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2011年6月

2011年6月30日 (木)

つみはらへ六月



あれよあれよと、今年も半分が終りました。

落ち着きたい6月だったけど、そうはイカの○○。

半年にたまった罪ケガレを祓わなくっちゃね。

晦30日は夏越の祓えに行ってきませう。

今月の最大事業

なんてったって、ひっちゃんの七回忌でした。
ギターもレコードもメモ紙も、みんな捨てましよう!
(涼しくなったらね・・)

「お父さんの意見をきいてみたい・・と思う場面が(この年齢になると)よくある」って法事の時、息子達が話をしていました。

「こんな時、お父さんならどう言うかな・・」

・・・・そうか・・・

ひっちゃん!せっかくの出番なのに・・
残念ね。

今月の感慨

 「夕の虹子は子の家へ帰へりけり」 おたま

平凡氏の結婚は正直、ほっとした気持ちが強く、真綿嬢とそれなりにやっているようで、嬉しいです。
ひっちゃんが亡くなってしばらく経験した「一人暮らし」。
あのあと、明星が戻ってきて、平凡が戻ってきて、明星が家を出て・・・って変化しながら・・・現在に至る。

子どもが支えてくれたと、強く思います。
こういうことは、ちゃんと口にして「ありがとう」って言わなきゃと思うのだけど、まだ言えてません。

今月の鳴き声

ほととぎす。てっぺんかけたか・とうきょうとっきょきょかきょく。
あなたは、何故に取りとめもない時間に鳴くの!

うぐいす。ずいぶんお上手になりました。時々聞きほれていますよ。

近所のマルちゃん
  「老いてよりよく鳴く猫や梅雨長し」 おたま
    マルちゃん、甘えん坊になったみたいです。

課題

勘のいい匿名さんへ

思いをキャッチしてもらえて、怖い(笑)
何を見抜かれてるんだか・・・

来月は「波乗り七月」で頑張るゾ。

 

        Nanntei
          「忘れないということがいちばん被災者を励ます」
        阪神大震災を経験した精神科医、中井久夫さんの言葉です。

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2011年6月28日 (火)

神の子



Sany0115_copy 今でこそ
神も仏もない
罰当たりなおたまだけど

これでも
子どものころは
熱心に教会に通ったさ。

あまりの熱心さに
周りは言ったもんだよ。

この子は「神の申し子」だって・・・

(うそやで)

神父様はおっしゃた。
「良いことをすれば天国へ、悪い子は地獄へ行きます」
「それなりの人は煉獄というところで地獄の苦しみを味わったのちに天国へ行き、永遠の命を得るのです。」

天国へストレート合格は無理だとしても、即、地獄はないんじゃない?って少ない脳みそで考えた。

それにしても、

おたまは、怖くて怖くてたまらなかったよ

それは「地獄の苦しみ」ではなく、
命が永遠に続く ということが・・・

「永遠」「永遠」・・考えただけでおしっこちびりそうだった、7歳のおたまちゃん。

毎晩、ロザリオを握り締めお祈りしました。

   「ええ頃合を見計らって、
          終わりにして下さい 」って。

「16歳になったら自分の意志で洗礼を受けられるのでそうしなさい」といわれました。
仏教徒の親に言ったら「ヨカよ!」とのことでした。

が、13歳で大阪に来たので結局、カトリック教会との縁も切れました。

明日は、おばあちゃん(姑)の祥月命日で、お寺さんが来られます。
うちのご本尊は「阿弥陀様」

トリスを買ってハワイに行こう こらっ!

「念仏唱えて浄土に行こう」 という教えです。

ひっちゃんも居ることだし、おたまは浄土に行くつもりにはしているんだけど、もし、そこで「永遠の命」なんか貰ったひにゃタマランですばい。

終わりはあったほうがいい。

  Reincarnation !    そっか。

しかし生まれ変わるのもなあ・・
世間に迷惑をかけそうだし・・・・・

ま、とりあえず、明日、阿弥陀さんにお願いしてみます。

ええ、あんばいで 夜露死苦! って。



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2011年6月26日 (日)

マンホール



明石市のマンホールの蓋ってこれ↓です。

11620015_convert_20110626122259 明石天文台

子午線の街
135°と刻まれています。

「たこ」じゃないんや

うんにゃ!
「たこ」のマンホールは絶対にあります!
だって、むかし・・・

「マンホールの蓋にタコの絵春うらら」 おたま

って、作ったもん。

ちなみに、

「マンホールの蓋に城の絵日脚伸ぶ」 おたま

というのも作りました。

マンホールの蓋さえあれば、俳句なんて作れちゃうわけです。

さすが、三度目はヒンシュクを買いマンホールをやめて

「太陽の塔の裏側日脚伸ぶ」 おたま

にしました。げーじゅつは爆発だ

俳人は「裏側」を詠むのが好きなようで、この句はばっさりと切られてしまいました。ハイ、なめていました。

08_049 Sany0001_2
奈良市          大阪市

313_002_2 013_2
伊丹市          京都府美山町

520_107 409_119
尼崎市          神戸(王子動物園)

