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2011年6月 2日 (木)

遊び歌


baseballbaseball


しかし、子どもをみかけないですね。
幼稚園バスの乗降場ですこしにぎやかな(ママの)声を聞くくらいです。

この間NANTEIさんが、蒋介石の歌を歌っていたという、お話があり、それはきっと下品極まりないものでありましょう。とおたまは睨んでいるのですがね。

子どものころ、お手玉やゴムとびをするとき意味不明な歌を歌っていましたね。

「蒋介石」やて!古っ!

clover

おたま達は「京マチ子」「山本富士子」が出てきました。
いや、待てよ。
「東郷元帥」も出てきたっけ。

note いちれつらんぱん破裂して 
  
日露の戦争始まった
  さっさと逃げるはロシアの兵 
  死んでも尽くすは日本の兵
  五万の兵を引き連れて
  ハルピンまでも攻め寄せる
  クロバタキンの首をとり 
  東郷元帥万々歳

 

clover

そして、ゴム掛けのときはこんな歌。

note きんし(金鵄)輝くにっぽんの 
  あいこでアメリカヨーロッパ
  ぱいのぱいのぱいの見物に 
  にんにん肉屋の大泥棒

clover

お手玉は

note 姉さんここは石が浜 
  も少し行くとせんせいの
  岡辺のお舟は何艘よ 
  数えてご覧一艘よ

clover

それから、こんなのもありました。

note 緑の花の咲く丘を ○馬車行くよまっしぐら
  朝鮮の山奥で 確かに聞こえる豚の声 
  ぶ・ぶ・豚の声

(○のところは、忘れました)

それを替え歌にして在日の子である○子ちゃんをはやし立てるのです。
子どもの世界は残酷でした。

clover

20世紀初頭の日露戦争が60年後の昭和30年代の子ども達の間で「あそび歌」として残っていたのですね。博多で覚えたこれ等の歌も関西では少しずつ違って歌われているようです。

「ゲタ隠し」の歌は、関西に来てから知りました。
とっても下品極まりないので、ここにはかけまへん。



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ちびたま時代」カテゴリの記事

コメント

おたまさん 例の頭の記憶箪笥開けましたが 余りストックありませんでした。
考えたら不器用で お手玉(京都はおじゃみいいます)もゴム跳びも参加せず本の虫でした。
(○○火鉢で)本読んで、よう怒られました 豚は中国の山奥で鳴いていたよう記憶しています
下駄隠しの唄はネズミと三味線屋が出てきましたが その前後にも放送禁止用語は無いと思うのですが
その道のスラッグなのかしら。
東京から来たひとに達磨さんがころんだを ぼんさんが屁をこいたと云って 目が点になられました。
息子が小学校帰り「一匹二匹あいの子」と歌っていて あいの子でをなくてアヒルの子と云えと云いましたが 
愛の子と云えばよかったかな? 私の子供の頃 回りに結構 混血児と呼ばれる子が居た時代でした。

投稿: youko | 2011年6月 2日 (木) 20時27分

日和見など、ちょろいちょろい。
洞ヶ峠の筒井順慶ですがな。
突如、兄の名前を出さんといて!
「蒋介石の・・・」は含蓄のある歌です!
「下駄隠し」もきっと哲学的なものでしょうな。

投稿: NANTEI | 2011年6月 3日 (金) 08時58分

baseballyoukoさん。
へ~京都でも「山奥豚」を歌いましたか。
「下駄隠し」は最後の最後にあ~んなことを申しますでしょ。令嬢おたまには到底口にできませぬ。
しかし、坊さんは別です。
あいつらは・・・こきますぜ。

遊び歌の発祥とか変遷とか研究している人がきっと居られると思うけど、時代を映して興味深いです。
死語だと思える「あいのこ」が歌でまだ残っているのですね。今思えばすごい言葉を使っていたものです。

