平家栄華の夢の跡⑤
出し抜けに
大仏様。
合成写真ではありません。
阪神大震災後、神戸の復興シンボルと、言われた兵庫大仏です。
この、大仏様のお寺にて、平家夢の跡シリーズの最終回ということにしておきます。
そういうことですばい。さん。
しかし、口は禍の元って今も昔も一緒やね。
この人の、この一言が平家のイメージ。ひいては清盛のイメージをごっつぅ悪くしたのと違うかしら・・・。
この人というのは、清盛(松ケン)の奥さんである、時子(深キョン)の弟、平時忠(森田剛)です。
「平家にあらずんば人に非ず」 by 時忠
ナニ、調子こいてるねん!って、おとなしいわたくしでも、腕まくりしそうになるセリフですわ。
みんな、清盛の蛸入道!って思ってるけど私たちはもっと冷静に清盛の人物像を検証せんとあかんのと違いますやろか。
清盛って孤独であるが故に、思いっきり情の人だった。
グローバルな視点。決断力。武将としての器。
極悪人でも、負け組みでもないわ。
あんな、可愛くないキャラ人形アカンよ。兵庫県。
「驕れる者久しからず」
ほんまや!ほんまや!と我々に思わせたのは
清盛、ワルクナイアルヨ。
・・・・・・・・
森田剛のせいやわ。間違いないっ!
平清盛はここ、能福寺で出家し「浄海」となります。
ここは、天台宗のお寺です。清盛さんは比叡山とは仲が良かったんやね。だから三井寺と興福寺が手を結ぶのかしら(だれか、おせーて)
前にもちょっと、触れましたが、孤独な清盛は、重臣でもありながら多分兄とも慕っていた(7歳年上)平盛国(上川隆也)の邸で亡くなるのですが、その後、この能福寺ではない別のお寺で荼毘に付され(この荼毘を仕切ったのが能福寺の僧だった)ここに、分骨された。といわれています。
十三層の九輪塔もあるにはあるんやけど、本当に遺骨が納められているかどうかは???だそうです。
この、大仏様は清盛さんとは関係ないです。
鎌倉の大仏さんより大きいそうですよ。
阪神大震災後に再びこの、お姿が神戸の空に「ぬっ!」と現れたとき、勇気を貰った人も多かったそうです。
特筆すべきは、実はこの大仏さんの「真下」です。
「特別室」がありましてね。
近江の(名前忘れた)寺から、持ってきた、素晴らしい十一面観音が安置されています。
残念ながら「秘仏」として、非公開ですねんて!
それにしても、大河やけど、保元の乱にまだ入ってないの?
え?見てないのかって?
ハイ。見てませんねん。辛気臭くて。
コレだけ、宣伝したのにね。
血で血を洗う骨肉の争い。
ああ。楽しみやわ・・
始まったら、誰かおせーてね。
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