2011_109 11610_013
台湾・平渓        宝塚市

子午線というのは、地球のてっぺんちょをずーっと辿る線のことだから、
小うるさく・いやらしく・言うと、明石は「子午線の町」でも何でもないわけです。
この、可愛いおたまだって、今現在ここにこうして子午線の上に乗っかっているわけですから。

正確には「日本標準時・東経135度」の子午線の町ということになります。

しかし、BUT、マンホールの蓋にまで、「子午線の町」って書いてあるのだから、それはそれで良いではないですか。だれが、文句を言ってるの!
ワタクシ・おたまか・・。いやごめんごめん。



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2011年6月24日 (金)

タコの手招き



タコの足ですが、8本全部が足と違うねんよ
ウソやと思うならタコにデコピンしてみ。
「なにすんねん!痛いやんか」とおでこに当てたのが「手」ですよ・・・。

11620_004_3 JR明石駅

タコ八ちゃんの

お出迎え。

ほらね、両手を広げているでしょう。

まずは、老舗のお寿司屋さんで昼食です
11620_008_2 某宮様もお忍びでおいでになったとか・・。

こんな場合「お支払い」はどうなるのだろう・・と要らぬ心配をする小市民・おたま。

 

11620007_convert_20110623232425 11620_005
お昼のお弁当はお決まりの穴子の押し寿司。もちろんタコもね
食前酒は地酒「明石鯛」です

へてから(そうしてから)お楽しみの魚の棚(うおんたな)へ繰り出すのでございます。

11620_013 アーケードには
タコの絵

どのお店にも
鯛の看板

11620_009
穴子一匹まんまの天ぷらです。

11620_022 さよか。

11620_010
ボイルもあります

11620011_convert_20110623234502

おタコ様です。

もちろん、タコ以外にもきれいなお魚がいっぱい。
昼網狙いなら二時ごろからお買い物に行ってくださいとの事でした。



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2011年6月22日 (水)

タコのいざない



11620_017_copy_2  赤信号で出くわして
「おっ!」「よっ!」・・・

「行っとく?」「行っとこ!」

てな具合に行かないのが
主婦の「呑み会」です。

時々お話しています私どもの「呑み会」は、そもそも、
未亡人になったおたまを励ますために、始められたものではございませんでしたかしら・・・

それが、主役を差し置いて、「あそこに行きたい」「あれが飲みたい」「その日は都合が・・」などとわがまま放題。

原点に帰れ! もっと主役を立てようよ

ということで、スミちゃんが「タコ・タコ・タコ」とうるさくて仕方がないので、「明石」に遠征しました。

ちなみにたこ焼きです。
307_006_3

じゃあ、これは?

11620_019_3   

これが明石焼(地元では玉子焼という)です。

「たこ焼き」はこの「玉子焼き」がルーツだといわれています。
明石焼を商売として始めたのが大正八年といいますので、今から90年位前のことです。
この、屋台売りのおやっさん。「向井清太郎」さん。
明石市役所前に銅像を建ててもらってもいいくらいだと、おたまは強く思っています。

明石焼は小麦粉・浮き粉・卵・だし汁を混ぜて作った生地を丸くくりぬいた鉄板に流し込み、タコを入れて焼きます。

たこ焼きのように、ネギやしょうがやてんかすや、もしかしたらキャベツや、もしかしたらコンニャクや、もしかしたらトマトや、もしかしたらチーズなんかは
入れません

タコ勝負です。どや!

丸くてふわふわでとろとろに焼けたらお出汁につけて食べます。

おたまが明石焼を始めて食べたのは16歳の春でした
ええとこだっせ。グランシャトーがおまっせ。の大阪は京橋の高架下をくぐって、ややこしいストリップ小屋の並びにある小さな店でした。
一人前180円でした。

一人前50円のたこ焼きしか知らない乙女には衝撃でした。
なんたる高級感。そしてなんとデンジャラスな「京橋」

あれから幾星霜。
本日、ここにこうして明石焼の踊り食い。
暴れ太鼓の乱れ打ち。
なんと、贅沢なことでありましょう。

おたまの人生はこれをもってして、「成功」と言っても良いのではないでしょうか。

明石に来たなら、タコ・鯛・穴子は押さえておかねばなりません。
もちろん、食しました。
おいしい明石散策はまだまだ続きます。



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2011年6月21日 (火)

