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2012年9月

2012年9月30日 (日)

ゆうべのこと



小さな街に住んでますねん。
駅を挟んで南のエリアと北のエリアがあります。

南のほうは、開発されてもう、45年くらいかなあ・・
あたしの住んでる北のほうで・・
それでも40年にはなると思います。

引っ越してきてしばらくすると、北エリアの方に路線バスが走るように成りました。
其れまでは宅地開発業者がマイクロバスを出してくれていました。

路線バスが通った時は嬉しかったです。

そんな「ありがた~い」気持ちもあるのか、この町の人ね、バスを降りるとき運転手さんに「ありがとうございました」って言いますねん。

特にウチの息子たちの若い世代のほとんどは「ありがとうございました」って降りていきます。
ソレをみている、中高生も同じように言ってます。

昨日、クラブ活動帰りのそんな子たちと一緒にバスを降りました。
夕方6時半。台風のせいかもう薄暗くて、ポツポツと雨が降りかけていました。

交差点の先のほうで、年配の男性が女子中学生に何か訊ねている様子。
横を通り過ぎようとした時、少し気になったので声をかけました。

「Shall I help some?」イヤ日本語でですが・・

バスを降りたものの、自分の家が判らないとのこと。
3丁目に住んでいるとおっしゃいます。

「わたしが、お送りしますから大丈夫ですよ」と言って、心配顔の中学生に笑顔で目配せをしました。

それからが少し大変だったのですが、
自治会名簿をさがしても、言われる名前がみあたりません。
「ああ、それは家内の旧姓でした・・」とかおっしゃって。

やっぱり、警察か・・と思ったとき、
よく似た名前が2丁目にありました。ビンゴ!

おしゃれなパナマ帽を被り、センスのよい服装。
背筋もシャンとしておられます。
今日は、梅田まで出掛けての帰りだそうです。

最近、バスの路線が変わったり、停留所が増えたりしましたからねえ。判りにくいですわねえ・・
暗くなるのが早くなったし、この辺り、よく似たお家ばかりですものねえ・・

ありったけのフォローをしながら、車でお送りしました。

それで、やれやれなのですが、

出てこられた、お家の方。
娘さんか、お嫁さんか・・・

車のドアを閉めかけたおたまの耳に「叱り声」が聞こえてきました。

・・う~ん。

気持ちはわかるけど、
なぜ一言「お帰りなさい。無事でよかったね」って
言ってあげられないんだろ。
家にたどり着いてほっとしている、その人になぜ添ってあげられないんだろ・・

今後の対策はそれから考えればいいのに・・

 

って思いましたのよ。

 

舅・姑・親を見送り、自分の大変さを忘れちゃったから、そう言えるのかもしれないけど、

そうしたほうが、なによりも「自分自身」(娘さん。お嫁さん)が安らぐのになあ・・と思いました。


 


 

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2012年9月28日 (金)

時間の使い方



九月、十月と大阪まで用事で出掛けることが多いのですが、もう少し街に住んだほうが暮らしやすいのか・・・って、今更ながらおもいます。

時間を効率的に使いたい。

バスと電車の往復だけで2時間以上かかりますねん。

とにかく、15時55分には家に帰りたいわけですよ。
もうね、残り時間も限られてるんやから、ぼんやり時間使ってはいられないわけです。

で、今日も帰宅したら21時や。
目標は15時55分やのに!

明日もどうしても西梅田まで行かなあきません。
まあ、明日は土曜日やから、遅くなってもいいんやけどんね。

学校に遅刻する夢を良く見ます。
京子ちゃん(同級生)とホームに入ってくる電車を横に見ながら全力疾走ですわ。アレに乗らないと遅刻や~~~。
夢でも結構、疲れまっせ

夢占い師・マーニャによると、「やるべき事ができていないことへの焦りの気持ち」らしいです。
やるべき事って大したことではないのですよ。
ノートを買い忘れているとか、お礼状を書いていないとか・・ちょっとしたことなのです。

老後の楽しみの旅行ブログね。
去年のシチリア編があと3日分、残ってますねん。

皆さんにとっては、どーでもようございませうが、
さっさと、書いてしまいたいんです。

ええ。そんなキチンとした人間ではないんですよ、むしろ、チキン野郎です。
いえ、女性だからチキンおばさん。

で、もう、次の旅行が迫ってますねん。

ちゃっちゃとしようぜ!おたまちゃん。

でも、今から「草間弥生」をテレビでみますねん。

録画?

