2025年8月 2日 (土)

五島列島の旅⑬ 潜伏キリシタンと隠れキリシタン



キリシタン洞窟やハリノメンドのある若松島を船窓から眺めながらチャーター船は次の桐港をめざします。
この若松島と中通島(なかどおりじま)に挟まれたリアス式の入り組んだ海路が島めぐりのメインストリートなのでしょうか、福江港や奈留港からのフェリーや高速艇の通り道のようです。右も左も上陸して訪ねたい教会が沢山あるのですが、ここがツアーズの悲しさ。予定通りにしかスケジュールは進みません。
桐港は上五島町の中通島にあり、今夜のお泊りはこの中通島の最南端奈良尾地区にあります
五島の旅の上半分?までやって来たことになります。

五島に行こう!と思ったのは偶然の重なりからでした
滅多に開けない抽斗にしまっていた、赤いロザリオのお導きかもしれません
やっと緑が芽吹き始めた頃、思いがけず連れて行ってもらったのが大阪府下にある「隠れキリシタンの里」でした。
自句自解476に書いています。そのほかにも、本をもらったり・・
ま。アタクシの事情はどうでもいいですね( ´∀` )

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(若松島・中ノ浦教会は小さな入り江にありました)

 

「隠れキリシタン」と言う言葉をよく使います
私も秀吉の禁教時代以降に、お上に隠れて信仰を守った人たちの事をそう呼ぶのだと思っていました。
ガイドさんお話によるとこうです。
(聞き違い、私の理解不足等により「それちゃうで!」という部分があるかもしれませんが、出来るだけ記憶通りに記します。学術的に疑問の在る方はゴメンナサイだけどご自分でとことん調べてね)

(キリシタン大名の保護下で)元々みんなキリシタンだった。
(秀吉の元で禁教政策にかわり宣教師たちは追放され大名や武士たちは次々と棄教していった)
禁教時代、民衆レベルでひそかな共同体として信仰を続けた人達を潜伏キリシタンという
(1587年秀吉による伴天連追放令を経て徳川の御世になると政権掌握のため「キリスト教アカン」がより強固なものになります。
各藩の大名たちが信仰+海外交易の興隆で力を増大するのを抑えるためです
棄教改宗させ従わぬ武士が居たら密告させ(スパイ防止法か!)信仰が露見した者には激しい拷問を加え禁教を徹底していったのです。

 

長くなるので続きは次回ね。隠れキリシタンのお話です


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2025年7月27日 (日)

五島列島の旅⑫ 美味しかったお食事



旨かもん。美味しかもんの写真をUpしませう
旅の楽しみはその土地ならではのお食事。
これはもう、当たりはずれみたいなものです。だって味の好みは人それぞれですから。
そして全く期待を裏切らなかったのが コチラ ⇓

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先付(8時から時計回り)
ねぎとろ軍艦
鯨ベーコン
焼売
マテ貝酒蒸し
蒸し鶏葱ダレ

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椀物
鯵つみれ汁
海の近くでなければ絶対に味わえないアジ(かけてますよ。ついてきてや)
家で冷凍すり身使って作るのとぜ~んぜん違う

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造り
平政・まぐろ・めじな
いさき・さざえ
ひゃあ。いっさきやわ!と話していたら、係りの人が「こちらでもいっさきと言います」とのこと

 

 

Img_8653蒸物
すずきの葱蒸し
夏のスズキはよく太って美味しい
煮物や椀ではなく
蒸して旬を味わう

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焼物
五島牛ローストビーフ
これは、お決まり!
大変美味しうございます

飯・汁・香の物

甘もの
Img_8656かんころ餅
出てまいりました!最後はコレ
懐かしくて泣きそうです(大層な)
子どもの頃はそんなに美味しいと思わなかったけれど、こういうところに出てくるとメチャ上品で美味しい。
それはアタシが大人になったからなのか??

あたしは(自称)小鳥の胃袋なんだけど
時間をかけてゆっくりと完食しました。とっても美味しかったです
ついでに、胃袋に優しい朝ごはんも載せちゃうよ

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つづく


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2025年7月24日 (木)

五島列島⑪ 江上天主堂~キリシタン洞窟



五輪港を離れたチャーター船は次の目的地
奈留島(なるしま)江上港へと向かいます
この辺りが地理的に五島列島の真ん中あたりです
地図を見てもらえばわかりますが海岸線が非常に複雑に入り組み、それはそれは美しい海の風景を味わう事が出来ます。
その複雑さはいくつもの洞窟を形成し、弾圧から逃れる人々が隠れ住む、生きる場であったことも、意味するのです。

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ガイドさんの生業は幼稚園の先生。大きな声で分かりやすかったです。
潮を知り尽くした船長さんとガイドさんが揺れ具合を前もって教えてくれるのですが、何しろ私もエミリーも山の子なので、ドキドキでした。

ガイドさんの法被には
♪ 五島へ五島へと皆行きたがる
      五島はやさしや土地までも ♪
という五島キリシタン唄が染め抜かれていました
このお話は後日に回して・・

 

奈留島港はターミナルもある大きな港でした
まあ、先ほどの五輪港から来たので余計にそう感じるのかも。

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江上(えがみ)天主堂 1918年(大正7年)竣工

鉄川與助の設計になるこちらの教会も世界遺産要素です。
すでに禁教が解かれた信者の方々の喜びがあふれるようです。
木造瓦葺のロマネスク様式は自分にとってもどこか懐かしく、「天主堂」と掲げられた表札?も既視感がありました。
木造であるという事は「腐食」との戦いです。潮風や山からの雨水に備えるため高床式にし柱等にはベンガラが使用されています。
可愛い白とブルーの外壁のやり替えにも相当な費用が掛かります。信者さんの総力が注がれました。
この入口も神父様が先頭に立ち信者とともに石を敷かれたそうです

内部は素晴らしく、手書きの柱。特に窓に描かれた手書きの花の絵。私には「椿」に見えたのだけど「野茨」だそうです。
残念なことに内部の撮影は禁止でした。

 

船は江上港を出て、前島若松島を巡ります・・
素晴らしい景色です。到着日の長崎は今日も雨だったからの、五島は霧でなんも見えません。が嘘みたい

観光パンフレットに「隠れキリシタン洞窟探検クルーズ」ってあるんだけど、奥様どう思う?
チャラけてるよね。
ブログ(五島列島の旅)で写真UPしてるんだけど、拡大してみてね
イエス様が手を振っていらっしゃるのがお判りでしょうか。

