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2023年10月

2023年10月15日 (日)

自句自解213 長き夜の天井・・



  

   長き夜の天井仰ぐストレッチ
(ながきよのてんじょうあおぐすとれっち )2022・10月

 

 

季語・長き夜(三秋)
「夜が長い」と感じられるのは今頃から冬にかけてでしょうかね。もっと寒くなったら、さっさとお布団に入っちゃいますからね。
里の秋はなんて静かなの?
お背戸(裏口)に木の実の落ちる音なんか聞こえちゃう
お父様は戦争に行っちゃった。
母様と二人、囲炉裏の火で栗を煮ていますの・・

いうても、今はどこのお家も暖房ポカポカ。電灯は煌々。テレビやオーディオからガチャガチャと音楽。「おふろがわきました」「冷蔵庫の扉があいています」知らない人がしゃべりかける・・・。
文明ととともにウチラの辞書から「静謐(せいひつ)」という文字は消えた。

 

手術でもできそうな明るいLEDを落として、スタンドの明かりをつけ
ガムランでも聴きながら
リラックス効果のアロマでも焚いてストレッチ・・

ってね。奥様!これが8頭身の20代の児島明子さん(知らん?)みたいな人やったら、よう似合わはりますよ。
あたい。でっせ。このおたまちゃんでっせ。
薄暗いところひっくり返って手足バタバタさせてるんです。
アロマなんて持ってないからお仏壇の線香焚いてますねん。
殺虫剤に追い詰められたアレ
〇〇〇〇 にしか見えませんでしょ。
想像するだに辛すぎる

 

ですので、ストレッチはお教室でしかしません。
なんだかんだ言っても、もう丸6年もつづいています。
だから、この句の天井は教室の白い天井です
レッスンは夜です。
ひっくり返りながらいろんなことを考えます。
レッスン仲間は5人。似たり寄ったりの年齢です

チラとお隣をみるとYさんもHさんもバタバタともがいてはります。

 

 

次の更新は11月1日予定です
「遥かな友に」秋の夜長にどうぞ♡

ほな。


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しばらくの間、俳句(自句自解)に特化して書きます
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2022秋

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2023年10月14日 (土)

自句自解212 秋日和行き先・・



 

   秋日和行き先会ってから決めむ
(あきびより いきさきあってからきめん)2008・10月

 

こんなに心地よい爽やかな秋がやって来るなんて
あの灼熱の日々からは想像もできません。
昨日は最高気温24.5℃ 湿度39% 雲一つない青空です

生きててよかった。

季語・秋日和(三秋)
小春日和という初冬の季語がありますが、春夏秋冬に「ひより」がつくのは「秋」しかないです。
春日和・夏日和・冬日和・・って言わないでしょ?
澄み切って晴れ渡るこの透明感!秋日和は特別なんですね。

 

どこかに行こうよ、行こうよと日時と待ち合わせ場所だけ決めて・・
こんな風によく遊んだな。
車で行くときも、当時はナビなんてついていないし、
スマホ検索ならぬ道路地図帳を片手にね。
どうして、あの頃は自信満々だったんだろう
「道に迷った?」「大丈夫大丈夫。地球は丸い!まっすぐ行ったら家に帰れる!」なんてね
奈良・京都・・
古い仏様やススキや彼岸花やコスモスを見に行った。

・・・・

ガチャピン(ご近所友)と良い季節だからどこか行こうよ!と言いながら実行できない。
腰が重いのはお互い様。コロナが大きかったわ。
ヒロシ(ガチャピン夫)は「行ってらっしゃい行ってらっしゃい」と言ってくれるが
持病のある彼をおいてヒョイヒョィでかけられないガチャピンであることはよく知ってる。

他の友人も、孫の習いごとの送り迎えや腰痛やひざ痛やらで動きが鈍い。
さんざん、あちこち遊んで廻ったからもういいか?という気分。

そんな事言うわたしだって、俳句がなかったらきっと引きこもりBBAなんだろうね。

こんなに素晴らしい気候なのにね。

 