眼耳鼻舌身意



今日のお花です。

11621_017 

ひまわり・あこがれ  スプレーバラ・包容力
エレムルス・逆境

うちが特別かも知れないけど、男の人って花の名前を知らないし、あまり、興味がないみたいやね。

平凡氏は「花を見て<きれいだ>と思った事は一度たりともない!」といいます。
で、どういうことに感動するかというと、
彼の場合「音」だそうです。

例えば、給食のアルマイトの食器が重なる時の「サッコッ」という音など、
「う・うつくしい・・」としばし給食当番のおたま(母ではない)を握り締めたまま動けなくなることが多々あったそうです。

彼は一度聴いた曲を再生してすぐ弾けるので、きっと耳がいいのでしょう。
水洗トイレや風鈴やお茶碗を叩く音でもピアノで弾けます。

明星氏も「音」派で、ワケのわからない、マニアックな話を兄平凡とよくしています。

ひっちゃんはどうだったのでしょう。
音楽は好きでした。スタンダードジャズから、「唐獅子ボタン」までなんでも聴きました。世代的にも「ギター小僧」です。

先日カーラジオから曲が流れ、平凡が「お父さん、これよく歌ってたなあ」というのがB’z でした。そんなところまで、手を伸ばしてたんや・・。

、「井上陽水は4オクターブ出るんやて」という話をすると、「そんなん普通に出るで」というので、ピアノで試したら4オクターブ以上出てびっくりしました。
某音楽家に「耳がいい」(福耳という意味ではなく)と褒められたのがご自慢でした。

ということで、ウチの男達は「目」より「耳」の感覚のほうが発達しているのかもしれません。

ひっちゃんは、おたまのことを「世界で一番きれい」と言っていました。
冗談ではありません!!本当です。

化粧なんぞしようものなら、
「家の中に置いておくのはもったいない。町内を一周してきなさい」といいました。

・・・・・

息子らはともかく、ひっちゃんは耳だけでなく「目」も発達していたのだと思っております。

言わせておいて下さい。

七回忌やし。



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2011年6月20日 (月)

七回忌



今年は大雪の後の増水で、少ないということでしたが、それでもたくさんの蛍を見ることができました。
おたまの住む、このきれいな里は、田植えの頃蛍が飛び、栗の花が咲き、我が家の庭には柘榴の花が咲きます。

 「手囲ひのほたる夫の化身とも」 おたま

夫が亡くなってから丸六年が経ちました。

六年間に、長男は家庭を持ち、学生だった次男はなんとか独り立ちしました。
おたまは二回入院し二回手術をしました。

ミーちゃん(猫)は亡くなりました。
突然一人暮らしになったおたまにそっと寄り添ってくれていたミーコでした。

こうしてみれば、我が家にも色んな変化がありました。

七回忌法要には東京から次男明星も帰ってきました。
平凡氏の連れ合い真綿嬢が新規参入です。

おじゅっさん(お寺さん)がこの日は特別の僧衣持参で御召しかえをされます。赤い本を配って皆で無量寿経やら阿弥陀経やらなんやらかんやらを唱えます。

七回忌ともなると、結構みんなうまくなっています。

法事には、赤い「お敷き」を使い、赤いロウソクを立てました。
ひっちゃんがアッチに行っちゃったことも、もう「祝い事」なのです。

子ども達を見ていて(立派な、おっさんになり)もう、おたま一人で何もかも背負わなくてもいいんやな。ってしみじみ思いました。

これから、大いにはばたこうと思っています
えっ?これ以上?

はい。そうどす。

 

そのあと、お墓参りをして、お料理屋さんで食事をしました。

この六年間、おかげ様で平安の中に過ごすことが出来ました。

足元を照らし続けてくれた我が師。
心を寄せてくれた友人。
・・・・・
多くの人たちに深く感謝をしています。

 

「栗の花雨に濡れたる忌日かな」 おたま



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2011年6月16日 (木)

女が階段を上るとき



オンナという生物はほぼ四つのタイプに分けられる。

ブログの途中ですが・・・
  (このブログは未亡人おたまの
       独断と口からでまかせに基づき運営されております)

と、お断りテロップを流しておいて・・っと。

続きです。

四つとは以下の通り     

 賢そうな賢い女
 賢そうな愚かな女
 愚かそうな賢い女
 愚かそうな愚かな女

高峰秀子さんは賢い女性です。

女優としては、野心がのぞいたり、どうしようもない馬鹿だったり、ずるかったり、高慢ちきだったり、自堕落だったり、自己矛盾に満ちあふれた部分の見えるひとが素敵です。

役者は役を演じるばかりではなく、そこにある種の自己投影をすると思うのです。
そういった意味において、高峰秀子は「賢さ」が前に出て、今までは、あまり魅力を感じる女優さんではありませんでした。

11615_002_copy

この日観た映画は「女が階段を上るとき」
高度成長を迎えようとする夜の銀座に生きる、バーの雇われママが主人公です。(監督・成瀬巳喜男1960)