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大きくしてみました。
何度も出てきますが明治初期の五島崩れの際、弾圧から逃れた人々が身を隠した場所です
船でしか絶対に行けない険しい断崖の洞窟です。
3ヵ月(聞き違いだったらご容赦ね)ほど暮らしますが、焚火の煙を見つけられその後の激しい拷問に繋がります。
現在は毎年秋に潜伏者たちの信仰を称えるごミサがここで開かれるそうです。
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ハリノメンド(針の穴)と呼ばれる岩礁
キリシタン洞窟のすぐそばにあり、方向によりキリストの母子像のように見えます
写真ボケボケですみません。

つづく


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2025年7月21日 (月)

五島列島⑩ 旧五輪教会堂



1931年(昭和6年)に島内の浜脇教会が立て替えられることになります。
そして元から建っていた旧教会は老朽化で解体されることになっていたのです。
それが、ここ五輪地区へ移築されたのはこの教会の価値を強く主張された仏教徒の方の助言だったと言います。
五島崩れの殉教のシンボルの地に現在は文化財として保存されるこの教会の歴史的意味を考える時、よくぞ解体されなかったことだと思いました。
この教会へは車で行くことはできません。チャーター船が無事出航出来て見学できたのはラッキーでした。
現在五輪地区には住民が2名。猫が数匹とのことです。
では ご案内いたしましょう(画像はクリックで拡大されます)

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当時の舟大工さんの技術力の高さにおどろかされます。
本物の教会など見たことも触れたこともなかったはずです。

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6人組おばあちゃまのお一人が近づいてきて「貴女、どちらの教会?」と聞かれました。
「私、クリスチャンではないんです」「あらま!」

告解室です。あまりの素朴さに思わず笑みがこぼれてしまいます。

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信者側から見たところ
⇐ ⇐
この手作り感!

懺悔駄々洩れやん!
汚れた私の脳内を見透かしたかのように、おばあちゃまが静かにおっしゃいました。

「そうなのよ!だからね告解のときは他の信者さんたちのお祈りの声が大きくなるの。誰にも聞こえないようにみんなで大きな声でお祈りしたんですって!」

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ブログでちょこっと触れた「教会建築の父・鉄川與助」
この五島の偉大な大工さんを抜きに日本の教会建築史は語れないらしいのですが、與助さんは生涯仏教徒でした

 

つづく


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2025年7月20日 (日)

五島列島⑨ 久賀島(ひさかしま)



黄色いチャーター船でお隣(北西)の久賀島(ひさかしま)へ移動
ここからは(ウチラより)若い女性ガイドさんに交代
この方もキリシタンの子孫ならではの興味深く胸打つガイドをしてくださいました。

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久賀島・五輪(ごりん)港に到着です
オレンジ色の屋根に十字架の教会がみえますでしょ?
その手前にある木造の小さな建物、あれが旧五輪教会堂で、五島に現存する最古の木造建築の教会です
今回の旅で最も印象深く心に残ったのがこの教会でした。

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元々島内の別の地に建てられていたのをこの場所に移築されました
この場所こそ潜伏キリシタンの弾圧の歴史が刻まれた場所なのです
江戸末期~明治。国によるキリシタンの摘発弾圧事件を「崩れ」と称しますが
大きな「五島崩れ」の際、大勢のキリシタンが閉じ込められた民家(牢屋)のあった場所なのです。
時は明治元年。政治が江戸幕府から明治政府に移っていました。
耳をふさぎたくなるよう激しい拷問の内容をガイドさんが淡々と話されます。
生々しく凄まじい内容は子々孫々語りつがれてきたのでしょう。どんな歴史書や文献でも「直接見た、聞いた話」には及ばないです。

明治14年この教会が建てられます。殉教者たちへの遺徳をしのび無念の思いを胸に・・
この地へ移築されたのは昭和6年(1931年)のことでした。
その内部が圧倒される素晴らしさなので、次⑩で写真載せますね

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ちなみに地名の「五輪(ごりん)」ですが
ガイドさんの説明によると、大村藩の外海(そとめ)地域から、この五島列島に移り住んだ五輪一族によるもので
一族の長である家の名を「ごりん」と呼び、他の家々(親族)は「いつわ」と呼びならわしたそうです。
歌手の五輪真弓さんの、ご先祖はこちらの出身で、お父様は教会でオルガンを弾いておられたと伺いました。

つづく


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2025年7月 8日 (火)

五島列島⑧ 福江島



6月中に旅記録済ませる。などと大口叩いたけれど
7月のこんな日になってしまいました。

ほら、いまあっちのブログの更新期間中だから忙しいわけよ(と言い訳)

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翌朝、雨は上がっていました。今日は絶好の島めぐり日和になりそうです
いまどこ?
まだ福江島だよ。昨日はルルドの教会と何も見えない大瀬崎断崖に行ったんだっけ?記憶薄し・・

ここは空港から近い「鬼岳おんだけと読みます。標高315メートルの火山
火山と言っても2500年くらい前から噴火したことはないらしい。
福江島の今も昔も中心地である武家屋敷通りには溶岩で作った石垣・石塀を見ることができ
やっぱり火山なんやと、思いました。鬼だもんね。
この山は草地です。なぜ木が一本も生えていないか。それは木を切ったから
何に使ったか。ガイドさんが説明してくれたけど忘れちゃった。
(私ね旅行中は新聞記者くらいの勢いでφ(..)メモメモをとるんですよ。かつての海外旅行も全部。それが今回はしなかった。
旅をどん欲に楽しむ気が無かったのだと思います。どうせ最後やしとこの時は思っていた)

この日の前半はこの一番目(に着いた)の島「福江島」巡りです

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小高いところに教会が見えてきました。水ノ浦教会
ロマネスク・ゴシック風であり~の、どこか和風建築風が入り交じる

この五島の教会群を語るうえで最大最重要の人物がいます
鉄川與助(てつかわよすけ)彼は船大工であったそうです
教会が建て始められるのはもちろん禁教の解けた明治半ば以降です。まだ島が6つ残っていますのでおいおい紹介していきます。

五島といえば「椿」ですね。
私の好きな吉永小百合さまが一肌お脱ぎになって宣伝大使をされていますのよ。
化粧品のCMに出られるのは実に47年振りですと!
奥様はご自身が(もちろんアタシもだけどね)47年経って使い物になるとお思い?
やはり小百合ちゃんは違います!