 

ほな。


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2023年10月13日 (金)

自句自解211 祭振舞ひ月明の・・



  

  祭振舞ひ月明の庭開け放ち
(まつりふるまい げつめいのにわあけはなち)2010・10月

 

昨日の村芝居の句と同時期に作りました。
南北に長い当地は北へ行くほど農村部になり、といふことは北の方が昔から拓け、住人が多くゐたということです。
1960年半ばに全区域に電気が開通したそうです。
そして北へ行くほど標高が上がり、段々畑が増えてきます。
この美しい風景を奥様にも見せて差し上げたいです。

農村歌舞伎はこうした古くからの地域に受け継がれています。
当日はどの家々も座敷から縁側から戸を開けて、村の人達や遠方から見に来る人達のために振る舞いをしてくださいます。
酒やご馳走が並び、子どもたちにはお菓子が配られます。
月の夜に電灯の光が昼間のように明るいです。
電気が通っていなかった頃はどんな感じだったのでしょう。
月の庭には茣蓙が敷かれ、お酒で気分の良くなった人たちが語らっています。

南部に住む新興住宅地の我々も快く招かれました。
ここの主のYさんは、お昼間は役場勤め。昔の庄屋さんだったんだって!
俳句を作るといえば、化粧支度で忙しい公民館の「楽屋」へ案内してくださいました。

親御さんがつきっきりでどの子も少し緊張気味です

 

 

単調で素朴な祭囃子が聞こえてきました。
お練り道中が帰って来たようです。
さあ、舞台のあるお宮へ行くとしましょう。

 

 

 

季語・月(三秋)
月明とは月の明かりの事。秋の澄んだ空高く輝く月の光
「月光」と同じなんだけど、どうでしょ。ニュアンスがかわりますね。

 

ほな。


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2023年10月12日 (木)

自句自解210 地芝居のお練り・・



  

   地芝居のお練りを映し道路鏡
(ぢしばいのおねりをうつし どうろきょう)2010・10月 

 

季語・地芝居(晩秋)
お練り=練り歩くこと。 道路鏡=カーブミラー


我が住まひなる地は、かつて「村歌舞伎」が盛んで某神社に残る丸太組の大舞台は在りし日の賑わいを十分に想像させてくれます。
聞くところによれば、農閑期の男たちが伊丹や西宮・灘の酒どころに出稼ぎに行き、故郷である北部の山間地に都会の芸能(歌舞伎や文楽など)を持ち帰ったことに始まるらしい(知らんけど)
ので、酒どころから日本海に抜けるルートは農村歌舞伎が盛んであった。とのことです。
丹波篠山のデカンショ節やここら辺の人形浄瑠璃文化もそういうことなのねと思うとるわけです。

私の町だけど、今残るのはグッと、簡略化されているのでしょう。地芝居といっても役者に扮した子どもたちが村を練り歩いたあと舞台で歌舞伎の型をちょっと見せてくれる程度です。
それでも、本格的な衣装に白塗りのお子たちは可愛くて可愛くて・・
忙しかった秋の取入れを終えた大人達のホッとした気分と喜びに溢れたとても素敵な行事です。

農家そのものが激減し、子どもが減少し
それは日本全国どこでも同様な状況なのでしょうが、この伝統は続いて欲しいなあと思います。
村を挙げての一大イベントは野趣豊かでどこか懐かしいです。

 

⇑⇑俳句ですが、意味的に「切れ」はありませんが
「映す」を「映し」にしたことで軽くリズムの「切れ」を入れました。
何言うてるかわからん?どうでもいい?ですよね。

 

 

ほな。


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2023年10月11日 (水)

自句自解209 熱こもる髪・・



 

   熱こもる髪ほどきけり秋の月
(ねつこもるかみほどきけり あきのつき)2010・10月

 

季語・秋の月(三秋)
「月」だけで秋の季語なのですが、歳時記によっては特に「秋の月」と載っているものもあります。
決して字数の都合で⇑⇑こうしたわけではありません。
秋を強調してますねんやわ。テヘペロ。