そんなんしません。録画しても、再生する時間がない。
変な理屈だけどね。

それで、15時55分に家に帰りたいんです。
「相棒」の再放送をやってますのでね。

どんだけ、好きやねん。
いえ。別に好きでもないのです。
ルーティンワークやね、いわば・・

途中で、前に見たことがある!って思い出します。

毎回。

あ。草間やよい始まるわ・・・

ほんじゃ。ここらで・・

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と、いうことで、NHKスペシャルを見てきました。

天才は辛いね。
私と、同じこと言うてはった・・・

わたしには時間がないから・・・

で、草間さんは絵を描く。おたまは遊ぶ(てへっ)

写真は4月に行った大阪国際美術館にて・・です。

 


 


 

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2012年9月27日 (木)

芸術の秋



ゲージュツの秋ですね。
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天才グッ坊もピアノレッスンを始めましたの
時々、おみ足でも弾きますがね。

ゲージュツは爆発ですから

タオルケット敷いてますでしょ。
これ、息子達が保育所で使っていたものなんですよ。
ピアノも息子のです。

またまた季語のハナシですが
「美術展覧会」「二科展」「日展」って秋の季語なのですよ。
美術展なんて、年がら年中やってるのにね。

 

 「秋日傘預けて入りぬ美術展」 おたま

これじゃ季重なりになるのかしら?

ある時、あるご婦人の庭の草を抜いてあげました。
お礼に、どれでも好きなのを持って帰って!って絵葉書の束(重ねると40センチくらいあったかなあ)を出してこられました。

若い頃から美術館めぐりが趣味で、展覧会の度に買い集めておられたそうです。
もう、美術館どころか、近所への外出もままならぬようになっておられました。

数百枚の中から、わたくしが選んだのがこの二枚です。

 

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おびただしいハガキの山から抜き取った二枚が
なんと、同じ作家のものでした。

長谷川 潔

 

前記事に載せているのも彼の作品です。

後から知ったのですが有名な方だそうです。

「あら、貴女、ソレを選んだの?」
にっこり笑ったその方も、もういまは居られませんが

夫が亡くなったとき
「これからは、綺麗なものだけを見て、きれいな音楽だけを聴いて生きていきなさいね」
と、言われました。

あの、ご婦人も綺麗な景色や絵や音楽に慰められておられたのかなあ。

ゲージュツなんか全く縁遠いと思っていたわたくしも、最近少しはその言葉の意味がわかるような気がしています。

 


 


 

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2012年9月26日 (水)

暑さ寒さも・・



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昔の人の言うことに間違いはないですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」ってね。

朝夕、空気が冷たくなってきたけど、「今が踏ん張りどころ」やねんで!
未亡人おたま、いつまでTシャツ一枚で過ごせるか、
果敢にアタックしてみようと思うています。

「頑張る」ってそういうことと違うんかなあ・・
イヤ、語法をまちがえました?
違うんと違うかなあ・・

その前に「頑張りどころ」を間違ってるかなあ。

以前住んでいたところの近くの幼稚園では
裸マラソンが名物で、
真冬でも裸にはだしで園庭を駆け巡りますねん。

佐々木さん(友人)がその幼稚園でセンセしてて、NHKの朝の番組で放送されるから見てねといいました。

期待したのに、佐々木さんはパンツ一丁ではありませんでした。それどころか厚化粧。

そんな、したたかな佐々木さんが言うてはりました。
夏から秋の変わり目。ここが大事やねん。
ここで、子どもに頑張らせるねん。
お彼岸の頃が大事やねん・・・って

俳句では「秋暑」という季語があります。

夏を引きずっている「残暑」と違い、もう既に秋にはなっているけど日中は暑い「秋暑」。
お昼間のことを言っているのだけど、ひんやりする夜の空気を想像させる季語です。

「残暑」は初秋の季語として扱われ「秋暑」はその傍題として載っている歳時記が多いようですが、全く違うものだと思います。

な~んてね。
えらそうに言ってますが・・
なかなか、使い分けが難しゅうございますのよ。

 

