三田吟行・心月院
「夫婦墓梵字一文字涼しかり」 おたま
(めおとばかぼんじひともじすずしかり)
男前で金持ちでケンブリッジ大学卒業。身長180センチの明治の男は女性にもててもててどうしようもなかったそうでございます。
右が白洲次郎(1902-1985)
左が妻・白洲正子(1910-1998)
先日、吟行で訪れた、三田(さんだ)の心月院にある白洲家の墓地です。
白洲家は学者の家で、代々三田藩に仕え、そこの殿様である九鬼家の菩提寺に墓所が設けられています。
「葬式無用。戒名無用」の言葉を遺した次郎でしたが、墓には言及しなかったらしく、妻正子のデザインによる墓がありました。
ガイドをしてくれたS郎ちゃんのご友人によると、この石は東京の高級料亭の庭にあった石橋を持ってきた・・そうなのですが真偽の程はわからないので、「教えてgoo」にチクらないでね。
次郎は梵字でカーン(不動明王)、正子のほうはキャ(十一面観音)と彫られています。
あたくし、さり気なく書いてますが、こんなことウィキペディアにも載っておりませんわよ。(なんてね、やや、自慢)
数年前の白洲夫妻ブームの影響で今でも訪れる人が結構いらっしゃるとか。
3・4年前ですかNHKのドラマにもなり、次郎の役は伊勢谷友介さんという、メチャ男前の俳優さんがなさいました。写真で見る限り実際の次郎さんもメチャ男前です。
吉田茂の懐刀として戦後政治の舞台に強く印象をのこし、実業の世界でも日本の復興に尽くした・・・
日本人で初めてジーンズを穿いた伊達男は
日本人で(おそらく)最初に原発を推進した人物であったということ・・これもウィキペディアには載っていないでしょう。(また自慢。何を張り合ってるねん!)
そうそう、墓石の話に戻りますが、次郎が東北電力の会長のときダムの建設現場(只見川柳津ダム)でカッコイイ石をみつけて、墓用に持ち帰ったという話もあります。
でも、「戒名も葬式も無用」と言った人が、そんなものにこだわっていたのでしょうか。
よう、わからんです。
白洲家墓所の上方には藩主、九鬼家代々の墓所があります。
22代までは一箇所にまとまっているのですが、23代当主はキリスト教に宗旨替えをしたため別の場所にあります。
(心月院は曹洞宗です)
参勤交代で江戸(東京)に留め置かれた婦人達の墓も明治以降には此方に移されています。
「側室の墓は離れて夏落ち葉」 おたま
一昨日、三好達治のことに触れましたが
ゆかりの橋に碑がありましたので写真でご紹介しておきます
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コメント
さすが物知りおたまさん

我が家の本箱には白洲夫妻コーナーがありますが、知らんかったわー
ブガッティに乗った写真大好き。
憂国の志士、愛国者、陰謀家・・・魅力的な人ですよね。
投稿: kimi | 2012年6月20日 (水) 09時52分
男前で身長180センチってとこまでは一緒なんだけどな・・・
投稿: poo | 2012年6月20日 (水) 10時50分
地元の方は色々な研究をされているので、面白いエピソードを聞くことができましたよ。
次郎から上の三代の中では父、文平がもっとも豪放な人物であったらしく、ハーバードやボン大学での留学が長かったひとです。次郎の欧米流の考え方は父親の影響が大きいでしょう。
巨万の富を築きながら趣味に散財して破綻、次郎は英国から呼び戻されます・・・
儒学者として学問をやってきたのはおじいさんである退蔵までで、この方も大きな仕事をされています。
POOさん。
いえいえ。ビーサンと麦藁帽子では、poo氏に勝てる人はいません。
投稿: おたま | 2012年6月20日 (水) 11時10分
私も一時はまったことがあります。何しろ、
文句なしにかっこいい~(゚m゚*)
あのジーンズの似合い方はなんでしょう!?
ありえませんね!
奥さんもそろって、太かった。周りの思惑に惑わされず、自分を表現できる、信念を貫けるというのは、やはり万人にとっての憧れなんではないでしょうか。かくいう私もそんなひとりです。
投稿: Ryoko | 2012年6月21日 (木) 15時32分
明治の人ですからね。そりゃあ、目だってかっこよかったでしょうね(笑)
白洲家が仕えた三田藩(九鬼家)というのが外様でありながら徳川に愛され、珍しいことに歴代藩主の多くが養子であったそうです。
そんなことから、外の風を取り入れるという自由な気風があったのではないかと、勝手に想像しています。
投稿: おたま | 2012年6月22日 (金) 07時27分