 

あまりの暑さに地球最後の日が近いような気がしていましたが
お彼岸過ぎると嘘のように涼しくなりました。
大慌てで毛糸のカーデガンを引っ張り出し、扇風機とストーブを入れ替えました。

この国は四季ではなく二季になりそうな・・
じゃ、俳句はどうなるんだろ・・
ま。いいか・・そこまで生きてないし。

上の句、暑かった昼間と、ひんやりした月の夜を感じて頂ければうれしいです。

 



ほな。


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2023年10月10日 (火)

自句自解208 手を広げ渡る・・



   

  手を広げ渡る丸太や野菊晴れ
(てをひろげわたるまるたや のぎくばれ)2014・10月   

 

奥様!覚えていらっしゃるかしら
Japaneseマダムに一大旋風を巻き起こした「冬のソナタ」で
女子高校生のユジンが丸太にヒョイと飛び乗って歩くのを!

時々ゆらりと体が傾く。広げた両手でバランスを取りながら歩く姿を男子高校生のヨン様が見つめる・・
いいぞ~~いいぞ~~

 

やりましたがな
うちら、おばちゃんも・・
丸太と見れば飛び乗って・・・

アホやがな

もうそんなことしません。
というか、出来しまへん。無理です。
足、ぐねり(くじき)ます

いやいや。その前に、もうその気がありません。
ヨン様。太っちょの大金持ちにならはったし・・・

 

季語・野菊(仲秋)
野山に自生する野菊はさわやかな風に揺れ、秋の空にぴったり
薄紫の花は優しくちょっと寂しげです。
「野菊のごとき君なりき」そうそう。初恋の花と言えば野菊がピッタリですね。

 

 

ほな。


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2023年10月 9日 (月)

自句自解207 晩秋の便箋・・



    

   晩秋の便箋にある吸取紙
(ばんしゅうのびんせんにあるすいとりし )2021・10月

 

秋になると、誰かに手紙を書きたくなる
そうではありませぬか?奥様!

電話かLINEで済ませちゃう
それは、愛想もくそもございませんわ。
クソなんてお下品だったかしら・・
本当は「愛想も小想もない」というのだそうです。

それがウチラ関西周辺では、いつからクソになったのやら。
やれやれですわ。
折角ロマンティックな手紙の話でもしようと思ったのに・・ごめんあそばせ。

 

  秋の灯にひらがなばかり母へ文
   秋の灯にひらがなばかり母の文

                       倉田紘文

倉田紘文。昔NHK俳壇に出ておられましたね。穏やかで温かい語り口の先生でした。
「へ」と「の」一字の違いでこんなにも違う世界が生まれます。
そして、「秋の灯に」の「に」の力・・

 

私は万年筆派なので便箋に吸取紙がついていると嬉しい。
でも今どきこんな便箋はなかなか売っていません。
「すいとりし」とキーを打ち込んでも、一発変換してくれません。
はあ~時代に置いて行かれる感がここでも・・

 

 

明治生まれの祖母は早くに両親に死に別れ親戚に引き取られたのち、数え年15歳で祖父に嫁ぎました。
祖父の商売を手伝いながら次々と子を産み育てる暮らしの中で、読みに不便はなかったようですが、書くことは自分で覚えていったのでしょう
(祖母の時代の女性の識字率は42%といわれています)

 

私がまだ博多に住む中学1年生のころ、一度だけ祖母から手紙をもらったことがあります。
「おたまさん。ごきげんさん」と始まるその手紙は
「しかりべんきやうして、りっぱなひとになてください」と書かれてありました。

 



ほな。


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2023年10月 8日 (日)