 「赤信号に集まりて来し秋日傘」 おたま

 

なんだか、今日も日射しが強そうだけど、今からちょっとお出掛けしてきますわ・・。


 


 

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2012年9月24日 (月)

季節の変わり目



昨日の記事ね、映画「にあんちゃん」のことを書いたんだけど、
それは、その前日の新聞記事がきっかけなんだけど、

実は、その(新聞記事を読む)前夜、
頭の中(かなあ・・)に「にあんちゃん」という文字がひらめいたの。
何の前触れもなく、脈絡もなく・・

たまたま、Wordで俳句の整理をしていた時だったので、グーグルでなんとなく、「にあんちゃん」を検索してみたのです。
そうそう、学校でこの映画みたっけなーと思いだしました。

それで、翌朝、新聞で「にあんちゃん」という活字をみたとき、不思議な気がしました。

そんな経験、皆さんにもおありではないですか?

ただの偶然の一致かもしれないけど、
あたくしの場合、一回そういうことがあると、続けて起きることが多く、今日も新聞の死亡欄をみて「ああ、この人のことを昨夜考えてた・・」とか。
何となく、口ずさんでいた唄がラジオから流れてくるとか・・

それが、なぜか秋に多いんです。

 

自分が生きてる、ちょっとだけ先の時間を感じる・・というのかなあ、うまくいえないのですが・・

まあ、大したことではないのですけどね。

電話が鳴って「おたまちゃん、何か変わりない?」
「ううん。何にもないよ」
「だったら、エエねん・・・」

という、友達からの電話。

そういう、電話があることを既に承知していて、用意してあった通りの「ううん、何にもないよ」という返事ををしている自分・・

そんな経験、ありませんか?

やっぱり・・季節の変わり目かなあ・・

大丈夫か~~自分~~

 


 


 

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2012年9月23日 (日)

にあんちゃん



今朝の朝刊「武士のサムライ」に「わたしが愛した日活映画」という読者アンケートのランキングが載っていました。

今年は「日活」の創立100周年だそうです。
皆さまの栄光のベストスリーは何でしょう?

それを見てね、胸がキュッンっとしましてんよ。
・・・第10位に
「にあんちゃん」(今井昌平監督)が入っていたから。

小学校の講堂で見た記憶があります。
教室から椅子を運んでね。パイプ椅子とちがいます。「木の椅子」です。重くってね・・。

お話は九州の炭鉱で働く両親を亡くした幼い兄弟一家の末っ子「末子」さんの日記を元にしたもので、「にあんちゃん」とは二番目の兄さんのことです。

私は小学校の低学年だったと思うけど、何か大泣きしたのを覚えています。
記憶にあるのは、にあんちゃんがどこかのお家に貰われていくのね、そこは(たぶん)お豆腐やさんだったと思うけど、そこにも子供が沢山いて貧しいんです。

裸電球の下でごはんを食べるシーン。辛かった。
にあんちゃんは逃げて兄妹のところに帰ります。
で、まだ子どもなのに東京に働きに行って連れ戻されます。

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戦後十年足らず、国中が貧しかった時代。
その中で幼い兄妹だけで生きていかなければならなかった、その暮らしぶりは現代の人に理解してもらえるでしょうか。

150円ばかりの教科書を買えないのです。
お金を持ってきた人から順に教科書が渡されます。
お弁当を持っていない子はお昼になると運動場に出ているしか仕方がないのです。

そんな暮らしが少し前の日本にあったのです。

子どものころ住んでいた博多は、市内中心部からでも、東の方角にボタ山が見えました。
天神町の交差点に11階建ての「天神ビル」というのが建ちまして、それが、市内で一番高い建物だった頃ですので見通せたのです。

大きくなって、色んなことを知っていく中で、当時どのクラスにも在日韓国朝鮮人の子がいたのはどうしてなんだろ・・って。それは、炭鉱と大きく関係していたんだな・・って。
学校では教わりませんから・・。
そんなことがきっかけで、日本の近代史に興味を持っていくわけですが・・

末子さんも在日韓国人でした。
この世代の方ですから二世です。

大人になってからの友人で二世の人がいますが、知らないことを沢山教えてもらいました。本当に知らないことだらけでした。
友人は頭の良い人だったので、親御さんが学問に力を付けさせます。
日本で生きていくためには「学力」だといって・・

