俳句

2013年5月26日 (日)

さよなら五月



一年で一番美しい五月も残すところ一週間。

おたま、まだ柏餅食ってないよ。
グッ坊に兜飾りも出してやらなかったよ。

10日位前からホトトギスが鳴いています。うるさい

もう、夏は来ぬ・・なんだ。

こんなに季節が早く過ぎると、心が落ち着かないわ。
尻は重いのに、心ふわふわ

なんで「五月」やねん!
風邪引いて寝てた!ちゅうねん

え?何に怒ってるかって?

今月の兼題が「五月」ですねん。

 「切れ切れに海みえ五月の車窓かな」 おたま

先月、姫路に行ったときの風景。
アカン。誰もが作りそうな句やな

 「潦ビルを映して五月来る」 おたま
 (ニハタズミビルヲウツシテゴガツクル)

にわたずみ(にはたずみ)とは水たまりのことです。

「水たまり」が怖いという友人がいました。
子どものころ、雨の降ったあとの水溜りを覗くと、青い空や白い雲が映っていて、自分がそこに落ち込むのではないかと思ったといいます。

空と同じ距離だけ深い奈落がある。

子どもの発想は自由!
おたまの頭はトンチンカン!

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久し振りに公園まで歩いて見ました。

モッコウバラが満開です。

007 プラタナスの根本に咲いているのは、一八(いちはつ)に似ていますが、外来種のようです。

公園はここを真直ぐあるいて、いきます。

二年前の春、近くの老人施設の入居者さんたちが、この公園でお花見をされていました。

 「花の下明治の人の座り胼胝」
 「ふらここの三人あわせ二百歳」

おじいさんと孫らしき小学生の女の子がやってきました。
 「じいさんの逆手懸垂はなふぶき」
 「夕桜逆上がりしてみせくれし」

女の子は覚えたての逆上がりを嬉しそうにしていました。

もうすぐ行く今年の春・・・
この公園に来るのも久し振りです。
季節は足早に去っていくのではなくて、受け止める自分がいなかっただけかもしれません。

 「白つめ草不意に光れば雀発つ」 おたま

なんでもないことでも、一瞬の発見はいたるところにあるのですから。



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2013年5月23日 (木)

美しい本



おたまのような人間でも、本を贈呈していただくことがあります。だいたいが俳句関連ですが、知り合いの作家の方が絵本や詩集を贈ってくださることもあります。

その中でも先月届いた一冊はその美しさに感動しました。
中の作品はもちろんのことですが
魅力溢れる美しい装丁に胸が震えました。

おたまの俳句の先生のご本です

一周忌にあわせて上梓されました。

その(亡くなられる)一年前に上京してご自宅に伺ったとき、「最後の句集を出したい」と話されていました。
こういう大きさで・・こんな感じで・・

ああ、それはいいですね、それならバッグの中に入りますもの・・
と同人の方も賛成されていました。

あの時、夕刊を取りに行くといい訳をして、わざわざ玄関まで送ってくださいました。東京でまごまごしていないか、おたまの事を心配して・・・
「○○さんに良くして頂きました」と言ったら「そうですか」とものすごく嬉しそうな顔をされました。

先生のことを「清廉潔白」と誰もがこぞって言いました。

名は体を表す。といいますが
まさにこの本は先生そのもののように思えます。

画像では色・手触り・重さをお伝えできなくて残念です。
日本の伝統色は500以上あるそうですが、外箱は海松色。中は鶸茶色に近いかなと思います。専門家ではないのでよくわかりません。

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先生。バッグに入りますよ。

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021 ページをめくると若かりし日の写真

ドイツのデザイン財団主催の「世界で最も美しい本」コンクールで日本と中国共同制作の「魯迅の言葉」という本が銀賞を受賞したと新聞やテレビのニュースで見ました。
赤と白の二冊の本だそうです。
一度、手にとってみたいものです。

でも、おたまにとっては、この句集が
その人柄も、温かな思い出も、この本を手にするたびによみがえるであろう大切な一冊となりました。

先生にこの美しい本を見せて差し上げたかったと思います。



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2013年1月 7日 (月)

