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2022年9月

2022年9月15日 (木)

自句自解18  大阪に・・・



 

 「大阪に八百八橋盆の月」
(おおさかにはっぴゃくやばしぼんのつき)2006・9月

 

ずいぶん前になるが毎年9月は大阪市内で開催される俳人協会の講座に参加した。
九月に4回開講される。
全て参加できたわけではないが著名な俳人が来られるときはミーハー気分でウキウキと出席した。初学の頃である

 

大阪に八百八橋・・・なんて陳腐なんだろう、と今思う。
都会に出て浮かれていたのか?
知識や言い古された言葉を句にしてもなんの魅力もない。

句誌に採ってもらったのはただただ「盆の月」の力だったろう

最後に講座に行ったのは十年以上前。
俳人協会も退いちゃった。
なつかしいなあ・・・

 

恥ずかしがっていたらやってらんないので、あえて載せた。
季語は盆の月(初秋)陰暦七月十五日の月のこと。

 

 

 

次の更新は10月1日です。


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2022年9月14日 (水)

自句自解17  秋暑し・・



  

 「秋暑し蔓のあるもの皆捻れ」
(あきあつしつるのあるものみなねじれ)2018・9月

 

天気予報通り今週は暑い。
もう九月も半ばなのに・・

季語、秋暑し(初秋)は残暑の傍題である。残る暑さ秋暑。も同じく傍題になっている。
餞暑(せんしょ)といういい方もあるようだ。初めて聞いたわ。お餞別の餞です。

残暑・残る暑さは夏を引きずっている暑さ。
秋暑・秋暑しは秋になっているのに暑い。夜はひんやりするが日中は暑い。その暑さ。
このふたつは同じようで全く違う
何がどう違うか説明せよ。といわれても私には無理。
でもこの国に暮す人には感覚として違いが判る。
だから季語っておもしろい。とおもう。
生きている。その感覚が豊かな日本語の中に在る。

例えば、つまり、今日は「秋暑し」だな。そして
捻れたものに暑さを感じる。

なぜ?と聞かれても説明できない。
あれあれ、こんなに捻れちゃって・・・・
と言いながらフェンスに巻き付いたヘクソカズラの蔓を引っ剥がし、サルトリイバラの蔓をそーっとほどく
今朝。

 


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2022年9月13日 (火)

自句自解16  秋日傘預けて・・・



 

  「秋日傘預けて入りぬ美術館」
(あきひがさあずけていりぬびじゅつかん)2010・9月

 

日傘を入り口で預けて美術館の中に入りました
ただそれだけの句である。
誰もが詠める、出来事を述べただけに過ぎない句。
どうという事のない句。

でも
それでいいのだ。と言ってもらえる。

 

手持ちの歳時記(3冊)を繰っても「秋日傘」という季語は載っていない。
季語は流動的で取り上げる人の考えにもよるので、載っている本があるかもしれない。
ここでは 季語は(三秋)といっておこう。

なんでもかんでも「秋」をつければ季語になるのかというとそうではない。
「秋パソコン」「秋すずめ」「秋茶碗」・・・

でもね、「秋日傘」はたとえば「秋扇」「秋簾(すだれ)」のように
充分に季感を伴う言葉だと私は思っています。

 

秋日傘といっただけで「残暑」だとおもう。
夏の日差しとはまた違った太陽の強さ。
しかし、空気は十分に澄んでいる。美術館へ行こうと思ったのは暑さがほんの少し和らいだからだ。そんな心のゆとり。
ちょっぴりお洒落をしてきたのにレースのブラウスが少し汗ばんでいる。
館内は冷房が効いている。中に入るとやはりホッとする。
傘を預けたときのように・・・。

自分で言ってしまえば身も蓋も無いが、読む人が好きに読んで下さる。それでいいのだと言ってもらえる。


「上手い事言うたった」「感心させてやろ」「どやさ~」
と言う句は読み手には共感してもらえない。
引いて、引いて・・・

 

引きすぎて「ただごと俳句」になってしまうこともあるけどね。
そこがむちゅかしい。

 