帰り、売店に置いてあった「私の渡世日記」を買いました。
本は買わないと決めていたのにね。
しかも、上・下巻
表紙になっている梅原龍三郎の「高峰秀子像」が素敵だったからかもしれません。現在この油絵は東京国立近代美術館に納められているそうです。

高峰秀子は女性としては珍しく、自己を俯瞰視できる人のようです。

幼い頃から自分ではない自分を演じてきた習いなのか、天性の資質なのか、判りませんが、自己肯定も否定もせず、ただ自分を見つめている。

そこには、自分を飾ることも、守ることもなく
言い訳は一切ありません。

「男前」です。そこらへんの 男以上に。

自分の過去の恋愛体験について、彼女はこう書いています。

「色と欲」 (の絡み合い)

何て可愛げのないことを言うの!
可愛げのないおたまにはよ~く判ります。
非常に共感できるのです。

(以前このブログにも書きましたが、怨みつらみの不倫告白をなさった、有○稲○さんとは大違いです)

その冷静さが・・・・女性として幸かどうか
「大きなお世話だ!」と一喝されそうですが。

賢い彼女は賢い選択をし良き伴侶みつけます。
激動の子ども時代の埋め合わせをしても余りある、穏やかな幸せを手に入れるのです。

真っ正直で率直な人のようでありますが、本当のところは解らない。
だって、彼女は「女優」だから・・。

幅広い演技力でどのような役でもこなせた高峰秀子
多くの文化人政財界人から愛され、それにおもねることの無かった「自律」の人。
彼女の気高さと精神の豊かさは彼女自身が作り上げ、手にいれたものでしょう。

そして、彼女のしあわせはなんと言っても、「こんな言い方をするのは悪いが君はある種の”カタワ”だ」と言う伴侶を得たことだと思いました。

「女が階段を上るとき」ですが
美しい高峰秀子さんが一番美しかった頃の映画ではないでしょうか。

映画の話をしようと思って、本の話になっちゃったわ。



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2011年6月13日 (月)

若いおまわりさん



郵便局へ行くと平べったい兵庫県警のおまわりさんが立っていた。
「こんにちは」って言ったのに無視された。

「あそぼ」って言えば・・・・・・
捕まるだろう。

「ばか」っていうと
「ばか」って返すのかしら・・・。

こだまでしょうか、いいえ誰でも・・・・

       ない!

パネルですばい。どうりでペラペラしてると思った。

「おたまちゃんって、ぜ~ったいに警察が嫌いやろ」
と、よく言われる。

人からどう思われても別にいいんだけど誤解はされたくない。

そんなふうにみえる、根拠を示して欲しい。
おたまのどこからそんな邪悪なオーラがでているのだ?
ん?本官に答えてみたまえ。

確かに大好きではないが嫌いでもない。ない・・・・
ないが

 ・

 ・

 ・

 ・

何かはらたつ

なんでやろ・・制服脱げばタダの人やのに。

これは、催眠療法で前世に戻らないと判明できないことです。

しかし、こんなことくらいで病院に行っていたら、日本の医療行政は破綻してしまうでありましょう。
タダでさえ医師数不足のため勤務医は過酷な労働を強いられている。
病院の先生、メチャ顔色悪い
「ダイジョーブですかぁ」
って患者の婆さまに心配されてはる。
先生、自分に注射しながら患者診てはる。

こんなに切羽つまってはるのに、「前世にもどして」なんて、よう言いません。

そうそう、医者じゃなくておまわりさんの話やったね。

お子チャマには「悪い子はおまわりさんに連れて行ってもらうよ!」って言わないほうがいいと思います。
警官嫌いの遠因はそれかも・・。

今日も今日とて、パネル警官。

現金自動支払機の前で

えらそうに、おたまを睨みつけてこう言っている。
しかも、指差しだよ。

「振り込めサギにご注意を!」

ハイハイ、ご親切様!
それも言うなら「振込サギ」じゃないの?
いや、やっぱり「振り込サギ」か

あ~~ワカラン。もう、ワカランですたい。

腹が立つのでデコピンをしてやりました。
誰も見ていないし・・
と思ったのがアカサカの夜は更けてどす。

監視カメラが設置してあるやないですか。

もう少しで公務執行妨害でブタ箱行きだった。
あぶねーあぶねー。

そういえば先日郵便受けにこんなのが入ってました。

「パトロールカード
  本日何時何分にあなたの家の周辺を回りましたが異常ありませんでした」

写真撮っておこうかと思ったけど、そんなことしてる自分がすっごくヒマ人に思えたので止めました。

こうやって、おまわりさんに守っていただいて、おたまは安心して暮らせています。ありがたいことです。(おわり)

2011_062
台湾で車種を確認しようと近づいたらぴゅーっと走り去られました。あっちも、おたまのこと嫌っているらしい(国を問わず)
車上荒らしに見えたのかしら・・・。
BMWっぽくないですか?これ。