自句自解206 林檎割るをのこ・・



今月の兼題が林檎なので調べてみた。こちらのブログ
自句自解19 で取り上げた

   納屋隅に昭和ありけり林檎箱

他、結構作ってるけど、
林檎ってなかなか昭和的だと思う

平凡でオーソドックスでスタンダードな果物。
みんな大好き、可愛いフォルムに、綺麗な色。

あたしの小さい頃からある。

林檎ってどこか貧しい時代を思い出す?のか、懐かしい。
こんな事もココに書いてたのよ

⇑クリックで飛びます跳びます。お暇なら読んでね

では、さようなら・・・

 

 

こらこら!本日の一句はどないなってますねん
アーカイブスでお茶を濁そうとしても
あきまへんえ!(天の声)

 

  林檎割るをのこよ恋の始まりよ
(りんごわるおのこよ こいのはじまりよ)2023・10月
今、作った。

季語・林檎(晩秋)
「おのこ」は「男」
成人した男子だけど若い人というニュアンスがある。
リンゴをズボンでキュッキュと拭いて、手でパカンと半分こにして呉れた人。
実話だけど、アタシのことではない。残念。

 

 

ほな。


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2023年10月 7日 (土)

自句自解205 曽祖父は茸名人・・



    

   曽祖父は茸名人酒を酌む
(そうそふはきのこめいじん さけをくむ)2018・10月

 

秋の発表会を控えて我がドンジャラホイは正念場を迎え
男女入り乱れてねじり鉢巻きであります。
ウクライナ問題に絡めて、だかどうだかわかんないけど「Blowin‘ in the wind」を入れることになった。
これが奥様!難ものでおます。
10代の頃、散々歌った「風に吹かれて」

英語も簡単だし、チョロイチョロイと思っていたのに
自己流耳コピ・思い込みの癖が抜けない
楽譜通りってこうだったんだ~~~
琵琶法師みたいなボブディランではなくPPMのバージョンでお稽古してます。

 

そんなレッスンを夕刻に控えた午後三時
田舎の叔父さんから電話が入った「近くまでゴルフに来とるけえ、仏さん参らしてもらおうかの」

おばあちゃん(姑)の末弟。姑が年頃で家を出るころ継母が産んだ子なので姉弟に歳の開きがあった。
ひっちゃん(夫)とは9歳違いである。
優しい優しい叔父さん。夫の三親等はもうこの叔父さん一人っきりになった。

元気そうな声で散々「病気自慢」をして、若い頃の面白い話をして
私は(夫が呼んでいたように)〇〇兄さんと呼ぶんだけど、
その顔におばあちゃんの面影をみてちょっと泣きそうになった。

 

レッスンに滑り込む
「あ。間に合った。よかったよかった。おたまちゃんがいないと始まらへんわ」
「どういう意味やねん!」と普段なら切り返すのに叔父さんに会って優しい気持ちになっていたので、仏さんみたいな顔で微笑んだ。
きっと気味悪かったでせう。

 

季語・(晩秋)
鳥取に近い兵庫県の山間部が姑の在所。父親はとにかく狩猟が好きで好きで、茸を見つけるのも上手かったそうだ。

 

ほな。


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2023年10月 6日 (金)

自句自解204 秋果とりどり柏手・・



    

   秋果とりどり柏手大き音たつる
(しゅうかとりどりかしわでおおきおとたつる)2019・10月

 

 

季語・秋果(三秋)

運動会には栗と出始めたばかりの青いミカンと柿がつきものだったなあ。
デラウェアを初めて食べたのは10代の後半で、小さい頃は何という品種だったんだろ真っ黒で種を出すのが面倒な葡萄
昔の映画をみたら岡田茉莉子さんが皮ごと一粒口に入れては、皮を出し手のひらにプップと種を吐き出す。
美しい若奥様の所作。これでよろしいんでせうか   当時はそれが普通だったのかな
は「二十世紀」か「長十郎」 今出回っているのは雑味がなくてなんだか甘い。
林檎は「国光」ね。たまに「インド林檎」木の箱のもみ殻の中に埋もれていた。
果物も時代とともに変化していくのですね。
苺なんて、酸っぱいから練乳をかけて食べていたもの!

