自句自解136 石鉢に・・・
石鉢に射す木漏れ日や著莪の花
(いしばちにさすこもれびやしゃがのはな)2016・5月
季語・著莪の花(初夏)
口を酸っぱくして「モノを詠め」と言われてきた。
ひたすらにモノをみてモノを詠みなさいと。
気持は詠まなくていい。気持ちはモノに託しさいと。
少し続けていると、なんだか物足りなくなってくる
「中身がないんじゃないか」「それがどした?」みたいな句ばっかりじゃないか・・って。
そして、上手く表現してみよう。ちょっとひねってやろう。といういやらしい考えに至る
浅くて小賢しい句ができる。気持ち悪い。
やっぱり初心に戻らなきゃ。素直に素直に・・
その繰り返しで今日まで来た。
で、今思うのは、「写生」に徹する。ということ
それが一番すんなりするし、好きだ。ということ
難しいことはわかんないけど、ゆうべ、そんな風に思ったですよ。
・・・
「当尾の里」(京都府木津川市)にある浄瑠璃寺で詠んだもの。
2016年。この時、GWで帰って来ていた次男坊に連れて行ってもらった。
若き日に来たことがある。
ム~がゐた。お鈴がいた。タグがゐた。もう名前を忘れちゃった後輩がゐた。
あの頃はみんなでキャッキャとゐるのが楽しくて、お寺なんか見ていなかったわ。
しかし、お坊さんに国宝の九体仏を一体ずつ丁寧に説明してもらったことははっきり覚えていて、印の結び方の意味もこの時教わった。
いまに至る仏像好きの原点はこのお寺だったかもしれない。
教科書で見た吉祥天も開示されていた。
石鉢は石でできた手水鉢。
艶やかな新緑越しに五月の光がキラキラと手水鉢に反射していた。
足元に著莪が咲いていた。日陰に咲く紫の花はおとなしく、少し寂しげだった。
当時ならきっと見逃していただろう著莪の花を大人になった息子と見ている
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自分の覚え書きです。
2022秋
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