« 思い出のアルバム | トップページ | 大當り伏見の富くじ »

2012年2月20日 (月)

慶安の狼・丸橋忠弥



日曜日にお出掛けしたので、「子の子」のお風呂は
子の両親が入れました。

真綿嬢は沐浴を毎日見てるし、アシスト振りもカンペキで、平凡氏には前日(土曜日)にレクチャーしたので、
大丈夫やね。きっと。

おっとどっこい、すっとこどっこい

帰ってきたら「子の子」が鼻水たらしておりました。

うぇ~ん。何をされたんやろ。

多くを語らぬ両親を前にして、よよと泣きくずれるご先祖・おたまでござんすわいな~。

かわゆい、子の子に犠牲を強いながら行って参りました「松竹座2月花形歌舞伎・昼の部」

「慶安の狼」丸橋忠弥
「大當り伏見の富くじ」

二本とも新作モノというのは承知していましたが、二本とも舞台の「音」が録音とは、どういうことやねん

歌舞伎の「歌」は歌、音楽、サウンド
コレが歌舞伎の大事な柱やのに、ソレがなかったら、「歌舞伎」とチャウんとチャウんとチャイますか

どちらか、一本やったら、まあ堪忍したろと思ったけど・・・
長唄・竹本・清元・常磐津はもちろん。下座音楽も無し!

歌舞伎って生サウンドが楽しめるサイコーの邦楽ミュージカルとちゃうのん
緞帳が開く前から前時代的なじゃじゃじゃ~ん聴こえたときには、一年前の「男の花道」の悪夢がよみがえりましたで、イヤ。ほんま。

(ここから、獅童ファンはスルーしてね)

「慶安の狼」
大名家取り潰しの続く(劇の中では三年間で54家って言ってました)三代将軍家光の統治下。溢れかえる浪人のなかから、異議をとなえ、体勢を批判し、「どげんかせんといかん」と考えるのは当然のなりゆきでしょう。

主人公は、幕府転覆を謀る由比正雪(染五郎)一派の丸橋忠弥(獅童)。
彼の苦悩と悩みを、幼馴染、小弥太(愛之助)の友情を絡めながらの社会劇。

って、いうのですがね。

申し訳ない。
もう。一言でいわせてもらうわ。

○っ○○○(伏字にするところが、おたまの小心なところやね)

脚本の悪さ、演出の悪さ。
これを、一流の役者ならまだ、見せてくれるやろうし。そこそこ客を満足させてくれると思う。(その前に役者自身が脚本・演出に手を入れるはず)

獅童はまず、歌舞伎以前として、声が出ない。間が悪い。
自分のことでいっぱいいっぱいなのか、役の解釈が出来ていないのか、全く役に入り込んでいない。

棒読み棒立ち。

この、自信のなさはどうだろう。周りの役者もさぞ、呼吸が合わせにくいだろうと見ていてはらはらする。

友人、小弥太を殺せと命令される時の驚愕。
己の道と友人と間で揺れる苦悩。
体勢に対する怒り。
苦しみの中で突き進む熱情。

な~も。見えてこない。

細かい演出で言わせてもらえば、

正雪に命じられ忠弥を銃殺するはずだった、新八(宋之助)を逆に切り捨てるシーン。ここは、正雪への疑念が発生してもいいわけで(なぜ、短銃を持っていたか)あまりにも、あっさりしすぎ。

居酒屋で酒の勢いを借りて、小弥太に謀反を仄めかす忠弥。このシーンでも、アレだけ飲兵衛の忠弥がお猪口三杯で酩酊するか!?っちゅうの。
特大お猪口?んなアホな。落語と違うんやから、「クックックック~」ってそんなに、ようけ入ってるわけ、ないやろ、あのお猪口に!?興ざめやわ。
友と別れるここが一番のシーンやのに、なんやの。あの去り方は。余情も余韻も苦悩も決意もな~も。ない。

謀反が露見して、大勢の捕り手が乱入する立ち回りシーン。いったん、ふすまの奥に消えた忠弥。下僕八蔵が、その前で切り殺され、再び忠弥がふすまを開けて現れる。そのとき。

律義にふすまを閉めなさんな!

生きるか死ぬかのチャンチャンバラバラのときに

ありえへん!

