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2012年1月25日 (水)

おじいちゃんの葬式⑥



伯父の家(葬儀会場)は角家でした。
塀の周りにずらりと「お樒」が立ちました。

もう、こんな光景は街では見なくなりました。

お樒(しきみ)は、2メートルくらいに束ねた樒を白い布で巻き、「○○より」などと書いて家の外に左右一対で立てかけます。樒は強い毒性があり、死体の臭い消しだと聞きました。ドライアイスの無い時代の人々の知恵でしょうか。

1985(昭和60年)の舅(ひっちゃんの父)の葬儀には、まだ、樒は立っていました。
今は、葬儀会館の中などに献花、供花として生花が飾られることが多いようです。

もっと小さい頃に住んだ博多では、黒いリボンを掛けた造花の「花輪」だったような気がします。そうそう。パチンコ屋さんの開店祝いの「黒バージョン」です。(博多の方、求む!情報)

「さすがまるいっつあんやなあ。エラいもんや」と、どこぞのおじさんが樒の数をを数えながら、いいました。

おじいちゃんを「まるいっつあん」と屋号で呼ぶのはもう古い付き合いのひとで、せっかく手広くやっていた商売も、M兄ちゃん(母の末弟)が潰しにかかっているところでした。

当時M兄ちゃんは22歳。
19歳で貰った嫁に逃げられ、
≪1日(きっしょ)に集金に行った≫といっては客に「商売のイロハも知らんのか」と怒鳴られ、
悪友は麻雀に誘いに来るし・・・ふわふわ、ふらふらしていました。

商売を嫌って、お堅いサラリーマンになった長兄は口も出せず、出す気もなく、「おじいさんは、いい時に亡くなった」などと言っていました。

おじいちゃんの碁仇でもあった、寺の「おっさん」(住職をそうよびます)は死に掛けてはりました(坊さんも人間です)

寺の跡継ぎは、ウチのM兄ちゃんのツレで、まあ「類は友を呼ぶ」系ですわ。
それで、誰が言い出したか「あんな、頼んないのん、あかんで。」と言うことになり、別のお寺から来てもらうことになりました。

その、寺選抜の基準は・・

「あそこの、おっさん。
    みば(見栄え)がエエから晴れ立つし・・」

躯体がいいという理由でお寺さんがやって来られました

 

そういえば(又話がそれますが)
舅の葬式の時、おばあちゃん(姑)はあわててはったのでしょう。別のお寺に電話を掛けてしまい、やって来たのは見ず知らずのお坊さんでした。

「え~~っ御宅なんか知りませんで」ともいえず、そのお方に一切をおまかせし・・・結局、付き合いのあるお寺では、うちの舅さんはまだ、死んでいないことになっていますの。でへっ。

お寺ってよう似た名前が多いし、やってくれることも一緒やし、いいのと違いますか。

今日は、焼き場から、葬式饅頭の話で終るはずでしたが、なんだか、書いていたら長くなりました。

では、明日は、ホンマにおしまいです。なんてね。


 

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ちびたま時代」カテゴリの記事

コメント

えへへ~ 実は勉強と言うのは漢検です。
このお話を見ていると、勉強で出てくる何のことやらと思うようないろんな単語が
ちゃんと命を持って活躍していたんだなぁということがわかって、
言葉が生き生きしてきて とても興味深く思います。

うちの父の実家は神道なので、お葬式はお祭りです(笑)
神主さんたちが舞うし、最後に魂が扉の中に入れられ、扉は閉まり、魂が上にあがります。

昔の手作りの葬儀も、今の葬儀も、送る人たちの、まだ故人が生きていた過去と
今を切り離すための心の踏ん切りを促すための儀式だとしたら、
今と昔では、故人と一緒に存在していたかった気持ちの深さに違いが生じているんでしょうか。
それとも変わらずにあるのでしょうか。
おたまさんは懐かしさを綴ってくださったんですよね。
全然違うことを思っちゃった。ごめんなさい(笑)

投稿: てんちゃん | 2012年1月25日 (水) 10時34分

まだまだ、終わらせたらあきまへん。(どこの住人?)葬儀の花、中部地方ではまだ造花の花輪出してますよ。生花は、会場の中に飾り、パチンコ開店モードのは外へ出します。ビニールなんかかけちゃって使いまわしてるのがよくわかりますね。名札は会社関係が多いようです。あまり出さなくなりましたけどね。樒も入口に飾ってます。白いリボンが垂れていて引き締まった感じがします。火葬場へはきんきら金の車かな~?