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2022年9月12日 (月)

自句自解15  残暑なほ・・・ 



 

 「残暑なほミの♭の音とれず」
(ざんしょなおみのふらっとのおととれず)2020・9月

 

小さなころから歌が好きだった。
私の時代には子どもには子どもの歌があった。
時々「うそ歌」を歌った。歌いながら自分で勝手に作って歌っていると気づいて恥ずかしかった。たぶん5歳。

小学校では新しい歌を習うときは、前に呼ばれ
先生のオルガンの横に立って歌った。お手本である。
「こぎつね こんこん 山の中・・」
「いつもいつも 通る夜汽車・・・」

そんなに上手に歌えたのに・・
なんで?


なんでやろ・・今は恐ろしく下手であります。
謙遜ではありません。
笑うくらい下手です。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

 

季語は残暑(初秋)もうすでに秋になったのに夏を引きずる暑さ。ザンショのZの耳障りが暑苦しいと個人的に思うとります。

今週は日中の気温35℃ 近くなるとの予報。
うそや~~~ん

 

 


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2022年9月11日 (日)

自句自解14  マスターが・・・



 

 「マスターが外にでてをり里祭」
(ますたーがそとにでてをりさとまつり)2015・9月

 

季語は里祭(三秋)村祭・在祭・浦祭とともに秋祭の傍題になっている。
五穀豊穣を神々に感謝する祭りは全国津々浦々で催されるが、豪華絢爛な祭より村の小さな鎮守様に代々伝わる素朴な祭にこそ味わいがあり収穫の喜びに満ち溢れた秋ならではの趣があると思う。

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謂れは知らないがここでは法被ではなく襦袢を身にまとう
高山右近ゆかりの里である

 

小学校の校庭に自衛隊のブラスバンドがやってきて昼時には自衛隊カレーをふるまってくれる
中学生による和太鼓クラブの演奏につづき、日本一の高校生チアリーディングのご披露がある(撮影厳禁)
村の辻2ヶ所にはミニパトカーが配備され、日ごろ滅多に回らない赤色灯がまわる。
この村でマスターといえば散髪屋か古い喫茶店の大将だ。
この日もお天気で良かった。

 

 


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2022年9月10日 (土)

自句自解13  冷まじや湖底・・・



こっそりと ひっそりと、こちらで俳句の事を書き始めた。
誰に読んでいただかなくていい。むしろ読んでくださいますな。くらいの気持ちでpingもつけず、検索にもかからないようにした。
なぜならば・・(*ノωノ)はずかしいから。

なのに!

ハートマークをつけちゃった。
ココログの「いいね」ボタンだ。へ~~こんなのがあったのかあ・・
つけてみよ~っと!

昨日、ふと見たらどなたかがポチっ押してくださっていた。
「つながってる・・」胸の中がポッとなった。

押したからといって双方に特典があるわけではない。宝くじは当たらないしハワイに招待されない。
でも、手が滑ったのかもしれないがどなたかに「イイネボタン」を押してもらった。
たかがポチ。されどポチだ。ありがと。

 

ささ。本題です。

 

 「冷まじや湖底に下りるエレベーター」
(すさまじやこていにおりるえれべーたー)2017・9月

 

先日テレビで国会図書館の地下6階だか7階だかの書庫をみた
地下30メートル。空にゃ極楽.地にゃ地獄と守屋ひろしもジョンレノンも歌っていた。おそろしい。

掲句は近隣のダムを見学したときの句。

季語は冷まじ(晩秋)で、寒さが深まるにつれ風は冷たく、ものみな枯れ荒れすさぶという意味らしい。
現象のみならず心情的な意味合も含む。

同じとき
「爽やかやダム放水に虹かかり」 も作った
やっぱり、地上に出るとほっとする
我々、見学者6名の為にダムの方が、わざわざ放水して下さった。

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2022年9月 9日 (金)

自句自解12  お四国の・・



生物学的または食物学的にどういうのか知らないけれど
俳句では
「藷」= さつまいも
「芋」= 里芋
「薯」= じゃがいも

と書く。だから、
「ふる里は遠きがよろし藷食べて」おたま
では、ワタクシさつまいもを食べております(焼き芋ではなく焼き藷)