七日



052_copy_2 今日は七日。
人日とも申します。

今日までが「松の内」ということです。

俳句では一日から七日までがそれぞれ独立した「新年」の季語になっています。

活気溢れる前日と打って変わる元朝を迎えた一日

張り詰めた一日が終わりふっと気を抜く二日
書初め。読み初め。稽古始。
初売り。初買い。
めでたく一年が始まります。

三日は楽しかった正月がもう終る寂しさ。

そろそろ世間が動き出す四日

正月気分が薄らぐなかにまだ松の内の華やかさが残る五日。六日

そして七日は七草粥です。
お正月のご馳走で疲れた胃にやさしいおもいやり・・
また、贅沢を戒める気分もあったようです。

こんなふうに、正月からを過ごす人々の時間に対する感覚、微妙な気分の移り変わり、外出先などで出会う風景のうつろい・・・

それらを一日・・・・七日と詠み込む。

そんなこと。

そんなこと。

そんなこと。

おたまには・・・・できまへん

 

考えても見てください。

1月1日午前9時からイオンは開いてる。
初詣に行っても晴れ着のお嬢さんなんていない。
子どものころは日本髪に結ったお姉さんがいたっけ・・・
ほとんど、みなさん普段着。

初荷ののぼりなんて、ここ何年もみたことない。
まして自家用車に輪飾りをつけているってめったにお目にかからない。
それどころか、玄関の注連縄だって玄関リースに取って代わる。
むしろ、やってないところが多い。

お正月だから、ご馳走を食べ
お正月だから、新しい服を下ろして貰う

わざわざ、そうしなくても、いつでもご馳走をたべ、きれいな服を着られるからね。

豊かに。そしてつまらなくなったね。

 

 「庭に来る目白眺めゐて三日」 おたま
  (ニワニクルメジロナガメイテミッカ)



 

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2012年2月24日 (金)

孫俳句



今日のお花
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スィトピー/小さな喜び

「母親」や「孫」を詠む俳句は敬遠されます。
どうしても、「母モノ」はお涙頂戴になっちゃうし
「孫モノ」はベタベタのデレデレになってしまい勝ち。

「言い過ぎる」ことを良しとしない俳句では、感情の押し付けの句は成功しないのです。

だからと言って作らないのは不自然なことです。

「今」しか詠めない俳句は「今」詠んでおきたいものです。
おたまの子に子が出来る・・・なんて、これから先10回、20回あるわけないねんもん。

てなことで、今日は句会でした。生まれたことを皆さんがご存知なので、ココで「子の子」の句を出すのは、「おたま」作がバレバレなのですが、ご祝儀相場を狙ってだしましてん。うふっ

 「二の腕に福耳の嬰春の宵」 おたま
 (にのうでにふくみみのややはるのよい)

 「みどり児の手相見てゐる春隣」 おたま
 (みどりごのてそうみているはるとなり)

俳句では「つきすぎ」(即き過ぎ)。「離れすぎ」ということをよく言われます。
下のほうの句などは「つきすぎ」の句です。

季語(春隣)と他の言葉がありきたりすぎるのです。
誰でも思いつく平凡な取り合わせです。
今日の兼題が「春隣」だったので、やっつけの、予定調和のダサダサと思いながら出しました。
これから、ビビビビと感じる季語を探すつもりです。

昨日の

 「春ともし揺りかごの影ゆらゆらと」 おたま

これも、春灯に影がゆらゆら揺れてる揺りかご・・なんて
理屈が通り過ぎてちっとも面白くないのです。

 「揺りかごの影ゆらゆらと春来る」 おたま
 (ゆりかごのかげゆらゆらとはるきたる

にしてみました。

そして、自分の句をなんたらかんたらと説明するのは、こっぱずかしいのですが、ああ、いい訳じみてると思いつつ・・
「俳句カテ」もたまにはねっ!てなことでUPいたしましょう。



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2011年8月23日 (火)