投稿: ばんび | 2012年1月25日 (水) 10時42分

楽しいのでずっとひき伸ばして書いててください
毎日楽しみに読ませてもらってます

投稿: ももち | 2012年1月25日 (水) 10時42分

博多出身・ヨシコです。
その昔、故郷の祖父母のお葬式では、自宅の周りを覆うように白黒の鯨幕が張られ、
これまたおたまさんのおっしゃるとおり、黒リボンのかかった花輪が
(生花の白菊オンリーだったように記憶しています)立て掛けてありました。
チーン。

投稿: ヨシコ | 2012年1月25日 (水) 12時25分

そう!パチンコ屋開店祝いの黒バージョンでした。昭和40年頃の記憶。博多より少し東の、煙モウモウの工場地帯でしたけどね。ご近所さんの活躍もあり。

同じ場所で昭和60年ともなると、黒花輪は無く、葬儀屋さんの広い会場内に花篭が立ち並び、ステージ上にも供花とフラワーアレンジメント。ちょっと、軽いイベントふう。

ちなみに、この葬儀屋さんは私の小学一年の同級生で、少しおまけしてもらえました。
一年生の頃、なんたって、車が珍しかった頃とて、そこんちのおじさんは私達をあの黒光りする車に乗っけてご町内ドライブしてくれた仲です。

投稿: ばのじ | 2012年1月25日 (水) 13時17分

てんちゃん
神道のお葬式には出たことが無いのですよ。
仏教やキリスト教なら阿弥陀さんやキリストさんの傍に行くとうい考えですが、神道はそこらへんが、どうなのよ。
神の宿るやおよろずに還っていくのかしら、自然・宇宙と一体になるんや・・きっと。
ああ、おたま、そっちがええわ。
と、一人ガッテン。ガッテン。ガッテン。

ばんびさん
そちらは、なんでも来いのなんでもありなのですね。
喫茶店のモーニングセットも何でも有りの、豪華なものだと聞いておりますが間違いございませんでしょうか。

ももちさん
じいちゃんの葬式で楽しんでいただき有難うございます。
ただ今、喪中につき、自分の中ではしみじみしておりますのよ。これでも。
でも、人の営みってな~んか可笑しいですよね。笑ってしまうことを「わらける」とコチラでいいますが、思い出すことみんな、「わらけ」ますわ。

ヨシコさん
ヨシコさんの「昔」とおたまの「昔」にさほどの時差があるとは、到底おもえません。・・・が。あれは「生花」だったのでしょうか。う~ん。そんな気もします。
チ~ン

ぱのじさん。
ひゃ~ぱのじさんって博多の方だったのですか。
ワタクシ、中州から向うは「博多」と認めておりませんの。
(↑聞いてるか~ヨシコ~)
うんうん。そいで、うちも、東ばい!
吉塚ですの。堅粕にもおったと。

そして、ふしぎなことに、車が珍しい頃、葬儀屋の例の車で町内ドライブしてもらった友達知ってます!

同じようなことをするオヤジだったのか、「同じオヤジ」だったのか・・

投稿: おたま | 2012年1月26日 (木) 09時02分

あ・あ、ちゃいまんねん、子供の頃に居たのは博多じゃなくてもっと東の北九州どすどす。お、バイリンガルですばい!
んでも、九州最後の一年は博多の、路面電車の電停でいうと確か大名町、これ、中州よりあっちのような・・。でもでもっ、吉塚も国鉄電車で毎日通過した時期もあった・・くらいじゃダメ?

どこの葬儀屋のオジサンも、車が自慢だったのでしょうね。それに、さぁご近所の皆さん早く乗りにいらっしゃいって宣伝かも。

母上をなくされて、寂しくなりましたね。
分かっていながら、この話題、まだ終わらないでほしいです。けっこう興味深いですよ。
おたまさんの元気の素になるといいな。

投稿: ばのじ | 2012年1月26日 (木) 19時55分

ぱのじさん
さ~すがぁ。博多んもんは情が深かかばい!
なに?大名?博多じゃなかばい。
ばってん。よかよか。

で、路面電車が走ってる頃に住んでおられたのですね。(まだある?もうないですよね)
千代町の専売公社の前から呉服町の大丸までは、なんとか子ども達だけで乗っていけたものです。
なつかしいなあ。
博多で老人ホーム探そうかなあ・・。

投稿: おたま | 2012年1月27日 (金) 09時56分

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