親のいない末子さんや、にあんちゃんはどうだったのでしょう。
ネットで調べてみたら、印税のおかげで、それぞれ早稲田・慶応大学に進まれました。
勉強の好きな人が、勉強を続けることが出来た。
そのことに、少しホッとしました。

今は静かに関東地方でお暮らしのようです。

時代背景や、炭住や、ボタ山を知っているワタクシにとって、忘れられない映画・「にあんちゃん」

ベストテン入りしているのは、それだけ多くの人のこころの名画として記憶に刻まれているのでしょう。

二年前、九州旅行のとき、「あれがボタ山ですよ」と教えられました。
形こそ特徴のある三角形でしたが、緑の草や木に覆われ、私の知っているボタ山ではありませんでした。

 

 「ボタ山にボタの色無くいぼむしり」 おたま
                      (季語・いぼむしり)

 

いぼむしり=かまきり



 

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2012年9月18日 (火)

九月十七日



10年前の9月17日。
小泉純一郎総理が北朝鮮を訪問し、金正日総書記と同じテーブルに着いた。
その映像を、ローマのホテルの部屋のテレビで見ていました。

暗雲から晴れ間が見えたように思えたのは気のせいだったのでしょうか。
日朝平壌宣言から、この日でちょうど十年になります。

別々に、海外旅行はしたけど、夫・ひっちゃんと二人の海外旅行はそれが2度目でした。
子どもも大きくなったし、これからは遊ぼうぜ!
だって、いっぱい働いてきたんだもの・・

なんて、話しました。
それから三年後にひっちゃんは亡くなります。
その年の秋にはスペインへ行く予定でした。

だから、「あれから十年」って特別の思いがあります。

今日のお花

004_copy
デンファレ/美人
ハイブリットスターチス/いたずらな心
レザーファン

古い読者の匿名2さん。から
「おたまさん、此の頃、「政治ネタ」書かないね」
ってご指摘がありました。
わかったぁ??

思うこと、言いたいことは山ほどありますわ。
腹にゃいちもつ、手にゃ荷物ってとこかしら。
原発のことだって、領土問題を含む外交のことだって・・・
小市民なりに思いも、考えもごじゃいますのよ。

でも、ここ(ブログ)って誤解を受けやすいこともある。
誤解にびびってるわけじゃないけど、
あたしの、舌足らずゆえに、本人の思いと違う風に受け取られるのが困る。
なにせ、一方通行の発信だからね。

匿名2さん。そゆことで、良ければメアドお知らせくだされば、じゃんじゃんばりばり、メールするかも。しないかも・・です

まあ、これだけ国のトップや外務大臣が変われば、北朝鮮も拉致問題をまともに取り合わなくなるわよね。
国政と別のところで、太いパイプでもあればね・・

拉致問題が言われだした1970年後半のことです。
身近な人、20代前半の男性が、バイクが趣味で夏休みに日本海へでかけたまま、消息が途絶えました。

バイクも見つからず、
母子二人暮らしで、ものすごく親孝行な人でしたから、お母さんを残して家出は考えられません。

当時、散々手を尽くしましたが、判らないままです。
真実は全く判っていません。

10年前ローマのホテルで、その人のことを二人で話しました。

ひっちゃんの後輩でした。


 


 

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2012年9月17日 (月)

桂三枝



お手洗いから廊下にでると、一人の男性が前に立ちはだかりました。
右へ移動すれば右へ。
左へ行けば左へ・・・。

女の子への、ベタなちょっかいの出し方です。
顔をあげると、藤色のジャケットを着た

桂三枝でした。
当時、「ホネホネ」というニックネームでした。

場所は、大阪は千里丘にあった毎日放送。
女の子は、そう、まぎれもなく「女の子」だった、おたまです。高校生でした。

「歌え!MBSヤングタウン」というラジオ番組が始まったばかりで、その夜の放送の分を夕方に公開録音をしていました。
友人のセツコのその又友人(他校生)が、番組司会者である斉藤努アナウンサーの熱狂的なファンで、私達もよく毎日放送へ遊びにいきました。

