に見たのはNHK教育テレビ。
「天才少年ドギーハウザー」に「デイビージョーンズ」の役でゲスト出演してました。
ちなみにこの番組って意外な人がゲストで出てきて楽しかったな。美少年時代のデカプリオとか・・
その時・・1990年代でも、デイビーはまったっくデイビー坊やで、嬉しかった。
・・・・・
何を見ても、何を聞いても、何をしても楽しかったあの頃。
やってくる将来への不安をごまかすように、ゲラゲラ笑ってたteenagerのわたし。
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コメント
各界の名物のような方が亡くなると、自分が子供だったのに、
その頃の声や容貌をはっきり思い出せる。
そんなインパクトの強い方ばかりでした。
世界は大人中心に回っていて、
子供はその周りで大人のまねをして、所得倍増だの、安保反対だのって叫んでた。
今の子ども達の記憶の底に残っていく大人って、いるかしらね。
デイビー…66歳なんて、
モンキーズショー毎週見てた。ビートルズより身近でしたね。
投稿: ばんび | 2012年3月 2日 (金) 14時17分
こんばんはー
米倉斉加年さんの読み方がやっとわかってよかったー^^
なんて読むのかなーってずっと思ってたんです~
忌野清志郎のあの曲がモンキーズのカバーだったと今日のスッキリ!で初めて知りました^^
投稿: si. | 2012年3月 2日 (金) 20時51分
ばんびさん
そうそう。アンポハンタイって言いながら、おしくらまんじゅうして遊びました。
むしろ、今より当時の総理大臣の名前よく知ってるですね。
siさん
清志郎さん、歌ってましたね。
そっかあ。清志郎さんで知ったんだ・・
今のCMでも、よく古い曲が使われていてドキッとすることがありますよ。
誰が、古い女やねん!
あっ。自分で言うてしもた。
投稿: おたま | 2012年3月 3日 (土) 16時56分