福江島を縦断する右も左も椿の森でした。
小百合ちゃんもきれいだけど、日本一と言われる「高浜ビーチ」を見てから
次の島「久賀島」へ移動します。

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チャーター船

で大陸から小瓶流したら五島に着くわよと言っていましたが
日本一のビーチに、もうね色んな漂流物が流れ着いていて悲しい
海洋ゴミについて世界中でもっと学ばなきゃと思いました
みんなの海ですものね。

つづく


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2025年7月 4日 (金)

五島列島⑦ 絶景の断崖絶壁



到着の長崎空港が土砂降りだったことは何度も書いていますが
福江空港ではやや小降りに。
それでも降ってるには違いない。視界悪し
それでも予定は予定で「意地でも」催行される
別に行かんでもエエねんけどな。
連れて行かれた行ったのは

五島随一の絶景を望む断崖絶壁展望所
どこがじゃ~~
ツアー会社は「行った」という事実が大事

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素晴らしいでしょう!!bravo~

めんたまひん剥いてご覧くださいませ。灯台がみえますでしょ?
喜びも悲しみも幾年月」(松竹・1957年 木下恵介監督)のロケ地となったところです。
映画は昭和7年上海事件から昭和20年終戦の、激動の時代を生き抜いた灯台守夫婦のお話です。
映画の中で、夫婦はこの五島・女島に赴任してきます。昭和12年のことでした。

現地ガイドさん(男性)の年齢から計算するとロケ時は小学校に入るか入らないくらい
それでも、主演の高峰秀子さんの美しさは目に焼き付いているそうです。
佐田啓二さんは「フツーやったな」とのこと。

・・・

視界悪し・・しかし親友エミリーのポジティブ発言に救われます
「ここ、絶対きれいやろな~~ずーっと海やで」
そや。島やからな・・」と口答えせずワタクシも心の眼を見開いて素晴らしい景色を堪能しました、

書くこと無いので、ツアー客紹介

(たぶん)ご夫婦カップル✖3=6名
おひとり参加(自称)未亡人 =1名
うちら(熟女)コンビ✖1  =2名
そして不思議なおばあちゃまのグループ=6名

計15名でした。
6人組の大半は杖をお使いでしたが、皆さんとても可愛らしくて、まるで女学生みたいにキャッキャッと楽しんでおられました。
あとでお聞きすると皆さん教会のお仲間で、カトリック関連の遺跡・史跡を巡っておられるそうです。
信者さんらしい熱心な見学態度ににうちら(熟女✖2)の背筋もピーンと伸びました

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今夜の夕食は「とりあえずワイン」この五島の「赤」がとてもおいしくお土産に買って帰られる方も。
あたしは重いのでやめておきました。
お部屋はオーシャンビュー。波音聞きながら寝たのは生まれて初めてかも。
あ。キャンプで1回あるか!

つづく


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2025年7月 2日 (水)

五島列島⑥ ルルドのマリア様



「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたのは2018年(H.30)6月の事でした。
このうち五島列島が構成する遺産群は下記の通り
野埼島の集落跡
頭ヶ島集落
奈留島の江上集落
久賀島の集落
黒島の集落
ブログ⑤の地図を見てね。ここテストにでるよ。

島のいたるところで見ることができる教会群は青い海の景色に映えて美しいです
今の季節、青葉に光る島々を巡る旅は大変すばらしかったです。(到着日の土砂降り以外は)

           

 (ルルドのある井持浦教会)                                                                             
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ここまでの話だとクリスチャンの方が沢山いらっしゃる島だとお思いでしょう?
五島といえばカトリックの島だと・・

ガイドさんが福江島の方なので「福江島」についてなのですが人口37,000人に対してクリスチャンは2800人だそうです。一割にも足らないです。
ちなみに、日本におけるカトリック信者は44万人弱で人口比は0.34%となります
そう考えたら、五島のクリスチャン人口はメチャ多いのですが、1割以下だとは驚きでした。

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奥様!ルルドのマリア様をご存じですか?
ルルドという小さな村の小さな3人の子どもたちの前にマリア様が出現されて奇跡を起こされる話です
あたし、月曜学校で聴く、このお話が大好きでした。いつかアタシの目の前にも。と願っていたけれど、おばさんになったアタシの前に現れたのは「お不動さん」でした。(ま。その話しは置いておいて)
マリア様は泉を噴出させ「行って泉の水を飲み あなた自身を清めなさい」とおっしゃいます。
1858年といいますから江戸時代の終わり頃ですね。マリア様は18回も出現されるのですよ!

こちらは1895(明治28年)に当時の神父様と信者の方たちが石を積んで作られたもので、日本初のルルドだそうです。
年に一度(だったかな)実際のルルド(フランス)からご聖水が運ばれてくるそうですよ。

あたくし、今、ドンジャラホイ(ボーカルレッスン)で
[My Favorite Things ]を練習しています。
私の好きなモノ・・・その中に

Girls in white dresses with blue satin sashes

という歌詞があります
白いドレスに青いサテンの帯の女の子達

いや~~これってルルドに現れたマリア様の衣裳だったのですね

 

つづく


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2025年7月 1日 (火)

五島列島 ⑤やっと旅が始まる



長崎空港から乗り換えるときの保安検査場ではパキパキの九州弁の職員さん
よかねえ。九州男子は。ほんなごつよか。
手荷物、プレゼントしちゃおうかしら。要らんか!

かくして日本最西端の島、五島列島に到着しました。

Goto_islandsここの歴史は古く
どれくらい古いかってね
イザナギ・イザナミの国生み伝説にあるってんですから
もうね・・古いんです。
豊かな漁場であることは地形からも想像できます

大陸からお手紙入りの小瓶流したら、絶対ここに着くわよ
みたいな海流だそうで
平安時代には遣唐使の寄港地にもなったという入り江にも案内してもらいました。
しかし、最澄さんも弘法さんも笹船みたいな船で大変だったでしょうね。
歴史に残らなくても昔々から大陸や南方からの難船が沢山たどり着いては上陸したことでしょう
日本の外交の入口がこの五島にあったことは間違いないです

Goto_islands_nagasaki_jasvg

五島と申しましても、いくら数えても七つ以上あるんです
ホンマは大小合わせて150以上の島があるそうです
「九十九島せんぺい」どころの騒ぎじゃないです

→ピンク色の福江島が一番大きな島で空港はここにあります。

ゆったりと流れる島の暮しは半農半漁が中心ですが、長い歴史の中でも近代において特筆すべき産業として「珊瑚」景気に沸いた時代があったそうです。
実際にあった珊瑚採り船の遭難事故を扱った
新田次郎著「珊瑚」(新潮社
は当時(明治時代)の島の暮しがよく分かると紹介されたので読んでみようと思います。

やって来たぞ~~~ 
これが最後の旅さ(ふっ)
みちのく一人旅じゃなくて西の島ツアー旅
本日のお昼ご飯は、きびなごのから揚げ青さ巻(いみふ)。カツオのお刺身。五島牛のローストビーフ。あと、なんやかんやに五島うどんが付いてました。
あたしが一番感激したのは、「お漬物」
高菜漬けにハリハリ漬けです。
「やっぱここは九州ばい!」

 

つづく

(画像はWikipediaからお借りしました。クリックで拡大します)


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2025年6月29日 (日)

