細道を旅する
H子さんが有料老人ホームに引っ越す日がやってきました。
転勤族だったご主人様について、岩手に4年間暮らしたそうです。
赴任地を離れるとき、岩手の思い出に購入された屏風を、なんと頂戴しました。
与謝蕪村が芭蕉の「奥の細道」に絵を加えたもので、原画は重要文化財になっています。
旅の詩人芭蕉のしみじみとした深い趣に、蕪村の暖かな絵が良く合っています。
なによりも、蕪村が芭蕉のことをいかに尊敬し大好きであったか、芭蕉の旅心に思いを馳せたかが思われます。
「一家に遊女もねたり萩と月」
(ヒトツヤニユウジョモネタリハギトツキ)
の箇所です。
親知らず子知らずの難所を越え、疲れ果てて床に入ると、ふすまを隔てた向うに声がする。
若い二人の女と、関所まで見送ってくれた男の声だ。
「・・・あまのこの世をあさましうくだりて、定めなき契、日々の業因、いかにつたなしと・・・・」
嘆き悲しんでいるのを聞きながらねむりについた。
とあります。
遊女達は翌朝、旅のあまりの心細さに、
「見えがくれにも御跡をしたひ侍らん」
と、涙ながらに旅の同道を芭蕉たちに哀願するのですが・・・
「我々は所々にてとどまる方おほし。」
と、断ります。
神仏の加護は必ずあるので、誰彼となく、先を行く人の後をついて、お行きなさいといって、つれなく別れたが、
「哀れさしばらくやまざりけらし」
悲しみがいつまでも、何時までも去らなかった。
と記しています。
到着した土地土地での出会いと別れ。
ついには同行の弟子までもが病に倒れ去ってゆきます。
奥の細道は
旅は、「別れ」のためにあるものなのだと教えてくれます。
H子さん。どうぞ、お元気で。
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コメント
H子さんはいい所に、屏風の行き先を見つけましたよね
昨日の荒療法の話、全くの冗談じゃないみたいですよ。
友達の姑さんが話してくれたんです。
顔をバァッ!と全面に火をかぶって火傷をしたのが、皮がむけたら、きれいな肌になったのよ!
と話してくれました。
ああそうなんだ!とマジで信じました。
投稿: ちがや | 2011年9月26日 (月) 23時35分
ちがやさん。
H子さんの(たぶん)最後の旅路が平安で心楽しいことを祈るばかりです。
積極的に色々なサークルに入って楽しむわとおっしゃっていました。
顔面ヤケドの件
実は、実は、おたまさん。経験しているのです。炎というより、ガスの熱風を浴びまして、本当に一皮むけました。
その方が言われるとおり、再生されたのはきれいな皮膚でした。
・・・・・今は元の木阿弥ですが。
投稿: おたま | 2011年9月27日 (火) 08時32分