ほおずき



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お盆飾りの名残です。

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ほおずきを水につけておくと、こんな風になります。

これを小さな竹の虫かごに入れると、
秋らしい素敵な置物になります。

ほおずきは漢字で「鬼灯」「酸漿」と書き、秋の季語です。
上の「水つけ」ではありませんが、繊維質を少し見せて虫に食われているのを「虫ほおずき」といい、秋のあはれ、深まりを思わせます。

 「鬼灯は実も葉もからも紅葉哉」 芭蕉

但し、「鬼灯の花」は仲夏の「青鬼灯」は晩夏の季語。
浅草寺の「鬼灯市」は四万六千日。六千日さまと呼ばれ、夏の季語になっています。

一つの植物でも、時間の流れにともない、「風情」が変わっていきます。
その風情に会った「名」をつけて季感を楽しむのは日本独特の文化でしょうね。

鎮静剤や虫封じ、癪に効くほか堕胎薬として用いられたと知ると「ほおずき」の向うに、様々な思いが重なります。
可愛い姿、色、人形にして遊んだり、口に含んで鳴らしたり・・・子どもの玩具なのに、どこか懐かしく、もの寂しいのどうしてでしょう。

 「鬼灯のはなやをさなにおもひびと」 森澄夫

長いこと生きてますが、一度もほおずきを鳴らしたことはありません。
鳴らせないことは無いと思うのですが、
種を取り出すまでに破いてしまうのです。

ハイ。おたま、短気です。
こんな、辛気臭いこと無理ですわ。

初めて出た句会の兼題が「ほおずき」でした。
どうしよう・・どうしよう・・困ったな・・

窓から外を見ると、有刺鉄線に葛の花が巻き付いていました。
だから、今頃の季節だったのでしょうね。

俳句をしていると、たとえば、シャッターを押した時のように、時間を切り取ってそのときの景色や感じたことや心持を覚えておけます。

鬼灯を手にすると、あのときの皆さんのあたたかい気持ち(歓迎の)を思い出します。



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2011年6月26日 (日)

マンホール



明石市のマンホールの蓋ってこれ↓です。

11620015_convert_20110626122259 明石天文台

子午線の街
135°と刻まれています。

「たこ」じゃないんや

うんにゃ!
「たこ」のマンホールは絶対にあります!
だって、むかし・・・

「マンホールの蓋にタコの絵春うらら」 おたま

って、作ったもん。

ちなみに、

「マンホールの蓋に城の絵日脚伸ぶ」 おたま

というのも作りました。

マンホールの蓋さえあれば、俳句なんて作れちゃうわけです。

さすが、三度目はヒンシュクを買いマンホールをやめて

「太陽の塔の裏側日脚伸ぶ」 おたま

にしました。げーじゅつは爆発だ

俳人は「裏側」を詠むのが好きなようで、この句はばっさりと切られてしまいました。ハイ、なめていました。

08_049 Sany0001_2
奈良市          大阪市

313_002_2 013_2
伊丹市          京都府美山町

520_107 409_119
尼崎市          神戸(王子動物園)

2011_109 11610_013
台湾・平渓        宝塚市

子午線というのは、地球のてっぺんちょをずーっと辿る線のことだから、
小うるさく・いやらしく・言うと、明石は「子午線の町」でも何でもないわけです。
この、可愛いおたまだって、今現在ここにこうして子午線の上に乗っかっているわけですから。

正確には「日本標準時・東経135度」の子午線の町ということになります。

しかし、BUT、マンホールの蓋にまで、「子午線の町」って書いてあるのだから、それはそれで良いではないですか。だれが、文句を言ってるの!
ワタクシ・おたまか・・。いやごめんごめん。



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2011年2月18日 (金)

ももちどり



 「春の闇木の又にある巣箱にも」 おたま
  (ハルノヤミキノマタニアルスバコニモ)

                    (季語:春の闇/春)