五島列島 ④到着



伊丹空港を朝出発したANA機から長崎空港でさらに小さなプロペラ機に乗り換えます
実は機内でも(長崎で)着陸できるか?みたいな話でした
それくらいの、結構な雨でした。
無事長崎空港を飛び立ち五島の福江空港に到着
飛行機の車輪(?)が地面に着いたときは機内(何人くらい乗ってたんだろう)から小さな歓声と拍手が起きました。
心が汚い私は、(旅行社の添乗員に)もう・・ちゃんと着くやん!大層に冷や冷やさせてからに・・と毒づきました(心の中で)

今回の旅は添乗員と現地ガイドが付きました。
国内旅行にしてはちょっとお高いコースですが(クリスタル♡って言うんだって)
離島で、個人では手配しにくいチャーター船利用で、歴史的色彩の強い場所での現地の人の案内ありなので、仕方ないかなと思いました。
もうね、今年死ぬはずやったんやから、ちょっと張り込みました。
同行のエミリーが、これが最後の旅やね。と何回も言います
あの人、私に何を期待していたんだろ。

Img_8560

福江空港では五島の民芸品「バラモン凧」がお出迎え
バラモンとは「元気者」という意味だそうです
NHKの朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」で全国区になったそうですが、テレビを見ていなかったのでお初にお目にかかりました。
子どもの成長や、魔よけの意味合いがあり、勇ましい武将とどこか沖縄のシーサーに通じるエキゾチックな図柄の融合が独特です。

到着口ではおじさん(後で知るがうちらとご同輩)お迎えに来てくれてはった。
この方がこの日のガイドさんで隠れキリシタンの子孫とのことでした。

 

つづく


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2025年6月25日 (水)

五島列島 ③出発



で、何で五島列島なの?

それにお答えしていたら、また長くなりなかなか飛行機に乗れないので
そのうち、話挟みます。
①のロザリオに関係しているとだけ申しておきます(と大層に引っ張る)

 

出発の前日にエミリーから電話がありました
「ちょっとお~~~梅雨やん!」
そうです。我々は「梅雨」をすっかり忘れていました。だって「いこ!」って決めたのは桜が咲いていた頃です。
ま。エエやん。ちゅうか、しゃあないな・・
二日前には沖縄が梅雨入りしたとのニュースがあり
出発日の九州北部の天気予報は「土砂降り」でした

N1

伊丹発長崎空港行きのプロペラ機です
げ!プロペラ機 
蛇腹の連絡通路で機内に入るのではなく、傘さして歩いてタラップで乗り込みますねん。
by伊丹では、半世紀前の新婚旅行以来です
上空懸念なしに飛ぶ空模様。問題は現地です長崎空港で降りられるかどうか「土砂降り」らしいで・・
Uターンするかも。
実は大変なのは長崎以降でありまして、無事着陸しても次の福江島の空港まで飛んでくれるか(もちろんプロペラ機)
アウトなら長崎市内豪遊やな・・そんなんイヤヤ・・
まあ。交通社の人は最大限の保険を掛けて客に説明するわけです。
(あ。今回の旅は某交通社のツアープランを利用)

わ~わ~言いながら。とにかく飛びます飛びます

 

つづく (やっと出発です。おまっとうさんどした)


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2025年6月24日 (火)

五島列島②



エミリーという友人が居まして、もう長い付き合いなのですが
彼女はけったいな人で(オマユウ?)
54歳の時「私、今年死ぬねん」と言い出しました
しかし(当時)未婚の娘がこの先出産する時は色々手伝ってやりたい、その事だけが心残りや・・と。
ちょっと涙ぐんでいたので、私も「そうなんや~」としみじみしました。

その時私は「私は〇〇歳で死ぬねん」といいました
〇〇は今年の私の年齢です
心にも思っていないのにそう言いました。でもよ~く考えたらず~と心でそう思っていたような気がします
エミリーは「そうなんや~」と言いました

二人とも、どっちもどっちだと思います。

エミリー54歳のその年の秋だったと思うけど彼女が死んだ夢を見ました
夢の中で彼女の娘が電話をしてきます。(たしか婦人科系の病気で)お母さんが亡くなったと。
その時の自分の気持ちを「夢なのに」強烈に覚えています
「ええなぁ。自分だけ楽になって・・そんなんずっこいわ」とすごく腹を立てているのです。

後日、まだ生きている彼女に夢の話をすると
「私死んだんや~」と嬉しそうにうなづきました

 

 

あれから長い年月が経ち、いまだにピンピンしている彼女と今年死ぬことになっている私は旅行をすることになりました。
五島列島です。

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今年に入ってから「もうエエって!」と言いたくなるくらい母と祖母の夢をみました。
あの二人がセットで現れるときはろくなことがありません。
エミリーにいうと「それお迎えに来てはるんやで」
今のうちに旅行しとこ!という事で五島列島です

旅の記録のはずがなかなか現地へ到着しません。

 

つづく


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2025年6月23日 (月)

五島列島の旅①



久しぶりにこちらのブログにやってきました
久しぶり過ぎてログインで もたついた((´・ω・`))

先日の旅の記録を書いておこうかな・・と思います
記録残しておかないと どんどん忘れるお年頃です
まあ、忘れたってどってことないんやけどね

例えばかつて、まめにブログにアップしていた「歌舞伎鑑賞」
コロナ以降も鑑賞していますが、記録がないので記憶が薄れています
それは、アタシの老後生活のクオリティの低下を意味します
ああだ、こうだ。あの役者どんならんなあ・・などと思い出し笑い&思い出し文句タラタラが何よりの楽しみのはずだったのにね。

てなことで、この度の旅の記録も面倒がらずにサクサクと頑張ります
奥様のお目に止まったら幸いでございます

    Img_8740

自分の持ち物で最も「古い」ものです
7歳!(なんと怖ろしい昔)、教会の神父様からいただいたロザリオです
クリスチャンのご夫婦が近所に住む子どもたちを集めて「月曜学校」を開いておられました。
月曜の夜7時から、知らないお姉さんにローマ字を習ったり、紙芝居をみんなでやったり、イエス様やマリア様の話を聞くのです。
月曜だから「月曜学校」
当時、月曜の夜7時からはテレビで中原美紗緒主演の「あんみつ姫」が放映されていました
あんみつ姫も見たいけれど、月曜学校は楽しかった。
ので、たくさんの子どもがやってきていました。
テレビがない家庭も多かったのだと思います。

小さい頃から凝り性だったのでしょう。
私は熱心にそこに通い、日曜日の朝は教会のごミサに通いました
神父様やマドレーに可愛がってもらい、土曜日にはごミサの準備の手伝いに行くようになりました。
月曜学校の優等生と言われた私は16歳になると洗礼を受ける(はず)でした
仏教徒の親は「いいよ」といいました。
しかし、12歳で大阪に引っ越すことになり教会との縁も切れます。

