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2022年8月

2022年8月31日 (水)

自句自解3 花道を・・・



もう長い事、歌舞伎をみている。
こんなに華やかで美しい世界があるのかと感激して以来の歌舞伎ファンだ。

今でははっきりしたカテゴリー分けはないようだが、2月・7月は花形すなはち若手が中心の舞台がかかることが多かった。
クソ暑くて(あるいは寒くて)お芝居なんか観に行けないわ。と客は思う。
それはとりもなおさず、お芝居なんかやってられないわという大御所側の思惑もあったのか
これらの月はネクストブレイクを期待される若い役者さんたちの活躍の場であったらしい。

そういえば季語に「夏芝居」はあるが、「春芝居」「秋芝居」「冬芝居」ってないな
「夏芝居」を詠むときは「花形」の舞台であるということを踏まえたほうがいいのかな
そんなこと、フツーの人はご存じないか
夏ならではの演目。その季感を詠めばいいのかな

 

 「花道を真直ぐに菊五郎の浴衣」
(はなみちをますぐにきくごろうのゆかた)2010・8月

 

季語は浴衣(夏)
役者は、たとえば稽古のときにも浴衣を着る。年がら年中きているんだから季語になりにくいと言われた。
まあ、お相撲さんもそうやね。
でも、花道なんだからここは夏芝居の中の浴衣なんだよ。
わがんねやつは置いてゆぐ。

2010年5月の松竹座。関西初の団菊祭であった。
菊五郎の髪結新三。花道からさっそうの登場である。
粋な浴衣姿。江戸の風物を背景に芝居が繰り広げられる

江戸っ子のいい男。男の色気。この人悪党ですねん。
世話物はターヤ(音羽屋)だなやっぱり。
キラキラ光る初夏の季感。

 


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2022年8月30日 (火)

自句自解2 山羊いつも・・



 

「山羊いつも促され行く草の花」
(やぎいつもうながされゆくくさのはな)2015・8月

 

生まれ変わるならば、山羊はいやだな
ただなんとなくだけど。

何処で見た景色だろう。今はない工場の敷地で飼われていた山羊だったろうか
小屋の傍に錆びの入ったドラム缶があった。
みえてくるのは夕方の景色。秋だったような・・

山羊ってどこか内気な雰囲気がある。
おとなしそう。実は獰猛だったりして(知らんけど)
「さんびきのやぎのがらがらどん」にしたって「七ひきの子山羊」にしたって。

職場に蒲(かば)という姓の方がおられて、取引先に八木さんがおられた。
「もしもし あ。ヤギさん? 僕、カバです」

なつかしいなあ。八木さんは痩せぎすの紳士だったっけ。

季語は草の花(三秋)
秋になると野山に咲く名も知らぬ花たち。
それらはなべて淡い色合いで、やさしくひそやかに咲く。
雑草と呼ばれる草にも小さく美しく花がつく。

 

 

草の花秋草をきちんと使い分けましょうね。自分。

 


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2022年8月29日 (月)

自句自解1 明日帰る子に・・・  



自分の句を説明をするなといわれる。
外に出した時点で句は自分から離れる。あとは読み手にゆだねるだけである。
なのに、自句自解ってどうよ。という事だけど
ええやん。書いておきます。

句はザックリした季節にあわせ、ランダムにとりだしたもので他意はありません。
じゃ。いってみよう!

 

「明日帰る子に薄味の芋茎かな」
(あすかえるこにうすあじのずいきかな)2014・8月

 

季語は芋茎(仲秋)であるが、この句の中には盆休みで戻って来た次男。すなはち帰省子という季語を内在させている。

芋茎は里芋の茎のことで、手元の歳時記によると「通常は干し芋茎のことをいい水でもどして・・」とあるが
おっとどっこい。ここらの里では近在の農家で自家用程度には栽培していて道の駅やスーパーに出ることがある。
大阪の泉州産が有名で時期にはスーパーの店頭に並ぶ。
といっても、ごく短期間。お見逃しなくというところだ。
茹でてあく抜きして薄揚げと一緒に炊く。酢味噌でたべるのも美味しい。

関西だけのものだろうか。生粋のジモティの少ない土地柄によるものだろうか。
周辺の人に聞いてみると「なに?それ」「調理したことも食べたことも無い」と言われる。
大阪の女を親に持った私には馴染みのしかも大好物である。

歳時記にあるように「干し芋茎」を詠むのであればそれはもう季語ではないのでは?と私は思っちゃう。
季節に食べてこその芋茎。年がら年中食べられるのなら季感もへったくれもないのだから。

ココまで書いて、どんだけ芋茎が好きやねん。と我ながら思う。
俳句はどうした。そうだ!そうだ!

・・・・・・・・・・・・・

広い東京の片隅でこの人は毎日何を食べて暮らしてるんだろ
帰省したときくらいあれもこれも食べさせたい。
大好物は子どものころから「白い飯」
おお。よしよし一升でも一斗でも炊いてやるぞ。
美味しいもの。めずらしいもの。大好物。何でも作っちゃる。
「何がいい?」と訊くと「茶色いおかず」ときた。
そうかそうか。大得意やでお母ちゃん。

明日帰る・・明日こちら(私の元)に帰って来る
明日帰る・・明日そちら(東京)へ帰ってゆく
どう読まれるんだろう。

事実としては後者である。
薄味の芋茎が喜びよりも寂しさを含むような気がするんだけど・・
どない?

 

「自句自解」少し書きためようと思います


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さても出ました



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しばらくの間、俳句(自句自解)に特化して書きます
自分の覚え書きです。
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