3時05分に授業が終ると、制服のまま電車、バスと乗り継ぎ、国鉄(当時)吹田か千里丘の駅から毎日放送のバスに乗り込みました。

中高生のリスナー50人ばかりが、一室に集まるのですが、放送局の機材や雰囲気やゲストでやってくる、ゲーノージンが珍しく、わくわくしました。

三枝さんは、当初、月曜日だけの出演でしたが、斉藤アナが甲子園の実況で忙しくなるとかで、他の曜日も任されていくようになりました。
当時、無名で「どうも、関大のオチケン(落語研究会)の人らしいで」ということでした。

(ほんまのとこは、既に文枝師匠に弟子入りされていました)

アノ頃は、落語ブームで、どの学校にもオチケンがありテレビの素人参加番組に友人が、ようでてましたな・・。
おたまは、小米さん(後の桂枝雀)のファンでした。

その後、この番組は人気がひろまり、公開録音もハガキで申し込むようになっていきますが、それでも、開始から一年ばかりはブッツケで入れてもらったような記憶があります。

フォーク全盛期で、この番組からプロになった人も多いです。
ロックキャンディーズ・ウッディウー・ジローズ・・・
みんな学生でした。
ケメ子の唄のザ・ダーツは当時高校生じゃなかったかなあ・・。
ウッディウーの「今はもうだれも」はロックキャンディズの谷村新司がリリース。
アリスのデビュー曲となりました。

番組の放送開始から一周年を記念して、難波の体育館で、「ヤンタンフェスティバル」が開かれました。
たぶん、セツコが手配してくれたのでしょう。
古くて、汚い「大阪府立難波体育館」にいきました。

これが、後のテレビ番組「ヤングおーおー!」の原型になったと思っています。

その中で、桂三枝さんが「落語」を一席なさいました。

もう、本当に気の毒になるくらい、だ~れも聞いていない。
中高生は、残酷です。
面白くなければ、騒ぎ出す。

ネタは何だったか覚えていませんが、私語と野次で、騒然としたなかで、「三枝、可哀想過ぎるな・・」と話したのをおぼえています。

その、三枝さんが大名跡六代目桂文枝を継がれ
今朝の新聞のテレビ欄には

天下の「NHK」で8時15分から11時まで、2時間45分もの特別番組です。

落語家の襲名は芸風の踏襲ではないというのはわかっていますが、先代のはんなりした、語り口を知る人は、あの、味わいのある色っぽいおかみさんをどこぞの、どなたかが、引き継いでくれてはいまいか・・と思うものです。

三枝さんしかできない、三枝さんの新作を培われた努力は凄いとおもいます。
それも、すべて、アノ日の難波府立体育館から始まったのではないかと・・・
ま。言い換えれば、大騒ぎしていた我等中高生が育てたんや!

 

なんてね。

 

しかし、エライ昔の話になったんやねえ・・


 


 

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2012年9月15日 (土)

鍛錬会報告



は~い。帰ってきたわ。ウルトラマン。
疲れました。
力、出し切りました。

昼、夕、夜、朝、と句会。

 

もう・・すかっらかん。
やっぱ、アンデスのふもとはキッツイっすね。

恒例の俳句一泊吟行「鍛錬会」に行ってきました。

そして、怖かった、

トシちゃんのスッピン。

どないなってるんやろね、あの人のメイク
もう。別人28号やわ(と、オヤジギャグ)

・・・・メイク

 

メイク・・めいく・・名句?
そんなん、できるわけおません。

飲んで飲まれて飲まれて飲んで・・
合間合間に句会を挟み、
更に、飲んで、且つ、句会。

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宿泊した施設です。

天然温泉も湧いています。

 

004_copy ロッジ棟です。
こんな建物が、いくつもあります。

 

この日は、学生さんたちも合宿中でした。、ライフル射撃のクラブだそうです。

 

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まだ、な~~んにも焼けていないのに
箸を持つ人、ビール空ける人
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と、とりあえず、火をおこしてからの
ハナシや。
みんな、働け~。

苦吟中
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好きな樹の下に座って・・
あっ。右はトシちゃんね。例の・・

夜は「袋回し」をしました。
一人一人が、好きな言葉を書いた袋を、隣にまわし、その言葉を使って句を詠んでいきます。
書いた短冊は袋に入れます。

制限時間3分。でお隣へまわします。

一周したら、人数分×袋の数の句ができています。

とっさに作った方が面白いものができるようです。


 


 

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2012年9月13日 (木)

鍛錬会



秋の一泊吟行をどこにしようかということになり、
一年前(前回の家島)から、計画は始まっているのだけど・・・
決まったのは、つい三週間まえ。

「四国」が「小豆島」になり、「姫路」になり
ついに、車でぴゃ~っと行けるところに成りました。

前回の「兵庫県立いえしま自然体験センター」がすごく良かったので、今回も兵庫県の施設を利用しましょう。ということに成りました。

うちら、青少年か!