・・・・

旅行記の前書きが「7歳」から始まるとは思わんかった
まあ、こちらはのんびりと徒然に書いていきます。
一応目標は、「6月末で終わる」知らんけど

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つづく


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2024年10月 1日 (火)

ごあいさつ

 

 

引っ越しました
自句自解379~はこちらでお読み頂ければ幸いです。
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  ココ⇒⇒おたまの未亡人日記Ⅱ

                  2024年10月1日

 

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2024年9月15日 (日)

自句自解378 とおすみに小流れ・・



     

   とおすみに小流れの音途切れたる
(とおすみに こながれのおととぎれたる)2016・9月

 

季語・蜻蛉/とんぼ(三秋)

とおすみ」は灯心蜻蛉(トウシントンボ)のことです
手持ちの歳時記に「とおすみ」という傍題はないが、当時,選をして下さった先生は野山の草や虫にものすご~くうるさい造詣の深い方だったので、季語として「通用した」と思っています。地方の言葉として受け取って頂いたのかもしれない。

ネットで調べたら、灯心蜻蛉=糸トンボ となっているんだけど
感覚として、ちょっとチャウわ。
糸トンボは糸トンボ。とおすみは、とおすみです。
敢ていうなら,クロイトトンボ??いや、やっぱりチャウ。

 

小さな流れに沿って歩いていました。きれいな流れ。この先ずっとずっと山の上は〇川の源流です。
「あっ!とおすみ!」誰かが声をあげました。
だれもが、静かに彼?彼女?が止まるのを待ちます。
期待通り何かの葉先に止まりました。
漆黒の羽根を折りたたみ真っ直ぐ一直線に伸びた姿を見せてくれました。
「おお!美しい」息を止めて見つめました。
先ほどまで聞こえていたせせらぎの音が消えた一瞬でした。

 

次回更新は10月1日です
ほな

 

≪お知らせ≫
来月以降この『自句自解』はメインブログで書くつもりです。
理由は、こちらの広告表示がエグイからです。
俳句に特化して書きたいとこちらの場所を使いましたが
広告の件に加えて、もうあちらで日常生活のブログはやらんやろ!と思ったからです。

来月、ここに居なかったら、あっちに行ってると思うので遊びに来てね
いつもアタクシの、独りよがりなヘボ俳句にお付き合い下さって感謝しております。エヘ。


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2022秋

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2024年9月14日 (土)

自句自解377 桔梗を揺らす・・



  

   桔梗を揺らす庵主のもんぺかな
(きちこうをゆらす あんじゅのもんぺかな)2015/8月 

 

お寺を維持管理していくのは大変な事らしい。
多くの檀家さんをお持ちのところでも、檀家自体が墓じまいをして、寺離れしていく昨今ですもの。

気になっているお寺があり、そこは庵主さんが一人で守っておられます。
立派な石庭があり、春の桜・こぶしに始まる四季折々のお庭は、尼寺ならではの柔らかさがあり、時期になると新聞の地方欄で紹介されています。
でも、あとあとどうされるんだろうと、少し心配。
もう80代半ばに入られたと聞きました。
父であった前住職から引き継いだこのお寺をずっと守って来られました。独身です。

 

実は、我が家のお寺さんのことも少し心配。
先代の「おおおじゅっさん」から40年以上のおつきあいです。
「若々しくてきれいな息子さんやなあ」とおばあちゃん(姑)が褒めていた今の住職も、アタシより(ちょっと)年上なので相当なお歳。
お子さんである寺の後継者が急な病で亡くなられたのはもう10年前です。
「おじゅっさん(住職)大丈夫?」
「うん。まだ(お経の)声でてはる」
「立つとき、ちょっとよろけはるけど、まだイケる」
というのが我が家のひそひそ話

まあ。先の事はその時その時で進むしかないわね

 

季語・桔梗/ききょう。きちかう/きちこうとも呼ぶ (初秋)  

 

 

ほな


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2024年9月13日 (金)

自句自解376 依代の幣・・



    

   依代の幣真白なる秋の風
(よりしろのぬさましろなる あきのかぜ)2020・9月

 

季語・秋の風(三秋)

依代(よりしろ)とは神霊が寄り付くものをいいます。
神様は姿かたちがないので(見えないので)自然石や樹木、あるいは山そのものなどの物に寄りついて姿を示される。
お宮のご神体やお守りなども依代といえるのかな。

幣(ぬさ)とは御幣(ごへい)のこと。
これは貴重なモノなのですよ。という印に清められ払われた幣が神前に供えられる

奥様。紙垂(しで)ってご存知?
しめ縄や幣串などに使われる白い紙でできた、あのピラピラしたもの。
わたしね。この句を出す時、
「幣(ぬさ)ましろ」にするか「紙垂(しで)ましろ」にするかで相当迷いました。
迷いに迷って、結局わけわかんなくなって「幣」にしていたみたいです(以上、打ち明けられたところで奥様にご興味はないでしょうが)

 

取合せも「秋の風」にするか「秋の蝉」にするかで物凄く迷いました。
丁度、夏の盛りを過ぎた蝉がしきりに鳴いていたんです。
でもね、この時みた依代は「巨石」です。
だれだって、岩にしみいる蝉の声 を連想するんじゃないかなあと思いました(考えすぎ?)
なんか、嫌じゃない?腕ないくせに技巧に走ったみたいで。

 

素直にさらりと、「秋の風」にしました。
思いがけなく、ほんまに偶然に、幣の「白」と秋=「白秋」が響き合ったのでした。

Img_6649
God helps those who help themselves.

神は自ら助くる者を助く ですわ。
迷うた甲斐があったというもんです。

やったね。おたまちゃん。

 

 

 

 


たまらんな!コイツの自己満足!ええ加減におし!
と思われた方は♡マークのいいねボタンを押して帰って下さい。(おしと押し掛けてみました)

ほな


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2024年9月12日 (木)

自句自解375 蟷螂の向かうて・・



  

   蟷螂の向かうて来たる何事ぞ
(とうろうの むこうてきたるなにごとぞ)2020・9月  

 

季語・蟷螂(三秋)
カマキリには色々な呼び名があります
釜切・いぼむしり・いぼ尻・拝み太郎・祈り虫・・・そして蟷螂 

目と目が合っただけで釜を振り上げて向かってくる様子は
まさに893やん。
そっちがその気ならあたしだって負けてはいない
「上等やん。かかって来んかい!」という気になる
とは言え、あたくし、カマキリは意外と好き♡
カマキリの句を結構作っています。

小さな逆三角形の顔に大きな目。くびれたウェストにしずくのようなしもぶくれのヒップ。
ギザギザの長い手足。振り上げた上肢の先の先まで美しい緑色です。
交尾後、メスはオスを食い殺す食べちゃう
ひゅーひゅー。ええぞ。ええぞ。
一番気に入っているのは、そこの所かも知れない。

K

 

ほな


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2024年9月11日 (水)

自句自解374 色無き風過ぐ・・



    

    色無き風過ぐ貨物列車過ぐる
(いろなきかぜすぐ かもつれっしゃすぐる)2022・9月

 

季語・色無き風(三秋)
大気が澄み渡る秋。聞こえるともなき風音とともに、どこかから吹いてくる風は何も纏わない無色透明。
静かで悲しく寂しく、きれいな秋の風は心にしみわたる。

いやはや、奥様!
「色無き風」どないおもわはります?
色のついた風があるなら持ってこい!とナツイせんせならおっしゃるかしら
季語は美しい日本語。
難しそうだけど一度は作ってみたいじゃない?

