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2012年6月11日 (月)

南イタリアの旅24 考古学博物館



昨日予告していましたナポリの考古学博物館です
2011sicilia_731_copy 入ったと途端に、コレですわ。

ぽっか~ん。

2011sicilia_732_copy
息を呑む美しさ。
裾の衣の透け感。大理石とは思えません。

素晴らしい彫刻群に圧倒されます。
2011sicilia_739_copy大きさがわかるように、人物を入れてみました

2011sicilia_736_copy
有名なファルネーゼの雄牛
2011sicilia_735_copy_2 こちらも、人物と比較してみて下さい。

2011sicilia_771_copy 興味のある方は

是非とも、
ここ(おたまブログ)ではなく、

ちゃんとした人の
ちゃんとした写真と説明をPCで探していただきたいものだと思います。

さて、中二階はポンペイ遺跡から発掘された、モザイク画が展示されていました。

見応えがありました。

絵画ではないのですよ。モザイク画です。

2011sicilia_744_copy 2011sicilia_745_copy 2011sicilia_750_copy
暮らしがいきいきと、もちろんモザイク画です。

2011sicilia_746_copy

2011sicilia748_copy_convert_2012061

キリがありませんね。
この辺にしておきましょうか。

結構、ゆっくり回ったのですが、3~4時間位時間をとってもいいかなあ。
と、思いました。



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コメント

このような古代ローマやギリシャの見事な彫刻を見てその芸術性に圧倒されると同時に、ふぁらんくす的には以前から彫刻の男性像に関して秘かな疑問を感じていた。
こりゃ地中海沿岸諸国地域の男性にしては、そのつまり、あけすけに言ってしまうと、ペニスが小さすぎやしませんか、ってんだ。
http://nurebumi.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/06/10/2011sicilia_736_copy.jpg
http://nurebumi.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/06/09/2011sicilia_753_copy_2.jpg
その見事な筋肉美の描写に比較してあまりにお粗末。
しかも、なんとなく包茎っぽい迫力のなさ。
女と見れば口説こうとするスケベなイタ公のご先祖様にしては、このサイズは嘘くさい。
ふぁらんくすは典型的な日本人であるからして、そのつまり、常日頃ヨーロッパ男性にはコンプレックスを抱いていたが、こういう彫刻はながめていてどこか親しみを感じてしまう(笑)。
これらの彫刻の制作時期はキリスト教以前と思うが、何かおちんちんを大きく造ってはいけないというモラル意識が彫刻の製作者たちにあったのだろうか。
あくまでも学問的にどういうことなんだろうかと云う疑問からコメントを書いた。


投稿: ふぁらんくす | 2012年6月12日 (火) 17時05分

ふぁらんくすさん
物事の、大・小というものは、比較対象があって初めてなりたつものです。
ご自分と比較なさっているわけですね( ´_ゝ`)フーン・・・
素朴な洞察力に拍手をお送りします

ずっと昔から、疑問に感じていたのですが、
「大きいことはいいこと」
なのでしょうか。
そんなもん。森永チョコレートに任せておけばいいのに・・
ワタクシはそのことに価値を求めません。
あ。おたまの嗜好などどうでもよろしかったかしら。

ギリシャ彫刻をはじめ、ヨーロッパの芸術は写実が柱としてあります。
だから、この頃の(そして今も)イタ公はこんなもんだったと、あくまでも想像です。

投稿: おたま | 2012年6月13日 (水) 09時38分

し、失礼な(憮然)。
僕は日本人といわゆる外人とで一般的に大小がどうかと言われていることで推論しているわけであって・・・。
僕は日本人として普通です!
謙遜しているくらいのつもりです。

それに写実が柱と言ったって、彫刻は美しい人体を描いているのであって、たとえば黄金比のように、人体のパーツにも最も安定し美しい比率の大きさがあるはずだ(仮にそれを黄金玉比と名付ける)。
「そのことに価値を求めません」はおたまさんの性的嗜好であって、それこそお好きなように。
僕は彫刻において人体のパーツがどの大きさで最も安定しているかの見地から、これは小さすぎやしませんか、と意見を述べたわけです。

おたまさん。次回のイタリアの旅ではそのような想像はぶっ壊してみたら〜。

投稿: ふぁらんくす | 2012年6月13日 (水) 16時24分

ふぁらんくすさん
お返事が遅くなりました。ご無礼の段、お許しください。
小さいか大きいか、おたま、深い知識があるわけではないのでよく判りませんのよ。
しかし、つらつら思いますに、これは、写楽の「手」と同じ意味合いではないかと・・。立派な役者の顔を引き立たせるために極端に小さな手を画き添えた、あの手法です。
たくましい肉体美を強調するためにやや、縮小気味に・・。
もうひとつ考えられるのは、ハレとケの区別。
どっちがハレでどっちがケかという疑問は横においておき、「バンビーノは入室できません」という部屋で見た絵画や彫刻の数々は、「そんな。あほな」というサイズでしたよ。ほとんど、二の腕!
だったので、ふと、そんなことも思いました。
おっしゃるように宗教的な、あるいは文化として、「小さく」表現するという意味合いがあるなら面白いですね。
きっとそんなこと、えら~い学者さんが研究されているでしょうから、もし、そうなら知りたいものです。
って、ま。そんなに興味もないかっ!てへ。

投稿: おたま | 2012年6月17日 (日) 00時32分

なにが「ご無礼の段」か、皆目見当もつかない。
えー、なにがご無礼の段ですか?
もしかしたら、ふぁらんくすが祖チンだってイチャモンですか(爆笑)。

>ご自分と比較なさっているわけですね( ´_ゝ`)フーン・・・
可笑しい。座布団二枚。

投稿: ふぁらんくす | 2012年6月17日 (日) 10時57分

ふぁらんくすさん
まあまあ、落ち着きましょう。
怒れば怒るほど、ご自分の首を絞めることになります。
昔の人はそれを「墓穴を掘る」といいました。
オット。また怒らせてしまいましたかね。
本当に、本当に申し訳ありませんでした。
・・・
あ。ますますドツボにはまってゆく気配。

投稿: おたま | 2012年6月18日 (月) 08時37分

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