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2011年6月12日 (日)

宝塚市・屋敷街



阪神間の邸宅の街といえば「芦屋」ですが、
ここ「雲雀丘花屋敷」(ひばりがおかはなやしき)も
大正の好景気に沸いたころ、「カネモ」の皆さまが競って、豪邸をお建てになった屈指の高級住宅地として、有名でございます。

その、町並みプランは田園調布のモデルになったとも、聞き及んでおります。

マンションに建て替わったり、大企業の保養施設や社員寮を経由して細かく分譲されたり、その姿は大きく変貌しましたが、それでもお屋敷街の雰囲気は十分残っています。

11610_005_2 街灯さえも
こんなにお洒落

だって、ここは

TAKARAZUKA

花の宝塚の東に位置します。

駅を降りると、棕櫚並木の通り
棕櫚でっせ。なんか違うでしょ。お洒落でしょ。

川に沿う芦屋と違い、ここは丘陵を切り開いて開発された街です。急坂に沿ってお屋敷が立ち並びます。

11610_010

阪神間の素晴らしい眺望を楽しめます。
ナンダサカ・コンナサカ・・でも、きついよ。

11610_006 写真では
判りにくいけど

立派なお家敷
斜面を利用した
離れがありました

11610_009 11610_019 こんなお家には

たこ焼き器なんて
ないよね。

11610_020_copy 防犯カメラに
守られながら

深窓の令嬢って

きっと・・・

11610_018 こんなとこに

棲息してるのよね

ああ、あやかりたい
金借りたい

むむ、あそこに怪しき男が・・
11610_014
句仲間のイサオちゃんでした。

11610_021_copy 小さなお寺がありました

「涼風の樹下に結跏趺坐の像」 おたま



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2011年6月11日 (土)

三ヶ月経ちました



あらためて
震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
そして、被災に遭われた皆様へ心からお見舞い申し上げます。

・・・・・・・・・

あれから三ヶ月、原子力発電の利用について、この国ではやっと、「反対」が「賛成」を上回った。(朝日新聞社が日・米・露・仏・韓・独・中の七カ国で世論調査を実施)

フクシマ原発事故以来三回目の調査にしてようやく。

放射能の雨に濡れると髪の毛が抜けると大騒ぎして
頭にランドセルを乗っけて走ったのは
各国が競って原水爆の実験をしていた頃だ。

あれから50年。見えない恐怖はフクシマの校庭に降り注ぎ沁みこむ。
除去された表土は、せめてもの気休め、校庭の片隅に山積みにされたままだ。

日本の原子力発電が始まって40年。
耐用年数は30年と言われていた。

おんぼろぼろぼろ、古くてもろい原発が
たびたび事故を起こしながら,

長くて入り組んだ活断層の上に立っている。

      

        Nanntei
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2011年6月10日 (金)

川西市・満願寺



遠く離れたお友達の代わりに、お墓参りをしてきました

11610_030
ご先祖さまのおかげにて、
日々是好日。元気に暮らしております。

いやいや、ご先祖様とちがう?

そんなこたぁ    ありません

クリソツです

実はね、うちの隣の奥さまは、大江山の鬼退治で有名な源頼光の四天王と言われた渡辺綱の末裔なのです。(旧姓は渡辺さんでした)

だから、こくちゃんもね(イケナイ名前言っちゃった)その、四天王のひとりである、坂田金時の子孫に違いないわ。

これで、二人揃ったわけだ。

11610_028 こんな、飴ちゃんも
売っていました。

切っても切っても
金太郎の顔。

このあたりは、清和源氏発祥の地といわれ
ヒジョーに由緒正しきところでございますのよ。

昨日は吟行で、雲雀丘花屋敷のお屋敷街を歩くのが目的でした。
屋敷街の坂道を登って、降りてきたところに、
この、金時さんのお墓のある「満願寺」がありました。

11610_025

奈良時代の創建。平安以降は源氏の祈願所として栄えたそうです。

歴史に興味のある方は↓

http://www.manganzi.or.jp/index.html

満願寺のHPです。
美女丸伝説など、わくわくするお話満載です。

吟行のお屋敷街は又、次の機会に。



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2011年6月 8日 (水)

名もなく貧しく美しく



「どうか、僕と結婚してください。きっとあなたを幸せにします。」
「私はあなたを信じます」

・・・・・・・・

ああ、美しい言葉やねえ

「○○○ったら○○するぞ!」と言った
ひっちゃんとは大違いやわ。

女性の言葉はさらに続く
「私達は一人では生きてはいけません。二人で協力しましょう」

「追悼特集・女優 高峰秀子」として11本の代表作を上映していましたので、そのうち2本を見てきました。

傑作と言われる「浮雲」「乱れる」「二十四の瞳」はすでに見ていますので、まずは、「名もなく貧しく美しく」をチョイス。


戦争末期から終戦後を生き抜いた聾唖者夫婦の物語です。
聾唖であるが故の困難と共に差別による生き難さもよく描かれています。

1961年の公開ですが、今では「不適切な表現」とされる言葉が普通に使われています。
現代が差別のない成熟した社会であるかどうかは別として、ああ、そんな言葉、使われなくなったな・と思いました。