上の句を作ったのは弥生人の住居跡が公園に整備されたところ。広い原っぱの遠くにはJRと私鉄の線路が走っています。
最初の「過ぐ」は自動詞下二段活用。最後はその体言止めにしました。
並列の作り方が作為的かなとおもっています。
and の気持ちを入れて「風すぐ」と連体形にしました。
イマイチや・・わかっておりまっ!

 

 貨物列車過る色無き風の中
(かもつれっしゃよぎる いろなきかぜのなか)

こちらなら、大きな世界(風の中)中を列車が通り過ぎるという意味になります
この場合「過る」(よぎる)」と読みます。
色無き風を抜ける、無機質な列車が起こす風。
こちらの方がくせがないですか?(知らんがなとか言わず、地獄までついてきてくれい)

ちょっといやらしい気持ちをだした(そしてこけた)のが最初の句です

 

 弥生人色無き風に佇めり
(やよいじん いりなきかぜにたたずめり)

「弥生人」が唐突ですね
俳句の現場にいないとわからないよね。
ええんとちゃう? いややっぱり訳わからんなあ・・

こんなふうに、「色無き風」がうまく使えず今年も秋風がふく季節がやってきました。

 

ほな


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2024年9月10日 (火)

自句自解373 一斉メール今宵・・



    

   一斉メール今宵の月を待ちゐたり
(いっせいめーる こよいのつきをまちいたり)2023・9月

 

暦の上では今年の仲秋の名月(十五夜)は9月17日
ちなみにこの日は「一粒万倍日」であります
一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)とは、様々な歴註のひとつ。

手元の暦によりますれば
「一粒のモミが万倍に実る稲穂になるという吉日で、この日に事を始めるには良い日」
とあります。
最近、宝くじ売り場に「今日は一粒万倍日」という垂れ幕をよく見かけます。この日に買えば当たるのかなあ
お財布をこの日に買ったらいいんだって!とか
満月に向かってお財布の口をパカパカしたらお金がいっぱい入ってくるんだって!とか

ほんまに実行する人が居るかどうかは知らないけれど
「人間だもの」といふ「みつを」カレンダーを思い出し
「人間っていいなあ」という日本昔話のテーマソングを口ずさんでしまいます

私?やらねえよ!!

まさに絶好のチャンス!
夢見がちな奥様は月に願いをパカパカとおかけあせばしませ。

 

季語・(三秋)

お月さまは年がら年中、お空にいらっしゃるのだけれども
俳句で「月」といえば「秋の月」を指します。

「今日は満月だよ。お月さま見てね」
と、グループLINEが入ります。
グループ外の友人からも、「お月さま綺麗よ。みてみて」とメール

どこかでパカパカと音がする・・・

 

 

ほな


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2024年9月 9日 (月)

自句自解372 仏前に横座り・・



  

   仏前に横座りして夜のぶだう
(ぶつぜんによこずわりして よのぶどう)2020・9月  

 

夏の馬鹿野郎~~~
と天に向かって悪態をついておりましたその「夏」も
な~んとなく移ろい始めました。
うんうんそんな気配がございます。
(ゆうても、日中は暑いです。昨日なんて35℃!)

されど、夜ともなれば気温差激しい我がエリア(山間部)
夜中のオートバイは半袖はムリ!
とご近所のお兄ちゃんが言うてます

そんなこんな季節の一句です。

お昼間の汗を熱めのお風呂でさっぱりと洗い流して
腰に手を当てヤクルトを飲む。
あ。そやそや (Oh Yeah!)
葡萄、冷やしてたわ(うぷ)

「ひっちゃん=ほとけさん に」と頂いたのに、即、冷蔵庫に入れるとは端からお供えする気はサラサラ・・
いやいや、そんなことはないんですよ。

で、仏壇の前でみせびらかして共にいただくことになりました。
「1粒・・2粒‥3粒・・」
播州皿屋敷かっ!イヤ、アレは「一枚・・二枚・・」です

 

季語・葡萄/ぶだう(仲秋)

 

ほな


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2024年9月 8日 (日)

自句自解371 秋めくや瓶回収の・・



    

   秋めくや瓶回収のオルゴール
(あきめくや びんかいしゅうのおるごーる)2018・9月  

 

ゴミ収集車がやって来る。
お馴染みのメロディを鳴らしながら

そこに感じたのは「秋」
瓶とビンが触れ合う音のせいか・・
収集車から流れる音楽が「赤とんぼ」のせいなのか・・
今朝の空がずいぶん高く思える

季語・秋めく(初秋)

 

何ですってね奥様。
全国のごみ収集車で使用されているオルゴールのメロディ
「赤とんぼ」がダントツの一位だそうです。
アタクシも家庭をもちまして三つ自治体に住みましたが全部「赤とんぼ」でした。
なんでや~????

チコちゃんなら知ってるかな?
チコちゃんに叱られる前にググってみますれば なんと!
「赤とんぼ」多い説の、そして「最近(と言っても数年前)音変わった?」というアタクシの疑問にまつわる
へ~そうなんだ・・という答えが見つかりました。
(この案件、すでにチコちゃんでヤッタっぽいけど、やってないと信じて奥様にお教えします)

ざっくりですが
オルゴールアンプの装置を製造している会社のお話では
製造当時、事情により(技術的にか金額的にかわかんないんだけど)提供できる曲が8曲だったんだって!
それで顧客(ほぼ自治体よね)にその中の1曲を選んでもらった。
「五木の子守歌」「おさるのかごや」「エリーゼのために」「乙女の祈り」「故郷の空」「おうま」「草競馬」そして「赤とんぼ」
なかでも「赤とんぼが」一番人気だった。 ということだそうです。
それで、春夏秋冬を問わず誰もが「季節外れだ」と文句も言わず街中に流れているというわけです。

もう一点。音が変わった?については
「うそやん」「そんなことある?」と私は思うのですがオルゴール協会のかたのお許しを得ていないのでここに記すのはよし子さん(止めておきます)
機械音が電子音に変わったとだけ申し上げます。
当時、あたし、収集のお兄さんに「音かわった?」と質問しましたもん!
それくらい雰囲気が変わった記憶があります。