「芋の露連山影をただしうす」飯田蛇笏
の露は里芋の葉っぱに転がっていなければならない。

へへ。飯田蛇笏と自分を並べてやったぜ。

では、ここでクイズです。

 

 「お四国のサービスエリアに走り藷」
(おしこくのさーびすえりあにはしりいも)2008・9月

さて、この藷は?
ピンポンピンポン 正解です。鳴門金時ですね
季語は(仲秋)甘藷(さつまいも)の傍題

四国に「お」をつけるのは、お大師様の国だから。
走りは出始め。季節に先駆けてでる野菜・魚などをいう

八十八か所巡りで何度このサービスエリアを利用しただろう
此処から、西に沈む夕日と競争しながら帰路についたものだった。

 

 


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2022年9月 8日 (木)

自句自解11  葛あらし・・



 

 「葛あらし昔一揆のありし村」
(くずあらしむかしいっきのありしむら)2009・9月

 

コロナ下で満足な葬式を出せなかった家族がたくさんある。
なのに「国葬」だってさ。

コロナ下で不況・倒産・離職・閉店・・暮しに困る人がたくさんいる
今、国葬に莫大な費用を掛けるのがこの国の金の使い方としてどうなのだろう。

費用の問題だけではない。
そもそも「国葬」の法的根拠がないものは、うち(自民党)の裁量でいいんだよってか?
安定政権運営という思惑により、閣議決定されたという流れ
国家の重要事項を何でもかんでも閣内で決めていくならば国会なんていらない。

決め方の問題だけではない。
そもそも安倍元首相が国葬に値する立派な政治家だったのかということだ

(ここに、つらつら書き並べてみたけれど、私が言うまでもないと思い、割愛します)

・・・・・・

私ね、国葬問題が持ち上がってなんだかブログを続けるのが嫌になって
「本家」ブログを中断したの。
で、前からやりたかった、俳句に特化したことを書こうとおもって
こちらをオープンしたんだけど。
やっぱり。書いとるやないかいっ!

 

・・・・・

季語は葛嵐(三秋) 夏の間、盛んな生命力をみせつけていた葛は秋になると、葉はカサカサに乾き太い蔓が姿を現す。
この頃に吹く強い雨風にあおられ、翻りながらもその大きな葉は蔓を離れることがない。

場所は奈良県吉野郡。私はこの頃三十六不動尊を巡っていた。
夕暮れのバス停の前は広い寺領畑だった。ここは吉野葛の産地である。

 

 


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2022年9月 7日 (水)

自句自解10  爽籟や・・



 

 「爽籟や恐竜の骨くぐり抜け」
(そうらいやきょうりゅうのほねくぐりぬけ)2018・9月

 

恐竜に心を奪われるのは、何も少年だけではない
おばさんだって、こういうものを目にすると遥かなるものに思いを馳せずにはいられない

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季語は爽籟(三秋)秋風のひびきのこと。
さわやかな秋風の音・声。

二億五千万年前の風が今確かに自分の前を通り過ぎる 

 

 

 

「や」で切ったけど、もやもや。これじゃ自分がくぐり抜けたみたい?
意味的には「の」なんだよ。
周辺。誰も気づいていないからいいか?
誰も気にもとめていないという事だったりして(汗)


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2022年9月 6日 (火)

自句自解9 広げたる手が・・・



 

 「広げたる手が路地の幅昼ちちろ」
(ひろげたるてがろじのはばひるちちろ)2007/9月

 

大阪市生野区猪飼野は母が生まれ13歳まで育った場所である。
母の父(私の祖父)は四国の人間だが大正時代の初めにこの地で商売を始めた
商才があったのか事業は拡大し沢山の従業員を雇うまでになった。
その中には朝鮮人が多くゐた。猪飼野は当時も今も半島から渡ってきた人やその子孫が多く暮らす町だ。