夏の闇・秋の闇・冬の闇はありません。
「闇」は春にだけ季語として存在します。
春の夜の暗さというものに独特の情感があるのでしょう。

漆黒の闇ではなく、
目を凝らせばほのかに明るい。
湿り気があり、重さのある闇。
なにかが始まり、動き出す闇。
あたたかく、柔らかく、けだるい。

桂枝雀(小米)の「鷺とり」のアタマに雀を捕まえる話がでてきます。
あれが好きで、何とか捕まえたいと試みておりますの。
落語では男が「こぼれんめ」(こぼれ梅)を撒きます。
こぼれんめは味醂の搾りかすで、現在の製造方法では搾りかすが出来ないらしく、この、ほろりと甘いお菓子はお宮の参道あたりに行かないと買えません。

「こぼれんめを撒く」そのことだけで、なにか長閑であたたかい春の気分です。

おたま、撒き餌してるのに全然懐かないねんよ。
彼らの辞書には「友情」という文字はないみたい。

今朝は、チュンタロはん。チュン子はんが去んだあとに
なにやら奇妙な鳴き声

あれはね、あれはね・・・
ウグイスのリハーサル。
「初音」です。

「笹鳴」は聞いていたのですが、いよいよ本格デビューのようです。
春の訪れです。鶯は「春告鳥」とも呼ばれます。

鶯は年がら年中鳴いているのですが、この季節は里へやってくるので「春」の季語になっているのでしょうね。
夏になると山へ帰り、俳句では「老鶯」「夏鶯」と詠みます。

こちらへ越してきた時、春でしたがウグイスの声に起こされたものです。
楽しんでいたのも最初だけ、そのうち「ジャカーシー」と思うようになります。

夏が兆すと、朝も昼も夜もあらずホトトギスが鳴き始めますます
漢字で「時鳥」って書きます。
ホトトギスって本当に、笑ってしまうくらい夜中も鳴いています。
とりとめの無いとりです(洒落です。ついてきて下さい)

おたまね、十一の声を聞いたことがあるのですよ。
別名、慈悲心鳥。本当に「じゅーいち」って鳴くのです
嬉しかったわ。
深い深い山の中でした。

で、ウグイスですが
姿を見るのは難しいといえます。
その点、見た目のいいメジロは姿をよく見せますが悪声です。

庭にはそのほか色々なキレイな鳥がやってきます
昔ほど来なくなりました。
雀でさえ、めっきり減りました。

ちょっと公園へ鳥を探しに行ってくることにしませう。

チッチ、ここ止まれ
チッチ、ここ止まれ
止まらんチッチは飛んでいけ。

そうそう、「こぼれんめ」作戦に失敗した男は2案として、自分の体に緑色の塗料を塗り、木になりすますことを思いつきます。

なかなか、エエ発想や。

検討の余地はあるな。

 



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2011年1月 5日 (水)

買い初め



 「初市や跼(しゃが)みて選ぶ福寿草」 おたま

新年に初めて開く市を「初市」と言い、初めて物を買うことを「買初」(かいぞめ)・「初買」(はつかい)といいますのよ。
皆様の、今年のお買い初めは何でしたか?
別に返事はいらないです。
社交辞令で聞いてみたのですってば

元旦から開いている店が多いので、店のシャッターに「謹賀新年」の貼り紙を見る風景も少なくなりましたね。

2日の「初荷」にのぼりを立てて走るトラックも見かけなくなりました。
注連飾りをつけた自家用車も、ほとんど走っていません。


おたまんちは、つけています。
セレモニー好きのひっちゃんの遺志を受け継ぐのであります。
「もう、恥ずかしいからやめようよ」と言っていた妻子も、今は黙ってつけています。
たとえ、この日本国土に、そんなもの つけているのが我が家だけになろうとも、守りぬく、所存です。エイエイオー

お正月の「おめでたい感」がどんどん薄れていく中、「おめでたい」人間が、それをしなくて、なんとしましょうぞ。

我が家の「初買」はいつも、京都の東寺さんと決まっていました。
元日か2日の夜に実家に泊まった帰り、京都へ廻ります。お参りはかたちばかりに、お目当ては、境内の骨董市です。