ほな


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2024年9月 7日 (土)

自句自解370 一番星みて遊船に・・



    

   一番星みて遊船に乗り込みぬ
(いちばんぼしみて ゆうせんにのりこみぬ)2009・9月

 

この時、隣にはAちゃんがいた。
二人とも、あの時あの船に乗ったことは覚えている。
では、他に誰がいたのだろう・・
吟行ではなかった。

俳句の講座を受けに大阪へ出て帰りに偶然目にした「アレ」にな~んとなく「乗ってみようよ」ということになったのではないか。
ならばSちゃんが居たはずで、M子さんもいたかもしれない・・
遠い遠い、夏の終わりの記憶。

季語・遊船(三夏)
川風に涼を求めて船を出し遊び興じることを船遊(ふなあそび)といい夏の季語になっている
その傍題として遊船・遊山船 等がある

船は八軒屋(はちけんや)の船着き場を出て、天満橋をくぐり大川を上る
源八橋を過ぎると桜の宮である
大坂城が見える
「大阪城ですよ。見た?見ましたね!よろしいね」
と言う感じでここでUターン。

大坂城のライトアップより目に付くのは
川に沿って城下の裾にきらめく
桜の宮ラブホテル街のなんとも賑々しい灯りの帯。
大阪に景観条例はないのか!いや裏に回って川から景色見る方がまちごうてる
天下人と庶民の対比で面白いわ。
これは・・俳句にならないわ

といった会話を今、思い出した。
湿気を含んだ川風が身にべたつく夜だったけど、それなりに楽しい思い出です。

ほな


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2024年9月 6日 (金)

自句自解369 竜胆を見せむ・・



     

   竜胆を見せむ柩の小窓開け
(りんどうをみせん ひつぎのこまどあけ)2023・9月 

 

姉のように思っていたS子さんが亡くなって一年になる
家族葬だったけど特別に声を掛けてもらい、お骨上げまで見届け、心行くまでお別れをさせて貰えた。

一年になるのね。
夫さんから電話があり「一周忌法要でお寺にお骨を納めることにしたので、おたまちゃん来てくれるかな」とのこと。
子どもさんのご家族等、お身内数名ばかりの中にまたこっそりと紛れ込む予定。
特に娘さんが「おたまさんに是非とも」と言って下さってるそうで、有難い。



もう一年か・・早いな。

 

季語・竜胆(仲秋)

ほな


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2024年9月 5日 (木)

自句自解368 朝顔の駅舎・・



     

   朝顔の駅舎たれもが顔見知り
(あさがおのえきしゃ たれもがかおみしり)2011・9月

 

呆れるほど長く続くヂモティ(地元友)ばかりの句会で兼題にでたのが「朝顔」
先月の事であります。
朝顔、しばらく見ていないなあ・・・
最近、植えているお家少ないねえ・・

で、しばらくは朝顔談義です。
「あの時の、あそこの朝顔」と話題になったのが⇑⇑⇑上の「朝顔」
吟行で単線のとある終着駅に降り立ちました。
夏の終わりだったか秋の初めだったか早朝の小さな駅舎。
たった一人の駅員さんが朝顔に水遣りをされていました。


もう13年も前の事なのに、皆の記憶に深く刻まれた「朝顔」だったようです。
同じ風景を共に懐かしみ、思いを共有できるのも、古い仲間ならではの事です。

季語・朝顔(初秋)
秋の季語なんですね。
太陽暦の8月8日ころから9月3日ころが(初秋)です。
秋の花と聞けば趣が変わってきます。

 

来年は朝顔の種を撒いてみようかな

ほな


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2024年9月 4日 (水)

自句自解367 夏行くや河原・・



   

   夏行くや河原眞白き鯖街道
(なついくや かわらましろきさばかいどう)2012・9月

 

季語・ゆく夏(晩夏)
季語・夏の果(なつのはて)の傍題として夏終わる・夏の別れ・ゆく夏・夏惜しむ・暮の夏・夏の限り・夏を追う・・があります。
私達(昭和の子)の感覚として「ああ・夏がおわったなあ・・」と思うのは
夏休みが終わって新学期が始まるとき・・社会通念・社会生活のなかの「夏の終わり」であります。
それでもって、空や風や光の強さや自然界の音で「ああ・夏がおわったなあ・・」と感じはじめたのは
やっとやっとこの年齢(四捨五入すると百歳)になってからのような気がします。
「ゆく夏」感覚的には丁度今頃です。

奥様もひとつや二つ、心の中に「好きな街道」をお持ちでしょ?
え?持ってない!あらま。
京の都から若狭へ抜ける(若狭から京へ入る)鯖街道はワタクシの好きな三大街道の一つ(知らんがな。そうでしょうとも)


この時は、奈良東大寺へのお水送りで知られる「鵜の瀬」のあたりに涼を求めに参ったのであります。
なんて雅なおたまちゃん。
クーラーボックスでキンキンに冷やした梨を河原で食べた記憶がございます。
昔の人だったら「瓜」を食べたのよねきっと。

同行者は明星氏。
帰省のたびに「どっか行きたいとこ無い?」と聞いてくれる
そして帰路では「(俳句)できたんかいっ!」と詰め寄る孝行息子でございます。
最近はそれがちょっと・・重い。
ま。贅沢ね。

といふことで⇑⇑の句。季語に何を斡旋しようかとなった時
夏行く とな。
ここは漢字の「行く」やな・・と

ど~~~でもエエこと考えながら生きてまっしゃろ。あたし。

 

ほな


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2024年9月 3日 (火)

自句自解366 秋の蚊を打つや・・



   

   秋の蚊を打つや異郷の枕辺に
(あきのかをうつや いきょうのまくらべに)2019・9月

 

季語・秋の蚊(三秋)
秋の蚊はどことなく影が薄くて、フラフラと飛ぶし・・
だからと言って決して弱々しくないんだなあこれが!
刺されるとやたらかゆい。いつまでもかゆい。
アタシが松尾芭蕉なら「あはれ」を覚えるんだろうけど
そうは、イカの何とかであります。

バチコ~ン!と殺っちゃうよ。
あんた!逃がさへんで!と金鳥の渦巻き線香持って、追いかけ回しちゃるもんね。

 

異郷だから旅先のできごとです。
この年、どこへ行ってたんだろ。

メインブログを見てきます。

ただいま~
「オランダ・ベルギー」に行ってました。
しかも、30回連続で旅行記書いてますわ。マメやなあ・・

いやいや、今となってはよくぞ書き残して置いたものです
コロナ拡大からこっち(海外)旅行には行けていません。
あれが最後やったんかなあ・・


読み返すの楽しいです~~。色んなこと思い出す
思惑通りの、もう十分な老後の楽しみになってるわ。
いや~~~ん。楽しすぎる。あとからゆっくりと読も!!

