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2012年1月20日 (金)

おじいちゃんの葬式①



1965年(昭和40年)4月のことでした。

今から何年前?恐ろしく昔やね。

この日、おたま一家は、歴史学者やえらい先生がこぞって反対してメッチャ怒ってはった、「伏見桃山城」で花見をしていました。
前年の昭和39年に再建されたこのお城は、電鉄会社がお金を出して建てたものです。その名も「キャッスルランド」(ベタやなあ)ジェットコースターや観覧車があり、夢の国のようでした。
もちろん。テーマパークって言葉はありませんでした。

花見メンバーは、母、私おたま、若い衆数人。最近生まれた赤ん坊、その若い両親、おとなりのレイコちゃん・・総勢10名ほど。
仕出し屋で重ねのお弁当をとって、花茣蓙のうえに広げ、それは華やかなものでした。

ブルーシートなどという無粋なものが出回ったのはいつの頃からでしょう。

あたくしはなんと「お嬢さん」と呼ばれていました。
お坊ちゃんではないのでお嬢さんには違いがないけど
何だかねえ。

後にも先にも「お嬢さん」と呼ばれたのはこのわずかな時期だけです。
もっとも、今「お嬢さん」と呼ばれたら
「喧嘩売ってるんかいっ!」と凄まなければなりません。
「お嬢さん」と呼ぶ人がいるわけも無いので無用な心配はやめておきます。

それにしても、みのもんたは失礼な男だ。

このときの写真があります。
タータンチェックのスカートに若草色のカーデガン
少し酒井和歌子入ってます(もちろん顔以外)

週刊マーガレットをお小遣いで買い(50円)
外国人女優のピンナップを収集し
お気に入りのパティデュークショーを白黒TVで見る、ありふれた女の子でした。

そして、その夜、母の末弟のM兄ちゃんが車で迎えに来ました。
おじいちゃんが(母の父)が危篤とのことです

おじいちゃんは今、生きていたら118歳。
このとき数え年で72歳だったわけです。
あたしが、子どもだったからかも知れないけど、ものごっつう「おじいちゃん」でした。いつも和服を着ていました。

鬼の孫からは想像もできないけど「ほとけさん」と呼ばれてはりました。

その一週間前、ひょっこりと和服に雪駄のおじいちゃんがバスから降りてくるのを二階の窓から見つけました。

なくなる前にあちこち、お別れに行くというのは本当のようです。
後々の話では、ただ単に淀の競馬の帰りに寄っただけという話もありましたが・・・(当時私たちは宇治に住んでいました)

その日、片道一時間半のおじいちゃんの家まで送っていきました。
おじいちゃんちの近くの学校に通っていたので通学定期券がありました。
おじいちゃんは100円札を三枚くれました。

記憶の限りでは、「初めての葬式」を書き留めておこうと思います。

では又、あした。

 


 


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コメント

お葬式いろいろ考えること多いこの頃です。お正月早々、義弟から葬儀の準備をしておけと言われて、少々頭に来ていました。お母様の話を、読んでこれぞ私の目指すものだと思い、義父母たちの葬儀は義弟にお任せして、自分の時のために遺言を書いておこうと決めました。初めての葬式は母方の祖母でした。初めて母の涙を見て、母がどうかなってしまうんじゃないかと心配しました。人の死というものがなんなのかぼんやりと感じることしかできませんでした。
それにしても、おたまさんはパティデューク見てたんだ。ルーシー・ショウはどうよ?
私はコリー犬を飼いたかった。
いったいおたまさんは幾つなんだろう?
私よりちょっと年下だと思うけど…。ま、いいか。

投稿: ばんび | 2012年1月20日 (金) 23時33分

ばんびさん
アイ・ラブ・ルーシーも名犬ラッシーもアニーよ銃を取れもハイウェイパトロールもルート66も
ゆりかごの中から見ていました

親になって子と映画「グーニーズ」をみました。主人公の男の子がパティデュークの息子だったのには驚きました。

そこからでも、四半世紀はたっています。
長生きはするもんや。

母の「直葬」は良かったですよ。
葬式なんて「考え方」だとおもいます。
又、ブログupします。

投稿: おたま | 2012年1月21日 (土) 08時42分

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