不思議はなし

2012年9月24日 (月)

季節の変わり目



昨日の記事ね、映画「にあんちゃん」のことを書いたんだけど、
それは、その前日の新聞記事がきっかけなんだけど、

実は、その(新聞記事を読む)前夜、
頭の中(かなあ・・)に「にあんちゃん」という文字がひらめいたの。
何の前触れもなく、脈絡もなく・・

たまたま、Wordで句の整理をしていた時だったので、グーグルでなんとなく、「にあんちゃん」を検索してみたのです。
そうそう、学校でこの映画みたっけなーと思いだしました。

それで、翌朝、新聞で「にあんちゃん」という活字をみたとき、不思議な気がしました。

そんな経験、皆さんにもおありではないですか?

ただの偶然の一致かもしれないけど、
おたまの場合、一回そういうことがあると、続けて起きることが多く、今日も新聞の死亡欄をみて「ああ、この人のことを昨夜考えてた・・」とか。
何となく、口ずさんでいた唄がラジオから流れてくるとか・・

それが、なぜか秋に多いんです。

自分が生きてる、ちょっとだけ先の時間を感じる・・というのかなあ、うまくいえないのですが・・

まあ、大したことではないのですけどね。

電話が鳴って「おたまちゃん、何か変わりない?」
「ううん。何にもないよ」
「だったら、エエねん・・・」

という、友達からの電話。

そういう、電話があることを既に承知していて、用意してあった通りの「ううん、何にもないよ」という返事ををしている自分・・

そんな経験、ありませんか?

やっぱり・・季節の変わり目かなあ・・

大丈夫か~~おたま~~



| | コメント (8) | トラックバック (0)

2012年1月13日 (金)

あいちゃんの夢



「初夢」は新年の季語にもなっています。
吉夢を見るために、宝船の絵を枕の下に敷く風習があるそうで、「宝船」「宝船敷く」というのも季語にあるのですよ。

元旦の夢に人々は吉兆を頼んだのかもしれません。

昨日の初句会の席で「初夢」の話題になり
あいちゃんが、興味ある話をしてくれました。

あいちゃんは、おたまより三つくらい年上の四国の方です。

 

昨年暮れ「自分が死に掛けている」夢をみたそうです。

床についている自分の周りを田舎の同級生がぐるりと取り囲んでいます。
同級生と言っても一クラス20人ほどが一緒に大きくなって、大きくなっても「誰それの兄さんに嫁いだ」とか「どこ其処の妹を嫁に貰った」とか、ほとんど村中が、幼馴染であり親戚みたいなものだそうです。

夢のなかで、あいちゃんは「みんなが来てくれてる。ここは一つ死なにゃあならん」と思っているのですが、なかなか、死ねないので少し申し訳なく感じたそうです。

気がつくと、右の枕元に「さっちゃん」という男の子が座っています。
他の同級生は入れ替わり立ち代りばたばたしているのに、さっちゃんだけはじっと座っています。

さっちゃんは、いわゆる皆と違った発達の仕方をした子でした。「異型の相貌」で、村の外では苦労はあったかもしれないけど、同級生の中では「さっちゃん」として認められていました。

お父さんが誰だかわかりません。
一夜を貸したお遍路さんの子だろうといううわさでした。

(宮本常一の世界ですわ)

そのさっちゃんが座っているのです。
そして、さっちゃんは間違いなくさっちゃんなのですが、
見慣れたさっちゃんではなく、ものすごい「男前」なのです。
あいちゃんは、「さっちゃん。痩せたん?頭がちいさくなってる」といいます。
さっちゃんは、きらきら光っていて、ものすごく男前だったそうです。

そして、元日の朝。
同級生からの電話です。

 

「さっちゃんが死んだ」

 

お別れに来てくれたんやね。

 

句座の仲間みんなで、うなずいたことでした。

Sany0045

マーニャ(って誰?)から一言

 

自分が死ぬ夢は多くの場合、「運勢の向上」を暗示するといわれます。
あいちゃんのケースは死に掛けてはいたものの、死んだわけではなく、これはもう、さっちゃんの魂の呼び掛けと考えてよいのではないかと、思いますです。

 


 


| | コメント (10) | トラックバック (0)