母は「おじいさんは偉かった。職人さんも家族も分け隔てなく同じものを食べた」と言っていた。
私は母から「朝鮮のおばさんたちはみんな情が深くてやさしい」と聞いて大きくなった。
活気あふれるこの町で母は豊かな少女時代を過ごしたようだが
昭和十年代になるとこの国全体にきな臭い匂いが漂い始める。
祖父はこの地を離れ、府下の新天地で新たな出発をする。
戦争前夜である。

 

季語はちちろ蟋蟀(こおろぎ)
夜はもちろん昼間でも民家の薄暗い場所でりりりりりと鳴く。
昼に鳴くので昼ちちろ。こおろぎには、つづれさせという何とも深い秋をおもわせる別の呼び方もある。
玄関と玄関が向かい合わせになる狭い路地。鳳仙花や鶏頭や風船蔓の鉢がよく手入れされてならんでいる

「そうですか。手の広幅ね」「もう少しせまくはありませんか?肩と肩が触れ合うくらい・・の」と
菖蒲あや(路地を詠んだ俳人)と研鑽を積んでこられた我が師はおっしゃった。
「いいえ。これくらいありました!」と私は手を広げる。楽しい思い出である。
路地と露路の違いもこの時おそわった。

 

母が少女時代を過ごした辺りは今は「コリアタウン」と呼ばれ観光名所になった。
同日にいくつかの句を作った。また出します。

 

 


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2022年9月 5日 (月)

自句自解8 校庭に・・・



 

 「校庭にうさぎでている野分あと」
(こうていにうさぎでているのわきあと)2014/9月

 

季語は野分(仲秋)
「のわき」または「のわけ」とも読む
台風。台風の余波。と歳時記にあるので「野分=台風」なのだが
じゃあ。どう使い分けるかという事になる。
じぶんとしては、発達した低気圧が東に進み日本付近を通過するのが「台風」で
そこに「情緒」を加えたものが「野分」かなあ~~~~~と思うとります。

強風の夜が去った。
あの雨風が嘘のようにからりと青空がみえる朝である。
野分あとに「美」を見出してみたい。でっきるかなあ?

校庭には昨夜吹きとばされた大きな葉がからからと舞っている
台風の余波と思しき風が時折吹き渡る。
子どもたちが世話をしている小屋の垣が壊れたようだ
うさぎが所在なさげにじっとしている。

20年ほど学んできた俳句結社を離れて2年が過ぎた。
ただただ「モノを詠みなさい」と教わってきた。
実際に自分の目で見、耳で聞き、肌で感じた事柄をすくい取りなさい。

その事の意味が今やっとな~んとなくわかってきたような気がする。

やっとだよ。

 

今月は「台風」で2句だすつもり。
「台風」です。自分では気に入っているが、そんな句ほど・・
こける。

 


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2022年9月 4日 (日)

自句自解7 いわし雲・・・



 

 「いわし雲橋渡らねば行けぬ家」
(いわしぐもはしわたらねばいけぬいえ)2013/9月

 

むかし ボランティアのまねごとのようなことをしていた

おもに独居老人。あるいは老夫婦の家を訪ねるのである。
担当する家は固定化されないよう自治体のほうで配慮されていた。
だから、毎週顔を合わす人もいれば数か月ぶりのお宅もある。

皆さん(たぶん)心待ちにされていた(と思う)
門口に椅子を持ち出し団扇で足元を払いながら待っていてくださった。

ああ。あんたか・・と言って笑顔をみせてくれる。
お金を渡されることもあった。
そういう時は一旦、受け取るように指導があった。

それ(ボランティア)を止めたのは「自分には無理」と思う出来事があったからだ。
私には適性が欠けていたのだと自分では思っている。

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季語は鰯雲(三秋)
小さな石の橋を渡ると一本の道が続いている。突き当たりが目指す家である
この辺りはどこも大きな門構えの農家ばかりである
昔は大人数で暮しておられたのであろう。
時間は流れ、雲も流れる。

「炎天や一戸に続くだけの道」も同時期に作った句。同じお宅である
この日交わした言葉さえ覚えている

 


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2022年9月 3日 (土)