まあ、家島は「海」だからね、おっちゃんも、おばちゃんも大はしゃぎしたわね。
海はきれいやし、お魚は美味しいし・・
今度は「山」です。
やまがのサルが山見ても、嬉しくもないかもね。
絶対、名句は生まれへんわ!自信持って宣言します。

って、海で名句ができたか・・・んなわけないですが。

S郎ちゃんから昨日電話があり
「おたまちゃん、明日、車に乗せていってな」

「え~~~!」

そんなん。お酒、飲まれへんやん
あっ!そうか、宿泊やから関係ないか!

「うん。ええよ」と機嫌よく、お返事しました。

S郎ちゃんは、お家のガレージにイヤというほど、車のお尻をぶつけてからというもの、妻、M子さんから運転禁止命令が下りています。

ぷぷぷ

というわけで、出発はゆっくりなので

時間つぶしにブログ書いてます。

いうても、俳句の鍛錬会ですのでね。

気分は、オリンピックの強化合宿で、アンデスのふもとを走るくらいの覚悟ですねんよ。(嘘)

あっ!その前に、宿題の7句、まだ出来てへんがな・・

あたふたあたふた。

 



 

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2012年9月11日 (火)

ダッコちゃん



暮らしを楽しむとは、どういうことでありましょうか。

それは、アート

アートでっせ。お分かりですか?

Ako015_convert_20120911224305_cop_2 情けない、ダッコちゃん
では、ありません。

アートです。

「call」とあるからには、
何か使途があるらしい・・

叩いたり、押したり、してみる。
結構、硬質。

電線みたいなのがつながってるんだけど・・

・・・・・・応答ナシ・・・

ダッコちゃん
フラフープとダッコちゃんって、どちらが先に流行したのかしら。

別に、欲しくもなかったけど(いや、欲しいって言ったのかな)黄色いフラフープを持っていました。
大人も子どもも、腰をまわしてました。

そのうち、「腸ねん転」になるという噂(?)が立ち、だれもフラフープを廻さなくなりました。(以上、おたまのご近所での話しだから、事実誤認があるかもしれません)

ダッコちゃんは、別に欲しくもなかったけど(いや、欲しかったのかな)
ひろちゃんが、まず買ってもらいました。
でも、そのダッコちゃんは、ウィンクしないダッコちゃんでした。
(ダッコちゃんの実物をご存知無い方には分かりにくい話でしょう?)

で、母が呉服町の博多大丸に2時間並んで買ってきました。
おたま’Sダッコちゃんはウィンクもしたし、定価の180円でした。

うどんが40円くらいの時代なので、今の価格で2000円くらいするのかなあ。

流行にダッコちゃんが追いつかなくて、バッタモン(まがい品)が出回っていました。それは、もっと高価で、おまけにウィンクしませんでした。
ひろちゃん一家はつかまされたのです。

さすが、デパートは正しい商売をする!

と、子ども心に思ったものです。

Ako037_convert_20120911224211
この、おうち

小ネタ・パラダイスとちゃうよ・・・

ひろちゃんの家じゃないけど
絶対、ダッコちゃんに思いいれのある方が住まわれてるって睨んでます。

(ひょっとしたら、ドンガバチョも・・)

でもね。このダッコちゃん、ヤケに重い。
どうも、ボーリングの玉でできてるみたいです。

ああ。ダッコちゃんの説明の途中でしたね。

ビニールをぷーっと膨らませたお人形でね、
それを、二の腕に抱きつかせるの。

だから、何?

お尋ねになるのね?