投稿: おたま | 2011年6月 3日 (金) 10時03分

baseballNANTEI兄ちゃん。
是非とも「蒋介石」を歌って聴かせて欲しいものです。

洞ヶ峠はよく通るざんす。
明智の圧力が掛かって身動きが取れなかったんやし。日和見なんていわんといて。
兄ちゃんはフトイ!いや、深い!
 「見晴るかす洞が峠の花空木」おたま

投稿: おたま | 2011年6月 3日 (金) 10時11分

初めまして、 有難う御座いました。
子供の頃の、遊び歌を 思い出し、
今更ですが、その意味を知りたくて、
こんな、歌で夢中に遊んだs14年生まれです。

投稿: ボケの花 | 2011年10月10日 (月) 11時54分

baseballボケ(?)の花さん。
コメントありがとうございました。旅行中で返信が遅くなりごめんなさい。
子どもの遊び唄は地域で少しずつ変っていて、それも、歌い間違えたのがそのまま伝わったりしていて面白いです。
電波で正確に高速で伝わる今の時代では考えられませんね。
良かったら又、ブログに遊びに来て下さいませ。

投稿: おたま | 2011年10月29日 (土) 01時02分

初めまして、ブログ楽しく読ませて頂いています。

お手玉歌のところ、二行思い出しましたので、コメントさせて頂きます。

○5万の兵を引き連れて
 6人残して皆殺し
 7月8日の戦いに
○ハルピンまでも攻め寄せて
(6人残しても皆殺し?疑問を持たずに歌ってました)

お手玉歌でしたか、bell@愛知では、まりつき歌でした。

懐かしい話題をありがとうございました。

投稿: bell | 2011年11月28日 (月) 13時12分

baseballbellさん。
コメントありがとうございます。
そうです。そうです。そうでした。
六人残して皆殺し、7月8日の戦いに・・
と歌っていました。
やはり、どう思い出しても「お手玉」です。クロバタキンは帝政ロシアの軍人で「クルパトキン」さんらしいですね。
意味も解らずに歌っていました。
「皆殺し」も日露戦争の逸話なのでしょうね。
遊び歌がどこで発生してどう波及したのか、どう歌い継がれたのか、興味がつきません。

全く、別の話ですが、トイレの神様に唱える呪文についての聞きかじりで、
越中富山の薬売りや、旅の僧が広めたという説があります。越前福井は浄土真宗のお膝元でした。だから出雲から山陰北陸にかけて、呪文が変遷していったのだと・・
よろしければ、前記事です。
http://nurebumi.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7d01.html

テレビ・ラジオなどが無かった時代ってロマンがありますよね。

投稿: おたま | 2011年11月28日 (月) 19時53分

山奥の豚は小学生の頃 姉が歌ってました。
場所は博多です。懐かしい。

投稿: やっちゃん | 2012年6月20日 (水) 21時58分

baseballやっちゃんさん
コメントありがとうございます。
古い記事なのですが、この「遊び歌」の検索で今でもたくさん来てくださいます。
「朝鮮の山奥で」は京都の方もご存知でした。
博多ではじゃんけんのチョキは「ピストル」の形で出しませんでしたか?
ワタシは12歳で関西に来た時、すごく笑われました。

投稿: おたま | 2012年6月20日 (水) 23時41分

初めまして。
「朝鮮の山奥で 確かに聞こえる豚の声」 子供の頃 聞いた記憶を頼りにググってみたら、ここに辿り着きました

 群馬 高崎

投稿: kem81 | 2013年8月25日 (日) 11時45分

baseballkem81さん
コメントありがとうございます。
古い記事なのですが、「朝鮮の・・」の検索ワードで今でもたまに訪問があります。

私は福岡市で子供時代をすごしましたが京都や愛知の読者さんもこの歌をご存じでした。
高崎・・・北上していますね・・
これはもう全国区と言ってもいいかもしれません。

どこで、だれが歌い始めたのか・・
興味がつきません。
ご訪問ありがとうございました。
ここのブログは終了し
 http://nurebumi-2.cocolog-nifty.com/
ここで続きをやっています。
また、遊びに来てくださいね。

投稿: おたま | 2013年8月25日 (日) 21時32分

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