 「神さんとみれば拝んで初詣」 おたま

香炉・小さな火鉢・九谷焼のお雛様・大正ガラスのグラス・古布・汁膳・・・・

毎年、一つだけ買い物をしました。

古布で姑が作ってくれた座布団は、まるで、明治のおばあちゃんがちょこんと座るような味わいです。

京都の料亭で使われていたのでしょうか、汁膳10枚組は明治時代の新聞紙に包まれていました。

でもでも、年々、出店の数が減り続け、初買いの楽しみもなくなりました。
「買い初め」は別の場所に移りました。

 「買い初めや鏡上向く帽子店」 おたま

何かひとつ。今年の幸せを予感させてくれるもの。心がほわっと喜ぶようなものを、ひとつだけ選びましょう。

で・・・今年の買い初めはこれで、おまんねんやわ。

帽子と、違います。

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ケイトスペードの
お財布

中を開くと真っ赤なノエル柄がカッコイイ。
これで、おたま、今年は

ニューヨーカーってわけでおまんねん。

「おまんねん」って言う時点で関西人やけどね。

アウトレット価格のさらに、
新春プライスやってん。

って、「いかに安く買えたか」を自慢するのも

関西人やね。

 



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2010年12月20日 (月)

納め句会



今年最後の吟行、納め句会は
「廃線をあるく・・」というテーマでした。

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武庫川の渓流に沿って走っていた旧JR宝塚線。
レールがはずされ、枕木だけが残っています。

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水上勉が小説「桜守」を執筆したという温泉宿はこの近くにあります。

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恋人たちがやってきます。

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おばちゃまが通ります。

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おじさんも通る。・・・でも、

・・・・ここは、アビニョン橋ではありません。

時雨がやってきたので、急遽トンネルの入り口に座って句会をすることになりました。
一月の「とんど」に始まり、継続を合言葉に頑張った吟行句会。
締めくくりも素敵なハプニングです。

時雨が去ったあとに、きれいな虹がでました。
(写真はないのよ)

 「冬川原ゆっくり溶けるチョコレート」 おたま



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2010年9月27日 (月)

曼珠沙華2



≪曼珠沙華≫

又の名を、死人花(しびとばな)・天蓋花・幽霊花・
捨子花・狐花・まんじゅさげ・と呼ぶそうです。

どの呼び名も寂しげです。

この花の有名な俳句といえば・・

 「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」 山口誓子

 「曼珠沙華抱くほどとれど母恋し」 中村汀女

 「なかなか死ねない彼岸花さく」  種田山頭火

などがあります。

そうそう、
金子兜太の「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」に寄せて、石寒太に「兜太大人秩父は桑と曼珠沙華」という句もあります。

おたまの好きな句は

今日生きてここに吾立つ曼珠沙華

おそらく雑誌などから抽いた句で作者がわかりません
(ご存知の方教えてください)

ずいぶん昔のノートに書き取っています。その時の自分の心情に合ったのでしょう。

上五の「今日生きて」という巧みな措辞が作者の越し方をうかがわせます。
決して順調なことばかりでは、無かったけれど、私は私を失わずにきた・・・。

経てきた日々への、感慨と感謝が「今日生きて」に凝縮されているような気がします。そして行く末への決意。のようなものも、かんじさせます。

一切の無駄を身につけぬ曼珠沙華のように・・
強い意志が伝わってくる句です。

・・・・

この句のように自分も、
すっくと美しく立ちたいと思ったのかも知れません。
今も、このような気持ちは持っていますが、

今ならこの句よりむしろ

もう光ることさへ忘れ枯芒」 深見けん二

に心惹かれます。

曼珠沙華が枯すすきになっちゃってるよん

肩をいからせ、少し気を張り、「ここに吾立つ」と宣言した、自分もなかなか良かったよ。・・・でも

芒に自己を投影しつつ、つぶやく肯定の言葉。

全てを受容する。あるがままにそのままに・・・

むける、まなざしがやわらかく、何の気負いもない

其処に、生まれるやすらぎの気持ち。
温もりある自然との一体感。

・・・素直に今の自分の中に入ってきた句です。

「もう」という言葉の使い方に、おたまにゃ、100年早い、イエ、100年たっても作れないよ・・と思ってしまいます。

おたまちゃん。枯れちゃわないで~~

と、引き止めるなら、今のうちやで・・・・・

って誰も、引止めへんわなあ・・・



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