だから・・アートやねん。

で、若いお姉さんが街を闊歩していました。

アートやったなあ・・



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2012年9月10日 (月)

女暫



大阪松竹座、夜の部
女暫(をんなしばらく)を見てきました。

当月の松竹座は中村勘太郎改め六代目中村勘九郎の襲名披露ということでございまして、病気療養中の五代目勘九郎に代わる父親の務めを果たすにふさわしい「人間国宝」玉三郎さんの華やかな、これぞTHE・ 歌舞伎の舞台でございました。

数多い歌舞伎劇のなかでも、その、ほとんどが男性が主人公。
これを、すぐれた女方が演じたら・・いや、演じてほしい
という、観客の憧憬を形にしたのが
「切られお富」や「女定九郎」・・というふうに、当たり狂言の主人公を「男」から「女」に書き換えられた演目なのです。

逆にいいますと、立役に匹敵するほどの、魅力と芸と貫禄を兼ね備えた、圧倒的な立女方でなければ、勤めることの出来ない演目といえるでしょう。

その時代を代表する女方に邂逅することは、非常にラッキーであるといえるかもしれません。

お話というのはこうです。

いい者と悪い者がいて、悪い者がいい者に理不尽な裁きをしようとするところにスーパースター(巴御前)が

 し~ば~ら~く~

と、ちょっと待ったコールをかけて花道より登場し、やっつける。

ハイ。
話はコレだけのことなんです。

コレが、面白い。
お江戸の顔見世では、毎回毎回登場する定番メニューだったそうです。
登場人物(良いモン・悪いモン)の際立ちキャラがいつもいつもいつもいつも、同じ。
真っ赤な顔の腹出し。鯰と人のハーフ・・・

歌舞伎デザインのすごさを思い知るのも、このお芝居です。

この日はラッキーにも花道横の席でした。
身近で見ると生身の役者さんの息使いも感じられていいもんです。

あと、皆さんのふくらはぎを見て思ったんやけど。
歌舞伎役者ってアスリートなんやね。
筋肉のつき方が美しい。
思わぬ発見でした。

 


 


 

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2012年9月 8日 (土)

大丈夫ですかあ



エミリーと梅田で待ち合わせをしました。

「ゴメン。一時間、遅らせてくれる?」
家を出る直前に電話が鳴って、急いでたようなので、事情は聞かず「了解」といいました。

梅田に着くと、いつもより3メートルずれたポジションでエミリーが立っていました。
お約束のコンパニオン立ちです。

「ねえ。ワタシ、11時を12時にしてって言ったよね」
「うん。そうや。だから12時に来たやん」

「それが、おかしいねんよ。ワタシ、11時に着いてん
「な?おかしいやろ?」

「それは、おかしいというより、危ないな

11時に着いた彼女は、なかなか、おたまが現れないので(当然!)駅の時計を見て、ケータイで時間を確かめ、11時と気づき、それでも信じられなくて、家にいる娘に電話をしたそうです
「今、何時?」

あーたね
ボーッと生きてるから、こんなことになるねんよ。
で、一時間遅らせようとしたワケは何なん?

うん。(近くに住む)娘が「お腹が痛い」ってやってきたから、これはイカン!ワタシがついておかねば・・って思ってん。まあ、トイレに行ったら治ったんやけどね。

エミリーとの付き合いは長いけど
30歳の娘の下痢ピーに心を痛めるような
良妻賢母では決してない!

どないしたん。エミリー・・・

だいぶ弱ってるで!

もう、頼むでぇ!しかし・・
しゃきっとしてや・・・

などといいながら、蕎麦屋に入る。

おたまは、小さなお茶碗に麦とろごはんがついたお蕎麦を頼みました。
そして、ソレが先に運ばれてきました。

「いやっ!それ、美味しそうやな・・。ワタシ、それがエエわ。換えて!」

エミリー、どんだけわがままやねん!
絶対いやや。と申しました。

それで、とにかく先に口をつけようと思いましたら、お箸がついていません。
ぎゃ。お箸がない。キョロキョロ探していると

エミリーが言い放ちました。

「おたまちゃん。手に持ってるで・・」

もう・・わたしら・・おしまいやな・・

ううん。そんなことない

  弱ってるだけや・・・

でも、いいやん。
今日、会うということは、覚えていたんやから・・

うん。それだけで

  上出来や!!