ストーリーについてはPCなどで調べられますので
感想を述べます。

秀逸は夫・小林桂樹の演技です。中途失聴の高峰秀子演ずる妻と違い、この映画の中で彼は一言のセリフも発しません。しかし、彼のなんと能弁なこと。

歌舞伎好きのある人から「名優とは役をよく演ずる人ではなく、役がその人になっていることだ」と聞いたことがあります。

映画の中の小林桂樹は彼そのものだと思いました。

そしてもう一人、高峰秀子の母親役、原泉。
ある時は毅然とある時は諦念から来るおおらかさで、聾の娘の盾となり協力をおしみません。
NHKの児童劇などで、すごく意地悪なおばあさん役(次郎物語だったかな)の印象しかなかったのですが、あらためて魅力的な女優さんだと思いました。又、中野重治夫人という視点でみると、なにか歴史の中の人のような気がして不思議でした。

「あなたの苦しみは私の苦しみです。だから私にはあなたの苦しみがよくわかります」

覚悟のうえで放蕩の弟のところへ行く妻を追いかけた夫が車両を隔てた窓越しに会話をする感動のシーンです。

もう一箇所、新婚旅行の旅館で将来を語り合うときの手話も美しい。

高峰秀子は著書の中で手話について、
「あまりのむずかしさ、ややこしさにへこたれた
実際の聾唖の人たちから不満の声があがるのを承知で、見た目に美しく流れるような手話に「勝手に料理」してしまった。」

と書いています。

おたまが、子ども時代に見ていた手話は、高峰秀子が言うようにテンポが早く、どこか荒っぽいものでした。
そのため、知らない人(道行く人など)は奇異な目で眺めていました。

おたまの幼友達Yゆきの両親も聾唖者でした。
時代も丁度同じ頃。映画の中の一人息子がYゆきに重なります。
「ジェスチャー」を見るのを楽しみにしていた、Yゆきのおばさん。一度も授業参観に行ったことのない、おばさん。

世話焼きの、おたまの母がYゆきの姉ちゃんの中学最後の運動会におばさんを連れて行きました(姉ちゃんはリレーの花形選手だった)、姉ちゃんの驚き怒ったような顔。おばさんの悲しそうな顔。高鉄棒のところから背伸びしてリレーを見ていたおばさんの顔。

色んなことが重なって、泣けました。

映画の最終の、ワンシーンに若き日の加山雄三が警官(自衛官?かも)の役で登場します。
ハッと、するほどの美青年ぶりと存在感で、後年の活躍を予感させます。

成瀬巳喜男の名作「乱れる」はこの映画の三年後1964年の公開です。

監督・脚本 松山善三

出演は他に 草笛光子・沼田曜一・多々良純・河内桃子・荒木道子・根岸明美・高橋昌也・加藤武



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2011年6月 7日 (火)

しゃくやく



今日のお花
11528_029
シャクヤク/はにかみ

お友達が遊びに来て、↑写真を撮りました

谷川連峰の旅行の話をきき
おみやげの「ほっぺが落っちゃうおまんぢふ」を食べて
お茶を飲みました。

そして、帰る時
↓こんなになっていました。

11528_033

そんなに、咲き急ぎしなくてもいいのにね。

夜、こんなになってました。

11528037_convert_20110607110126

はにかんでいるうちが「はな」なのね・・



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2011年6月 6日 (月)

台湾・おまけ



2010_062
水果茶(スイゴウチャ)と台湾風ティラミス

今回の旅のお連れは、30年来の付き合いのT子さんです。

メチャンコいい人。
おたまから見れば「損」ばかりしている人。

「占い横丁」に付き合ってといいます。

え~。そんな、当たらん。当たらん。手相も人相も、おたまが見てあげるよ!そんなのより、足ツボマッサージに行こうよ。

と言いたかったのですが、同行することになりました。

いえいえ、ワタクシはこの人についてきただけです。
「我是她的照料!」発音が悪すぎるのか、聞こえないふりをされ。
システマチックに半分押し切られておたまの生年月日も紙に書かされました

ふふふふふふふっ

ふぁふぁふぁふぁふぁふぁっーー!

おたま、来年、結婚することになりましたあーーー。

この話に、ハゲシク食いつく、おたまさん。

え?どこの誰?男前?金持ち?
アイドルで言えば誰に似てるのぉおおおお!

