通天閣・今昔
パリの凱旋門の上にエッフェル塔を載せる。
こんな「力わざ」を堂々とやってしまうのが、大阪あきんどのど根性と言うものでございましょう。
元も子もない。身も蓋もない。臆面も無い。などと言ってくださいますな。
開国より半世紀を待たずして見よこの威風堂々。
関西財界人の底チカラを。
かくして、その名も「新世界」
遊園地あり・動物園あり・遊郭あり。
大衆演劇場にストリップ劇場・・・
嬉しいではありませんか。これぞパッパラ・パラダイス
明治45年に建てられた、初代「通天閣」を、戦前のお子チャマたちは「ツーテンカクタカイ。高いは煙突・・・・光るはおやじのハ●アタマ・・」などと歌いながら登ったのでございましょう。
戦中、軍へ金属の供出のため解体されるのですが、
どうせ、ボロボロやったし・・ええねん。
ってなことだったようです。(ごく一部の古老の話)
「黄砂降る街の真中に通天閣」 おたま
我々が知っている通天閣は2代目。
「さんかくしかく。四角は豆腐。とうふは白い・・・・光るはおやじの●ゲアタマ」と結局はそこにたどり着く・・全ての道はここへ通じていたと言うことを学ぶのであります。
そうやねん。通天閣は学びの場。
学習遠足で行く現役のこども。
「小学校の遠足以来やわ」ってはしゃぐ昔の子ども。
いまでこそ、観光客が増えて、印象がすっかり変わりましたが、30年位前は、お子チャマにとっては「デンジャラスなエリア」でありました。
じゃりんこチエ以外は到底近寄れないような。
だって、アベック(古っ!)でも、おかまいなしに、前掛けエプロンのおばあちゃんが男性に声を掛けるのです「どない?」(いかがですか)
然るに、電信柱の陰には然るべきオネエサンが立っていたりするのです。
そうです。ここは殿方の歓楽街
ぃよっ!スケベおやじ!
こんなとこ、学年主任を先頭にベテラン教師をしんがりに、きっちり固めないと小学生の遠足の列には危険があぶない。
若い娘さんなんて、とてもとても近寄れるところではありませんでした。
今は違いますよ。
放射線状に延びる商店街もキレイなタイルが敷かれ
観光客の若いお嬢さんであふれていました。
「風光る浪花巡りの百円バス」 おたま
3月9日。呑み会仲間と、新世界ツアーをしました。
通天閣の展望台で少し揺れを感じました。
いつも、そうなのか・・・ちいさな地震だったのか・・
この2日後に、あんな大きな地震が起きるなど夢にも思いませんでした。
通天閣は今、夜間照明が落とされ、30日には被災地に向けてのチャリティライブが行われるそうです。
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