 

あたし。異郷の地でも残酷な殺戮をやっちゃってたみたいです(うぷ)
蚊さん。ごめんね。ごめんね。ごめんね~~

 

 

人が遊んできた話なんぞ何の興味も関心もないでせうが
もしお暇ならば(クリックで拡大しながら写真だけでも)覗いてみたって下さい。異郷の風景多し。
⇒⇒ ココ

ほな


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2024年9月 2日 (月)

自句自解365 犬戯れてゆるく・・



  

   犬戯れてゆるく手を嚙む相撲草
(いぬざれてゆるくてをかむ すもうぐさ)2005・9月

 

ねえ。奥様!
大谷翔平選手って凄いね。
ホームラン打って、盗塁して、記録を塗り替え中やそうです。
奥様!忘れてない?
あの方、投げても「凄い」ねんよ。
一塁から二塁になげるんじゃないよ。
ピッチャーとしても一流だというんだからどうなってんでしょね。

始球式に彼の愛犬が登場したのご存知?
俊敏でお利口そうで・・・
いかにも仕事がデキル。って感じのワンコ

犬は飼い主に似るって言うけど・・
ホント。

 

⇑⇑ 俳句のワンコ?
はい。アタクシの愛犬ふくちゃんです。
正真正銘の野犬の子。正当な雑種。
原っぱから拾ってきましてん。

名前を呼べば鼻息荒く「ハフハフ」いうし
「待て」といえば「お手」をするし
自分のシッポを追いかけ回してぐったりしてるし
ホント落ち着きのない子だった。
飼い主に似たんやね。
でもね。「3引く2」と言えば「ワン」って答えたわ。

あ~ん。ふくちゃんの事を話すと涙が出る。

 

私は、見逃しませんでした。
あのデコピンの始球式で・・
大谷選手の手にあった「おやつ入れ」を!
あれ、巾着型でシリコンでできてるんだよ。
私も持ってた。
彼のは水色だったけど。私、緑とローズ色を持ってた。

あたしは、それを自分の「飴ちゃん」入れにしていたんだ。
悲しい。チュライ。ごめんねふくちゃん。

 

季語・相撲草(三秋)
ヒメシバのこと。引っ張り合いっこをしたり。かんざしを作ったりしてよく遊びました。

ほな


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2024年9月 1日 (日)

自句自解364 ポップコンにむせて・・



 

  ポップコンにむせて九月の映画館
(ぽっぷこんにむせて くがつのえいがかん)2012・10月

 

「九月」という季語で何か作ってなかったかなあと調べますと・・こんなの⇑⇑でてきました。

季語・九月(仲秋)
残暑厳しい中に九月が始まる。
2学期が始まる。
夏の名残を引きずりながらも、気分さわやかに新たな季節に突入だぜぃ!
ん?
奥様の辞書に「2学期」はない?そうね死語だわね。
でもがんばって!秋がやって来るんだから・・

そのテレンテレンのアッパッパを脱ぎ捨てて
パッサパッサの髪をキュッと結わえて
お洒落な映画でも観て来てください。

 

お盆に帰省していた次男坊が(映画は映画館で観るタイプ)
「オッペンハイマー」(2024・米)
を観てきたで!と言いました。
原爆の父と言われた天才科学者の実話に基づくストーリーです。

いやね。アタクシも気になってチェックはしていたのですが
なんかね。重い映画はもう迎え撃つ気力・体力に自信がなく、びびってスルーしておりました。
不愛想な感情の起伏に乏しい殿下(次男坊)が
いつになく力強く、良かった!
日本人も米国人もいやさ!地球人は見ておくべき作品だ
とのたまふ。
そなんや・・

 

九月になったらね。秋になったらね。きっと映画館にいきたくなるわね。
でも、ポップコンつまみながらでも観られるような映画しか行かんとおもうわ。
もう、楽に生きてるからね。どこもかしこもゆるゆるやねん
アッパッパばっかり着てるせいやろか?
ダラダラして、大口開けて笑う映画がええねん。
弛み切った人間にはゆる~い映画がええ。 

もうね。隣のアベックがポリポリいわせてポップコン食べてても
ぜ~~んぜん。ムカッともイラッともしないねん
寛大やろ?

 

お母ちゃん、だいぶ落ちてるなあ・・

うん。認める。

 

 

ほな


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しばらくの間、俳句(自句自解)に特化して書きます
自分の覚え書きです。
2022秋

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2024年8月18日 (日)

自句自解363 かなかなや山に・・



 

   かなかなや山に囲まれ父祖の墓
(かなかなや やまにかこまれふそのはか)2017・8月

 

季語・かなかな(初秋)
蜩(ひぐらし)のことです

盆が過ぎ、やっとやっと秋の気配が感じられるころ聞かれるのがかなかなの声です
⇑⇑例年ならば)



おたまエリア本日の最高気温は36℃と予想され、
秋の気配はこれ~~~~っぽっちもありません。
朝の6時半からクマゼミがシャーシャーシャーと大合唱
アヂ~よ~

そう言えば、今年はちょっとした異変が・・
7月25日の夕刻のことでございます。
庭に出ておりますれば、山側からひぐらしの鳴き声がきこえましてん。
「ひゃ!ひぐらしやわ!!もう鳴いてる」

わが家から2キロ南の友人宅(森と池に囲まれている)では7月半ばから聞こえているとのこと。

もう、地球どないなってるんでしょうね。

「今年はまだ法師蝉(つくつくほうし)聞いてないね」と
庭でお盆の送り火を焚いておりますれば(ですから8月15日夕刻)
「ジィージィー オーシツクツク ツクツクボーシ」
翻訳すれば「なにいうてますねん。ちゃんとここに居りまっせ」
今年はじめての法師ゼミの鳴き声をききました。


順番が違います。油蝉・クマゼミ・法師蝉・ひぐらし と出て来てもらわないとお母ちゃん(私)ウロウロしますがな。

奥様。セミの鳴き声に何の興味も感慨もお持ちではないでしょう。そうでしょうとも。
しかし、これが天変地異の地球滅亡の予兆だとすれば
あのとき、おたまちゃんはセミの異変に気付いていたんや、
セミのはなし、もうええわ。要らんわ。黙れ!引っ込め!なんておもって
申し訳なかった
という日が来るか来ないか・・

 

さて、今月もアホアホしいお話をしておりますうちに15件終了でございます
残りわずかな日々夏をどうぞご自愛ください

セミの中でも最も美しい鳴き声のかなかな
林の中から聞こえる秋の訪れを奥様に聞かせてあげたいですわ。
(まだ、セミのこと言うてます)

 

 

 

 

 

次回更新は9月1日予定
ほな


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