なんかもう。おたま疲れたわ・・・。
これ以上怒ったら、おっぱいが出なくなるから
このへんで、やめておくわ・・・。

最後に一個だけ、褒めておきます。
丸橋家座敷の立ち回り。ヤリの名手らしく、大きくてよかったと思います。
庭の場より、良かった。
この人、セリフが無かったら、なかなかええやん。

ただし。ふすまは閉めたらアカン。



|

« 思い出のアルバム | トップページ | 大當り伏見の富くじ »

映画・歌舞伎」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、プーハニです。
「慶安の狼」
私も見てきました。が、
書いてあるシーンが記憶にない。
と言うのも その場面、寝てしまって
見てないのです
高いお金出して 寝るのは勿体無いのですが
ちゃんと最後まで見た おたまさんは偉いです。
「大当たり」は最後まで見ました。
あれはまぁ、歌舞伎ではなくお芝居ということで。
あぁ、この舞台見られてよかった、と
思える舞台に また出会いたいですね。

投稿: プーハニ | 2012年2月20日 (月) 15時26分

うわー、ちょっとお~、芝居の端くれに居るものとして言わせてもらうなら、
客を引き込む緊張感、思わず息を止めて見入ってしまうぐらいでなきゃ、失礼だわね。
閉めますか襖をねえ。歌舞伎って演出真剣にやらないのかしら?
新作でしょ?この作品が後世に残せるかどうかの瀬戸際にいるくらいの責任を感じてなきゃね。
それに録音なんて、ちゃうちゃうのチャウチャウ犬です!
見てないけど金返せって言いたい!
で、もう一本は?明日のお楽しみなの?

投稿: ばんび | 2012年2月20日 (月) 15時36分

中村獅童の顔 好きなんですけど^^
歌舞伎には、向いてないんですね^^

おっぱいでなくなるって…(ー_ー)

投稿: si. | 2012年2月20日 (月) 21時42分

ありゃりゃ おばあちゃんもう用無し?

投稿: poo | 2012年2月20日 (月) 21時48分

プーハニさん。
コメントありがとうございます。
そうですか・・。寝ましたか・・。
「ピンポン」でブレイクした彼を起用することは、若いファンの取り込みに成功しているかも知れませんが、長いスタンスで考えると、真の歌舞伎ファンを増やすということにはならないと思います。
松竹も彼を真剣に育てる気があるのか、疑わしいです。
一番良いのは、せっかくのチャンスなのだから、彼に大いに精進していただくことですが、役者は何というかセンス(=天賦のもの)だと思うので、なんともはや・・という感じです。

ばんびさん。
おっしゃるとおり、良い舞台や舞踊をみると、なんだか時間が止まっているかのように感じることがありますよね。
異次元・居空間に連れて行ってもらうために代金を払っているのですからね。

疲れちゃったので、続きは止めて置こうと思っていたのですが・・書くわね。

siさん。
たぶん、もっと活かせる場があるとおもうのですよ。
今は、少しお気の毒な気がします。

おっぱい・・関係ないか・・てへっ

pooさん。
だからねだれが・・
ば~・・やねん
どんどん、その気になってきたではありませんか。

投稿: おたま | 2012年2月21日 (火) 11時32分

獅童さんって、普段から立ち姿があんまり歌舞伎に向いてない感じ。猫背っぽかったかな。
あれって、稽古もあると思うけど、元々の素質もかなりあると思うなぁ。
間の取り方って、教えてもらうんじゃなくて、いくつもの舞台を見てはかるものじゃないのかしらん。(あまり知らないのにすみません)

投稿: のんぷーたん | 2012年2月23日 (木) 10時13分

のんぷーたんさん。
獅童さんは歌舞伎の枠から出よう出ようとする演技をされます。それは、本人の意図かも知れませんが、客のうち少なくともおたまは、居心地の悪さを感じてしまうのです。
意図していないのなら、ソレは向いていないということだし、意図しておられるなら、「現代劇」をなされば良いとおもうのです。

型を崩して、枠をはみ出しても「歌舞伎」として見せてくれる役者もいるわけです。その違いは何かなあと、思います。

投稿: おたま | 2012年2月23日 (木) 14時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 慶安の狼・丸橋忠弥:

« 思い出のアルバム | トップページ | 大當り伏見の富くじ »