自句自解104 東日本大震災12年に寄せて
2011年3月11日
あの日の穏やかな昼下がりの事を我々の俳句仲間は忘れないでいる。
兵庫県伊丹市の梅林(今はもうない)へ吟行に行った帰り、駅の近くの明るいカフェへ立ち寄った。
話の最中、頭がぐらりと揺れた。みんな楽しそうに話を続けている。
「あかん!私めまいしてる」と思った。
揺れを感じたのは私一人だけだったようだ。
カップの中の紅茶が揺れていた。
帰宅してテレビをつけると東北が大変なことになっていた。
以下、被災地を訪ねた際に作った句をいくつか並べる
夏の暑い盛りだった。
ウルトラマン立つ空港に梅雨の雷
除染物茂りの中に積まれたる
夏草へ線量計を近づける
慟哭の海岸線背に大花野
特別なルートを得て立ち入ることのできる限界まで見学させてもらった。
たくさんの被災された方々の声を直接聞くことができた。
あの日、卒業式の準備の途中であったらしい中学校の体育館には紅白の垂れ幕が張り巡らされたままだった。
この訪問は俳句とは無関係のつながりであった。
自分が知らなかったこと知らないことがあまりにも多く、色々な事を考えさせられる旅であった。
自分の目で見て耳で聞いてきたことを特に、西に住む人に伝えたい!
今は限定記事として格納しているが「フクシマレポート」としてこのブログで12回にわたり文章を書いた。
大勢の方が読みに来てくださった。
いまなお、特に東京電力福島第一原発事故の被災地では復興の進んでいない現状がある。
帰還困難区域ではようやく(10年も経って)避難指示の解除が出始めたらしいが(それもごく一部)
「私らはいいよ。年寄りだから。墓守するだけだもん。でも若い人に、これから子どもを育てていく人に、ここに住め!とはどうしても言えないよ」
そんな言葉を思い出す。
大熊町・双葉町にある1F(いちえふ)福島第一原発に近づくと線量計の針が大きく振り切れたことを思い出す。
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しばらくの間、俳句(自句自解)に特化して書きます
自分の覚え書きです。
2022秋
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コメント
なんとも・・・
こんなに大きく紹介していただき、
ありがたいことです。
今年はあれからいわゆる13回忌。
思うこと多々。
うち続く余震いまだし雨の中
ひとの子抱き吾子を背負へり
一本の長きホースに掴まりつ
老若男女渡る濁流
校庭にSOSと大書して
子ら粛々と救援待てる
震災から三日後に詠んだ短歌。
どうしても俳句が詠めなかった。
投稿: NANTEI | 2023年3月12日 (日) 12時28分
★NANTEIさんへ
そっかぁ。13回忌ともいえるのですね。
俳句は読み手にゆだねる部分が大きいから気持ちを託すのは本当に難しいです。
それにしても。短歌も押さえてるんや。スゴイ!ほんまにどこまで鋭い爪をかくしてはるんやろ。怖いわ兄ちゃん!
大変感銘を覚えました。手ほどきしてほしいです。
投稿: おたま | 2023年3月12日 (日) 18時38分