栗・蜜柑・柿・葡萄・林檎・梨・・秋の果物をみんなまとめて「秋果」といいます。

秋の豊かな実りを神様にお供えして
パンパンとかしわ手を打って秋祭りの始まりです。
村役さんというか、(子どもの目から見た)おじさんの打つ柏手はやたら大きかった記憶があります。

 

ほな。

 

一応チェックはしているつもりですが、ほれ、200件を超えましたでしょ?
この先「それ(その俳句)こないだ出してたで」という事があるかもしれません。
ボケてんのか⁈ と陰口叩く前にお知らせくだされば助かります。
よろしくお願いします。
今のところはダブリは無い(ような)と思います。


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2023年10月 5日 (木)

自句自解203 沢あれば沢に手・・



    

  沢あれば沢に手浸し遠案山子
(さわあればさわにてひたしとおかかし)2021・10月

 

俳句は自分一人で作っているんだけど、句会や句誌等で公開してしまえば「どうぞお好きにしてちょうだい」となる。
作者の意図と大きく離れてもかまわない。読み手一人一人が好きに鑑賞して下さればそれでいいのであります。

え!そんな解釈ある?と驚かされることがあるし
そういう風に読んで下さるんだと感激することもある。

俳句の師は作句よりも鑑賞の力をつけなさいとよく言われた。
だから私は人様の「17文字」に対して400字詰め原稿用紙2枚以上の鑑賞をする。
量だけではない。中身も深く深く読み込みたいと思っている
水原秋櫻子先生、顔負けだぜ!と自分でご満悦なんだ。
人はこれを「おたま妄想劇場」といふ。ほっといてんか!

 

季語・案山子(三秋)遠案山子は遠くに見える案山子


田という田が黄金色に輝き、もうすぐ稲刈りが始まる
真っ直ぐに伸びる町道に沿って小さな流れが秋の光をキラキラと返しながら流れている
あまりの美しさに私はそっと水に手を入れてみる。
しゃがんだ視線の向こうには案山子。ゆたかな収穫に満足気(なんてね)

これを、さあ・・
台風でひっくり返った案山子の手の部分が畦の水に浸かってる!
って読む?ふつう。 もう・・信じられんわ。

 



ほな。


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2023年10月 4日 (水)

自句自解202 ものを干す母・・



   

  ものを干す母に呼ばれて秋の虹
(ものをほすははによばれてあきのにじ)2006・10月

 

まあ。俳句としてはダメダメなんです。
「て」と続けるのは散文的だし説明っぽいでしょ?
だから、どこにも出しませんでした。
でもね、自分の日記として、あの時の光景として大切にしています。

2006年は姑も夫も、すでに亡くなっていました。
実家の母がペースメーカー埋め込み手術予後の養生に、滞在した時の句です。


季語・秋の虹(三秋)
虹は年中出るのだけど、季語としては「夏」になっています。
それは天候的に多く・美しく出ることが多いからでしょうね。
それにくらべて「秋」の虹は色も淡くはかなげな感じがします。

洗濯物を干すというよりパラパラと雨がきたので大急ぎで取り入れていたのかもしれません。
母81歳。ペースメーカーのおかげですっかり元気になり数週間で帰って行きました。

同時期に

  顔剃りに母連れて行く秋日和  があります

(たぶん特殊な場所で)技術を身に着けた人たちばかりが働いているという噂の店でした。
丸刈りの無口な若者が母の顔を当たってくれました。

帰るとき母は
「お兄ちゃん。きれいにしてもろてありがとうね」といいました。

 

俳句を作っておくと、こうやって昨日のことのようによみがえります。

 

 

ほな。


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2023年10月 3日 (火)

自句自解201 唐突に牛ゐる・・



  

      唐突に牛ゐる霧の草千里
(とうとつにうしいるきりのくさせんり)2010・10月

 

季語・(三秋)
霧は秋の季語なんですよ。
哀愁の街に霧が降る・夜霧のブルース・霧にむせぶ夜・霧の摩周湖・霧の中の少女(どうでもいいけどみんな古いわね)
これらの歌の季節は秋ってことね。
知らなかったわね奥様!あたしも知らなかったよ。