ああ、ひっちゃん。ごめんね。
おたまは、お嫁にいきます。
神の思し召しです。仕方ありません。

T子さん、ホントにいい人です。自分のことのように喜んでくれます。
「あなたは、この先も苦労するでしょう」ってさっき、言われたばかりなのに。

「おたまちゃん。お相手が石油王だったら、ツルハシ持って遊びに行くわね。
日本人の勤勉さを見せ付けてやるわ。」

あほらしやの鐘が鳴る~~~
キンコンカンと打ち鳴らしアホアホしく
おばちゃん二人。スキップしながら
ホテルに戻ったのでありました。

台湾レポートはこの辺でおわります。
お土産の話や、ツアー客の中に超感じ悪い夫婦が居て、何度も喧嘩しそうになった話などは、割愛します。

そうそう、お礼はいっぱい言ってきましたよ。
「主張が強すぎて話がまとまらない台湾人と違い、日本人は協調性(ええ様に言い過ぎや!)があるので、立派なリーダーが出てくるといいですね」
と、言われました。

そこやがな!



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2011年6月 5日 (日)

台湾・街角



昨日の、101展望台ですがデザインのモチーフは、すくすく伸びる「竹」だそうです。

では、活気にあふれた伸び盛りの街をご案内します

2011_033_copy_2 映画館

早朝なので、まだ閉まっています。


小学校です。門も壁もこんなに可愛い。

2011_034_copy 2011_035_copy

校庭に入れますよってホテルの人が言ってましたが、日曜日だからかな?閉まっていました。

2010_047
バイクは生活必需品でもありますが、若者にとっては、可愛い女の子をゲットするための必須アイテムです。

ここ、台湾でも「合コン」が流行。
それも「バイク合コン」といわれるものです。

集めたバイクのキーをくじ引きのように女子が引きあてて、気に入ればカップル成立です。OH!神様~

男子にとって、まずバイクが無ければ、お話になりません。
ですから、この国の18歳男子は6月に高校を卒業したら、アルバイトに精を出します。
彼女をゲットできるのはイケテル男子のみということも、忘れて。

大学に進学する人は9月の入学までには・・、高卒の人は18歳兵役ですのでそれまでには何とかバイクと彼女を手に入れなければなりません。
大学生は卒業後兵役につきます。

男の子は、皆かっこよく(ま・そんな子にしか道を聞かなかったからね)
女の子はとてもキュートです。スタイルが良くておしゃれです。
日本女子がボテッと見えます。少し緊張しようよ。

2010_082_copy この、ニャンコちゃん
(發發ちゃん・9ヶ月)

見つかったでしょうか

どこかの街角で
雨に濡れていないでしょうか

心配です。



                

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2011年6月 4日 (土)

台湾・台北



おたま、憤死か!と喜んで居られた皆さま
お生憎さまでどざえもん。いえ、ございます。

去年の、台湾旅行の頃、丁度ブログは休んでいたのですが、旅のレポートは例の如く友人エンジェルに提出しておりまして、それを読み返すとなかなか、おもしろい。我ながら好奇心の強い女だとあきれております。

  
2010/6                          2011/5

出発風景→→ワタスどす。

おたまちゃんって、ホンマは「おっさん」やろ!という疑惑を晴らすため画像を貼り付けます。これは3日後に自動的に消滅します。

可愛いから、置いとけってか?

てなことはさておき、台北をご紹介します。

台湾人は蒋介石をどのように評価していますか?と訊ねると、「五分五分」ですという答えが返ってきました。それって「三分七分」のことなんや・・・と心で思う。

昨年の旅で同じ質問に答えた若い女性はそれには答えず「孫文先生は国父ですが、ココ(228公園)は蒋介石による民衆の悲劇を語る公園です」といいました。

孫文は台湾民主化独立の父として尊敬されていますが、蒋介石の評価は分かれるようです。

2011_072_copy 中正紀念堂

中正とは、蒋介石のことです。

200万の兵を引き連れ台湾に渡った蒋介石は膨大な宝物を持ち込むわけです。それが国家の象徴であるかのように・・。

中国の人は「ドロボー」って思っているかもしれないけど、結果として「文革」で破壊の憂き目に会わなかったのですから、何が幸いするかしれません。

この宝物が納められている故宮博物館の館長さんは東京大学を卒業した女性で、

2010_076_copy 2009年までは
世界一の高さを誇っていた、この
101展望台
(その後ドバイに抜かれました)

ここのオーナーも
40代の女性だそうです。

しかも、美人



                

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2011年6月 3日 (金)

やらなあかんこと



テレビで国会中継を見ていて
つわりでもないのに吐きそうになった。

今、早急に、議論せなあかんことが山積みやろが。
揚げ足取りしてるときと違うねんで。

アホかこいつ等 みなさん。

野党!