自句自解6 ペンギンの・・・



さすがに九月だ。
朝夕の空気が違う。湿気を含んだ蒸すような風はいつの間にか爽やかな空気に入れ替わっている。
夏から秋に移るこのわずかな時間。何に秋の気を読みとれるのか・・
ひきしまっていこ~~

 「ペンギンの嘴濡れてゐる秋気かな」
(ぺんぎんのはしぬれているしゅうきかな)2019/9月

 

住めば都と人間界では言うけれど「氷のお山ですまし顔」だったペンギンさんは、こんなところに連れて来られてどう思っているのだろ。
くちばしが本当に濡れてゐたかどうか覚えていないが、私の脳内では秋の爽やかな空気と澄み切った水が結びついたのだろう(と思ふ)
季語は秋気(三秋)で秋気澄む 秋の気 の傍題がある。

同時期に「アフリカ象牙に鼻乗せ秋暑し」があるので吟行で王子動物園に行ったときの句だろう。
(あとでちゃんと調べてみよう)
象の鼻。重そうやね。自分の体の一部を重く感じる。そら、暑苦しいわね。

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それで思い出したけど、昔、テレビの「ぴったしカンカン」で女優のかたせ梨乃さんが司会の久米宏さんに訴えてはった。
「自分の乳房が重いのでテーブルの上に乗っけてるんです」と。
そうなんや~~。
それはわかるなあ。と自分。
決して見得を張っているわけではない。
あれは授乳期だった。「おっぱいが重い」と感じたのは・・。

 

また、要らん事書いてしもた。

 


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2022年9月 2日 (金)

自句自解5 水底に・・・



  

「水底に金の砂つぶ夕かなかな」
(みなそこにきんのすなつぶゆうかなかな)2021/9月

 

蝉の中で最も美しい鳴き声といわれる蜩(ひぐらし)は、かなかなとも呼ばれる。
初秋の季語である。
盆が終わると、わずかだが涼しい風が吹き渡り、かすかな秋の気配が漂う。
山の近い我が家では家に居て、かなかなの鳴き声を聞くことが出来る。それは決まって寂しい夕暮れである。

盆過ぎに川や海に入ってはいけないと、よくいわれた。
海では波が高くなり、川では河童が水に引きずり込むからだそうだ。

近頃はそんなこと気にしないのか、川では夕方まで子どもの嬌声が響き渡る
昔のように、子どもだけで遊ぶという事はない
ファミリーで車でやってきて、親たちと遊ぶ。
ビニールの大きな遊具を浮かべ、スウェットスーツやライフジャケットを着こんでひざ丈までの川に入る。
これでは河童の出番はないな。

大人が先導する遊びの中で、今のこどもは川底に目を凝らすことがあるのだろうか。

大きなお世話か!そうか。

 

 


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2022年9月 1日 (木)

自句自解4 苧殻火を・・・



 

 「苧殻火を焚くそれぞれに膝抱きて」
(おがらびをたくそれぞれにひざだきて)2007・8月

 

わが家は浄土真宗なので「お盆だからご先祖様が帰ってみえるわけではない。何も特別な事はしなくていい」と教わっている。
そう言う住職がお盆の時期忙しく檀家巡りをしてるのは、なんか解せん。ハハ。
とりあえず?姑がやっていた通り盆支度をし墓掃除をし、迎え火送り火を焚く。

季語は「苧殻・苧殻火・苧殻焚く」(初秋)
麻の茎の皮をむき干したものを「苧殻」といいこれを焚いて盆の門火にする。
これって本当に麻の茎なんだろうか、やけに白い。三本入りで100円。made inマレーシアとある。

2007年の作なので夫の初盆の次の年(三回忌の盆)ということになる。
小さい家族。私と二人の息子。三人の迎え火だ。
姑も夫も黄泉へわたり、フクちゃん(犬)もミー子(猫)も二人について行っちゃった。
おセンチな事この上ない。

原句は「苧殻火やそれぞれが抱く膝頭」であった。
句誌には上記に添削され掲載。
どうなんでしょ。

いえ。べつに文句ないです。

 


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