上手くできたと思っているわけではない
誰かに褒められたわけでもない
でも、自分の句のなかでも、なぜか好きな句。ってあります。
なんでやろ・・・と思うに

ほんまに心の底から驚いたからでしょ?
霧がたちこめて何もみえない阿蘇の草千里に牛さんが横たわっていた。
ぎゃ!牛や!
牛さんは耳にピアスをしてた。番号が書いてあるピアス。

この旅の同行者はベベ子ちゃん。
アタシが六郷満山に行きたいと言ったら計画してくれた。
楽しかったなあ。たしかこっちのブログに載せてたと思う

もう13年も前です

 

 

ほな。


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2023年10月 2日 (月)

自句自解200 燕去ぬ病む列島・・



こちらで俳句に特化したブログを始めて一年。
今日で200件になりました\(^o^)/

アチラのメインブログのほうにも沢山訪問してもらっているようで心苦しいのですが、もうしばらくココを続けたいと思っています。


 

      燕去ぬ病む列島を置き去りに
(つばめいぬやむれっとうをおきざりに)2020・9月

 

コロナウィルスの感染拡大から、もう三年半になるのですね。
店のシャッターは下り、街から人が消え、みんな見えない敵におびえていた。

この歳(年齢)での三年間って貴重でっせ。
そりゃ、お子達にとっても学生さんにとってもかけがえのない3年なんだけど
ウチラみたいに一日一日が勝負みたいなおとしごろにとっては、取り返す時間がもう、ありません。

海外旅行もうエエか・・みたいな気に今なってます。
仲間からも「今年どないする?」みたいな声が上がらない。
みんな一気にトシ取っちゃった。
円が弱っちいしね。

 

季語・去ぬ燕(仲秋) 
燕帰るの傍題になっています。
夏が終わる頃、日本で生まれた子どもたちを連れてツバメが南の国へ帰っていきます
涼しくなってきたねそろそろ帰りましょうかって相談しているのかな
秋の気配が漂う夕方、おびただしい数のツバメがどこからともなく集まってきます
それは大群となり、あっというまに空の彼方へ消えてしまうのです。

私は、この帰燕(きえん)を一度しかみたことがありません。
この町でみました。電線といういう電線がしなるようにツバメが集まってきます。
空が真っ黒になるほどです。
パン屋の軒にいた子も、駅前広場にいた子も交じっているのかしら
それは厳粛で感動的な光景でした。
長い旅。気を付けてね・・・

かなうなら、もう一度、この光景をみたいものです。
できるなら、海や大きな川のそばで見たいです。

 

 

 

 

ほな。


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2023年10月 1日 (日)

自句自解199 まぼろしに椅子を・・



 悲しいことが続いた9月だったけど、頑張る。


「こけたら立ちなはれ」これがあたしの座右の銘だ。
さすが松下(幸之助)はん。エエこといわはる。

「S子ロスやろうけど、御飯はしっかり食べや」と次男からラインがありました。
言われんでも食べてる。
夫が亡くなった翌朝もおかわりした。そんな自分が厭や。

ああ。なんで気が晴れないんやろう・・

 

鴨長明のせいやわ・・とおもふ。
最近、方丈記の朗読聞いています。
元NHKのアナウンサーさん?心地の良い声。
声は心地いいけど、内容があかんわ。
あのひと、長明さん。今でいうミニマリストやねん。
あれいらん。これいらん。家はいらん。着るものいらん。
物がなんぼのもんじゃい。と繰り返しいうてます。

なんか、気が滅入る・・
あたし好きなものに囲まれて暮らしたい
胸の虚ろを物欲で満たしてやるんじゃ。
明日、街に出て、何かきれいなもの一つ買ってこよう!
と思ふ。

 

  まぼろしに椅子をすすめぬ月今宵
   (まぼろしにいすをすすめぬついこよい)

 

 

季語・(三秋)

 

 

ほな。


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