「ココは一つ与野党協力して国難に立ち向かいます」ぐらい、言えんか谷垣さん。この人が民主党政権樹立した時のコメント「ヒットラーを連想した」以来、この人この程度なんや・・て思ってるけどね。

与党!

砂上の楼閣。寄せ集めってわかってるけど、あまりにもあんまりや。品が無さ過ぎる。一年生引き連れたチーチーパッパのセンセ。そこの顔面のデカイ方。
もう、よろしいんと違います?雀ならぬ鳩と刺し違えて透明人間のふりしてはったんと違うたんやね。あなたにこの言葉を贈りましょう。

「たまらんわ」

「キャッたまらんわ」と違う。「もうたまらんわ」です

菅さん!

「はいはい、辞めますさかい」と言わな続けさせてもらえへんお立場、お察しします。あなたに大いなる期待を寄せられていない「今」でっせ。
働いておくれやす。

阪神大震災のとき時の内閣は思いもつかなかった、「皆さんと共にあります。全力を挙げて取り組みます」というメッセージをきちんと発信されました。
それは、あなたの本心でしょう。

がれき撤去の国庫負担をいち早く打ち出し、その方法も被災者の心に寄りそう指針をだされた。

細かいことをあげればキリがありません。

そして、浜岡原発の運転停止を実現した。

これは、自民党政権下ではなし得なかったことです。

菅さん、やれば出来る子です。

他に居れへんからシャーナイなんて失礼なこと申しません。おたま、期待しております。ほめ殺しではありません。

全力をあげて取り組んでくださいませ。
そして、政権奪取しか頭に無いようなお方たち、国民はきちんと見てますよ。「はたらけ~」って思われていますよ。



                

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2011年6月 2日 (木)

遊び歌



しかし、子どもをみかけないですね。
幼稚園バスの乗降場ですこしにぎやかな(ママの)声を聞くくらいです。

この間NANTEIさんが、蒋介石の歌を歌っていたという、お話があり、それはきっと下品極まりないものでありましょう。とおたまは睨んでいるのですがね。

子どものころ、お手玉やゴムとびをするとき意味不明な歌を歌っていましたね。

「蒋介石」やて!古っ!

おたま達は「京マチ子」「山本富士子」が出てきました。
いや、待てよ。
「東郷元帥」も出てきたっけ。

 いちれつらんぱん破裂して 
  
日露の戦争始まった
  さっさと逃げるはロシアの兵 
  死んでも尽くすは日本の兵
  五万の兵を引き連れて
  ハルピンまでも攻め寄せる
  クロバタキンの首をとり 
  東郷元帥万々歳

 

そして、ゴム掛けのときはこんな歌。

 きんし(金鵄)輝くにっぽんの 
  あいこでアメリカヨーロッパ
  ぱいのぱいのぱいの見物に 
  にんにん肉屋の大泥棒

お手玉は

 姉さんここは石が浜 
  も少し行くとせんせいの
  岡辺のお舟は何艘よ 
  数えてご覧一艘よ

それから、こんなのもありました。

 緑の花の咲く丘を ○馬車行くよまっしぐら
  朝鮮の山奥で 確かに聞こえる豚の声 
  ぶ・ぶ・豚の声

(○のところは、忘れました)

それを替え歌にして在日の子である○子ちゃんをはやし立てるのです。
子どもの世界は残酷でした。

20世紀初頭の日露戦争が60年後の昭和30年代の子ども達の間で「あそび歌」として残っていたのですね。博多で覚えたこれ等の歌も関西では少しずつ違って歌われているようです。

「ゲタ隠し」の歌は、関西に来てから知りました。
とっても下品極まりないので、ここにはかけまへん。



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2011年6月 1日 (水)

台湾・グルメ



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2011_009 2011008_convert_20110531125857  2011010_convert_20110531125947   

2011_011ごちそうさまでした。

夕食のあと、夜市へ行きました。
もちろん、台湾の皆さまにお礼を言うためです。

謝々!謝々!非常感謝!

2010_014_copy ど・どなたに
お礼を・・
言えば・・

2010_016_copy ・・・・

いいの?
おたま
おたおた。

4Lのパンツくださいな。
2011_014_2
とりあえず、このオバサンに言うとこっ!
非常感謝!

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2011164_convert_20110531134805 好吃!

旅の楽しみの一つは美味しいものとの出会いです
台湾一、世界一と言われる鼎泰豊の小籠包だって、ナンバ・高島屋で食べることが出来るご時勢ですが、やはり、本場はほんまもん。

写真は、上が長春路、下が九份のレストランです。

そして2010_005

好吃地喝了!

ごちそう様でした。

台湾ビールは飲みやすくて、美味しいんだけど、どの店もキンキンに冷やしてないのね。

なんなら、ご進言申し上げてもよかったのですが、そこは、それ、感謝の旅ですからね。ありがたくいただきました。



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