自句自解154 見送りて喪服の・・
見送りて喪服の我ら心太
(みおくりてもふくのわれらところてん)2019年・7月
季語・心太(三夏)
天草や寒天を煮溶かし冷やし固めてつくる。
金網をはめ込んだ「ところてん突き」で突き出す。
博多の子どもの頃、そろばん学校の帰りに寄り道した店、冬はおでん屋になった。
当時は酢醤油に摺った白ごまをふって食べた。子どもらしくないというか、なかなか渋い。
関西に来て初めて黒蜜で食べた。それからずっと黒蜜派
大人になるってことは身内ではない人の葬儀に参列するってことなのかな
知人。特に同年代の友人の訃報が身に堪える年齢になった。
ずいぶん会っていない人達に再会するのもこんな機会である。
懐かしい思い出は一人一人が少しずつ記憶違いをしていて可笑しい。
ノスタルジーの共有
我々はこのまま別れる気になれず葬儀会場から駅までの通りにある小さな甘味処へ入る。
疲れた体を椅子に預け、言葉少なにところてんをすする。
ところてん煙のごとく沈みをり 日野草城
(覚え)2023/6/20
K.Mさん死去の知らせあり
今年の賀状には「年賀の挨拶は今年で終わりにする」とあった
「いままでありがとう」という言葉に引っかかりながらなぜ連絡しなかったのだろう。
前年10月に病気がわかり、1月に亡くなられていたそうだ。
私の若く幸せな時間の中に貴女がいた。
こちらこそありがとう。
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しばらくの間、俳句(自句自解)に特化して書きます
自分の覚え書きです。
2022秋
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コメント
初めて食べた心太のあまりの酸っぱさにむせました、以後心して食べるという食品に。でも黒蜜の時まで心して食べた時はおかしかったです、羹に懲りてなますをふくのあれですね。同年代の訃報はじわじわと自分に迫る知らせですね。ただ今老々介護中で腰痛やら何やらでこちらが先にと言う感じです。
投稿: パコ | 2023年7月 1日 (土) 16時56分
★ぱこちゃんへ
博多では海草が原料の「おきうと」というものを生姜醤油で食べるのですが、
私は、「おきうとで良かっちゃなかと?」と、ところてんの存在理由をみいだせませんでした。
黒蜜で食べたとき、これは「おかず」ではなく「おやつ」だと初めて知りました。
ウブだったわ。
ご主人様の介護ですか?お疲れさまです。
もし、私がそんな立場になったら・・
「あと5センチで指先が届くのに・・」という位置にホカホカ弁当を置いて、自分は遊びに出かけると、夫によく宣言しておりました。
世の中ままならぬものですね。
投稿: おたま | 2023年7月 2日 (日) 10時05分