 



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2012年9月 6日 (木)

ミセスT



秋風に乗って、オサレ心がときめく今日この頃
大人なマダムの皆さま、ごきげんよう。

この秋のトレンド(という言葉も古い)。
キーワードは三つ。

赤(ボルドー)。ベージュヒョウ柄

ついに、来ましたよ。ヒョウ柄

ホンマですって!この前、おひるごはん食べながら「ヒルナンデス」を見てたら、やけにお肌プルップルの男の人(何か、お洋服をコーデする人)が言うてはりました。

残念ながら、「ヒョウ柄」の服も靴もバッグも帽子も、その他小物も持ってないねん。
でも、ヒョウ柄好きの友達は持ってますねん

それでは、ご紹介しましょう!

際立つエレガンスの申し子たにもっちゃん。ミセスTを!

S_006_copy S_007_copy
こっちが前        こっちが後ろ

 

どうざんしょ
この、華やかさと品格の好バランス!
大人の余裕を感じさせるこの風格・・

(お断り)
彼女は「大阪のおばちゃん」ではありません。
○○マダムですのよ。ほほ。

あたくしよりカ・ナ・リお姉さんですの。

226_copy 笑顔の美しい
チャーミングな女性です。

 

とっても、いい人。

 

大好き。

この秋、彼女のおしゃれに、さらに磨きがかかることでしょう。

また、聞かなくっちゃね。

「そんなん、どこで売ってるのん??」

 


 


 

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2012年9月 5日 (水)

勉強会



今日は月に一度の「三国志」の勉強会でした。

ホンマはね、三国志なんて、何の興味も無いねん。

電車でバッタリ再会した婦人に「中国史」の勉強してるからおいで・・・
って誘われましてん。

5001_copy

 

実はこの方のお世話で、25年以上も昔、中国語を勉強していました。

 

「おたまちゃん。チーコン(気功)してるんやろ。なら、中国語勉強しなきゃ!」って誘われたのです。
ご主人が長年、交換教授として北京大学におられた関係で、また、ご自分も日本語を教えていた関係で留学生のお世話を、本当によくなさっていました。

 

当時の中国人留学生といえば、全員が国費留学生で、中国13億人のうちの超超エリートの方達が「先生」になってくださいました。

国立大学を出た人は卒業後決められた期間は国家機関で働かねばならないそうで、たぶん、今頃は国の中枢におられるのでしょうね。

7・8年は勉強したと思います。

しゃべれる?

「NO,」です。

以前、広州のホテルでボーイさんに「トイレットペーパー」をお願いしたら、うやうやしく「スリッパ」を持って来て下さいました。

「飛行機」が「北京」にしか聞こえないらしく中国人女性を路頭に迷わせました。

慣用句は若干通じるようで、上海でトイレを探していた明星氏には、一瞬だけ尊敬されました。

石の上にも三年といいますが、その倍以上かかってもモノにならなかったです。

アタシが中国語を辞めたあとも、先生が何人か代わり最後の先生が帰国されるまで、10年以上続いていたそうです。

 

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それで、この「三国志」勉強会は、10名ほどのグループなのですが、当時の中国語仲間が集っています。
みなさん、お年を召されました。
一番お若い方で、70歳だそうです。

 

 

 

既に8年かけて「三国志」を読んでこられたそうで、アタシが参加したこの春の時点では諸葛孔明もとっくに死んじゃってて、司馬一族も滅んでました。

しかしながら、三国志は蜀の滅亡までを抑えなきゃ!
国が滅びるときの悲しさ、
窮地に追い詰められた時、人はどう行動するのか・・
治乱興亡の歴史は、いかような人間ドラマで締めくくられるのか~~~

って、まあ、みなさん熱いこと。

たまには、先生の声が子守唄になってウツラウツラされる方。
耳が遠くなって、ずっと、耳に手を当てて、聞いておられる方。

独り言のつもりが、耳が遠いせいで大声になり、「殺し合いばっかりやな」とか「裏切り者やな」とか合いの手がはいります。

勉強会というより、月に一度、ここに来たら仲間に会える。
それを楽しみにしておられるようです。

げ。「三国志」やったん?
と、思ったけど。

なんだか、ほっこりした雰囲気のこの教室が気に入っています。

 


 


 

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