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2012年2月15日 (水)

懐かしき声



テレビのチャンネルは「回すもの」であり
ときどき「中断」の静止画像が映り
その「静止画像」さえ映らず、ザーザー言う時は
テレビを「叩いた」
頭(上)を叩くと映るときもあったが、大体はわき腹(横)を叩くと、気を失っていた人が正気に戻るような感じで、直った。

「ハイウェイパトロール」は日曜のお昼だったと思うのに、なぜか窓を閉めカーテンを引いて室内を暗くして見た。

テレビを見終わると、たいていは「ビロード製の緞帳」のミニチュアみたいな布をかぶせておいた。
ミニチュア緞帳には必ず「びらびら」が下についていた。

そのうち「室内アンテナ」なるものがテレビの上に鎮座して、放送局(チャンネル)にあわせて広げたり閉じたりした。
形は、ウサギさんの耳型に針金をまげたようなものだった。

室内アンテナだとNHK(受信料)が来ないって大人は言ってたけど、縁側を開け放して近所の人たちがテレビを見に来ていると、庭の隅っこにちゃっかりNHKの人がいて、「テレビ見ておられますね」なんて事にもなった。

NHK/NHK教育・RKB毎日・九州朝日・西日本放送・・・の4局だったような記憶がある。

中原美紗緒の「あんみつ姫」は月曜の夜七時からなのに、教会の月曜学校と重なり悲しかった。

わが家にテレビが来たのは、皇太子ご成婚パレードを観るためっだたので、1959年ということになりますか・・

その前は、町内の「散髪屋」さんだけにテレビがあった。
お客さんサービスの最先端。

散髪屋さん夫婦には子どもがなく、すごく可愛がってもらって、お客さんが帰った遅い時間にも入り浸って、テレビを見せてもらっていた。

たぶん、学校にも上がっていなかったと思うけど、記憶の中で始めてみたコメディドラマが

「おいらの町」(NHK1957)

それに、三崎千恵子さんが出演しておられた。

後に(ものすご~く後に)「寅さん」のおばちゃんとしての三崎さんを映画で見ることになるが、容姿よりも、あの「声」が何といっても魅力だったとおもう。

テレビ創成期の、見ただけで「懐かしい」と思わせてくれる役者さんが逝かれました。

ご冥福をおいのりします。

 

 


 


 

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コメント

三崎のおばちゃんは90歳だったのね。私の母と同じだわ!
寅さんは最初テレビドラマだったんでしたね。
最後はハブにかまれて死んじゃうのよね。
おぼろげにしか覚えてないけど、あの時のおばちゃんも三崎さんだったのかな?
テレビは子供のころ近所に見に行ったけど、相撲かプロレスばかり。
ドラマも大人向けで「事件記者」なんか好きでしたね。
この辺りは室内アンテナがなく、屋根の上に堂々とアンテナ立てたんで、
すぐテレビのある家がわかっちゃいましたね。

投稿: ばんび | 2012年2月15日 (水) 21時34分

いいなァ。
おたまさんでも、おバァちゃんになるんだ。(失礼)
伝わってくる。うれしそう....

投稿: ごんべ | 2012年2月16日 (木) 10時50分

ばんびさん
番組を選ぶという選択肢はなくて、大人も子どもも何でもかんでも見ていたような気がします。
「事件記者」ってやたらタバコ吸ってませんでした?今なら、クレーマーがうるさいでしょうね。

ごんべさん。
おお。ごんべさん。ありがとうございます。
「平凡」の子ですから、いたって平凡な子なんですよ。まあ、ちょっと可愛いかな

投稿: おたま | 2012年2月16日 (木) 13時31分

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