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2010年9月

2010年9月30日 (木)

大いなる意志



平凡氏は巣立っていきましたが、
アズスーンナス。as soon as。~するやいなや。

母が2週間の入院の後、我が家にやってきとりまして。

なかなか一人暮らしにはなれません。

彼女は、快復次第、独居老人をヤル気満々だから、遅かれ早かれおたまは、一人になると、おもいます。

夫がいなくなり、一人暮らし(正確には猫と二人暮らし)を余儀なくされた時と違い、今は余裕のよっちゃんです。フムフム鼻歌

今度、お一人様になったときは

この身を神の御手にゆだねてみるつもりです。
お釈迦様の手のひらに乗ってみるつもりです。

そう、ウチは浄土真宗。

法然さん、親鸞さん、蓮如さんに導かれ

    『他力本願』

そんな日々を過ごす予定でおりますの。

といっても、神さまや仏さまはいずこに居られるのでありましょうや


あの空越えて雲越えて光の国からくるかしら
いえいえそうではありませぬ・・・それは・・・

・・・それは・・・それは・・・

う~んわかんない

ので、

我が身の内なる神の声に耳を傾けることにしますわ。

まず、目がさめたら起きる。
はらがへったら、おまんまたべる。

今みたいに
7時・12時・19時の食事。
10時15時のおやつ。
3日に一度は洗顔パック、

なあんて国家公務員みたいな暮らしはしない。

すべて、おたま様の御心のままに・・

ああ、3日も絶食してしまうかもしれない・・・
仕方ないわねそれが、神の声なら・・。

どうしよう。一日7回もごはん食べたら・・・
それもありかもね。

お肌が、がっさがさになったら・・・
いいわ、顔で勝負してきた人生じゃなし・・
(勝負できるような顔じゃなし・・が正しい?てへっ)

ま・とにかくですね
やりたいようにやらせていただきます。

それって、神の声というより

おたまの、やりたい放題じゃないの?

ええ。ええ。
言いたい人(息子)には言わせておきませう。

やっと、手に入れた自由よ!
なんだか、わくわくするわ。

大いなる、自然の摂理に身をまかせる。

そう、心にきめました。

素敵だわ。

ありがたや。ありがたや。

ありがたやといえば、このブログも、早いもので一年が経っちゃいました。
一ヶ月だけのつもりが三ヶ月になり、ハイ。さようなら。と言ったら、
うばゆりさん」に、「石の上にも三年」と諭されました。有り難い事でした。
その後、「ドデン」事件で休みつつ、「ゴンベさん」のおっしゃる通り「ケロリ」と帰ってきました。

ココに書きつくせないたくさんの方に応援してもらい、遊びに来ていただいて・・・・おたま、大変幸せでございます。

ぼつり。ぼつりと書いていこうと、思っとりますので、また、読んでやって下さいませ。
ありがとうございました。



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2010年9月28日 (火)

何をめざして・・



我が家に滞在している母に会いに、
息子のヨメ候補「真綿ちゃん」がやってきました。

お見舞いの花と、ケーキと、おせんべいと、おまんじゅうを持って。
考え付くものを、全部持ってきたって感じです。

母は「良さ気な子やなあ」と喜んでいました。

おうおう。おばあさんや。
ひ孫をぼかぼか産んでもらおうぞい!
と、おたま、フツーの姑に成り下がってる・・・

嵐も吹けば、風も吹く

女の道って険しいもんよ。

で、おたま、いい人ぶって、真綿嬢にいいました。

もし、つらいことがあったら・・・いつでも、ココに来てお泣きなさいね・・

すると、息子平凡が言った
そんな、格好で言われても、説得力ないわ・・

いっけない! 開脚してたわ!≫

いまのところ、素直な真綿嬢は「わたしもやります!」
と言って、さすがに、開脚はしないけど、
ストレッチポールに乗っかりました。

平凡はすでに鉄アレイを振っています。

何を目指そうとしているのでしょう・・この一家。

そんな中、さすが年の功、
お母ちゃんは冷静で、二人がごはん食べて帰ったあと

あの子、お仏壇にお線香あげてやったで

ぎゃっ!お母ちゃんチェックしてたん?」

うん。家政婦は見たシリーズみたいやろ・・

そうなんや・・・・・
ちょっと、しみじみしたことでございました。



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2010年9月27日 (月)

曼珠沙華2



≪曼珠沙華≫

又の名を、死人花(しびとばな)・天蓋花・幽霊花・
捨子花・狐花・まんじゅさげ・と呼ぶそうです。

どの呼び名も寂しげです。

この花の有名な俳句といえば・・

 「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」 山口誓子

 「曼珠沙華抱くほどとれど母恋し」 中村汀女

 「なかなか死ねない彼岸花さく」  種田山頭火

などがあります。

そうそう、
金子兜太の「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」に寄せて、石寒太に「兜太大人秩父は桑と曼珠沙華」という句もあります。

おたまの好きな句は

今日生きてここに吾立つ曼珠沙華

おそらく雑誌などから抽いた句で作者がわかりません
(ご存知の方教えてください)

ずいぶん昔のノートに書き取っています。その時の自分の心情に合ったのでしょう。

上五の「今日生きて」という巧みな措辞が作者の越し方をうかがわせます。
決して順調なことばかりでは、無かったけれど、私は私を失わずにきた・・・。

経てきた日々への、感慨と感謝が「今日生きて」に凝縮されているような気がします。そして行く末への決意。のようなものも、かんじさせます。

一切の無駄を身につけぬ曼珠沙華のように・・
強い意志が伝わってくる句です。

・・・・

この句のように自分も、
すっくと美しく立ちたいと思ったのかも知れません。
今も、このような気持ちは持っていますが、

今ならこの句よりむしろ

もう光ることさへ忘れ枯芒」 深見けん二

に心惹かれます。

曼珠沙華が枯すすきになっちゃってるよん

肩をいからせ、少し気を張り、「ここに吾立つ」と宣言した、自分もなかなか良かったよ。・・・でも

芒に自己を投影しつつ、つぶやく肯定の言葉。

全てを受容する。あるがままにそのままに・・・

むける、まなざしがやわらかく、何の気負いもない

其処に、生まれるやすらぎの気持ち。
温もりある自然との一体感。

・・・素直に今の自分の中に入ってきた句です。

「もう」という言葉の使い方に、おたまにゃ、100年早い、イエ、100年たっても作れないよ・・と思ってしまいます。

おたまちゃん。枯れちゃわないで~~

と、引き止めるなら、今のうちやで・・・・・

って誰も、引止めへんわなあ・・・



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2010年9月26日 (日)

曼珠沙華1



Higann006_convert_20100925140600 毎年、庭の隅で数本咲かせます。田舎育ちの姑は、庭に彼岸花なんて・・・と笑っていましたが、

・・・・・・・・・・・・

 

幼かった長男がHigann008_convert_20100925142410
初めてこのはなを見たとき
「花さき山の花だ」と言って
感嘆の声を上げました。

                 

  

        

この花が、なして こんなに きれいだか

なして こうして さくのだか、

そのわけを、あや、おめえは しらねえべ。

Hanasaki_006

にんげんが、やさしいことをすると ひとつさく。

・・・・・・・・・・・

突然、ぽつんと咲く花さき山の花。
あたり一面。花でおおわれる山。

花はそうやって咲くのかも知れない・・・
そうかなのもしれない・・・と思えてきます。

そして、作者は彼岸花をイメージされていたのかしらなどと、想像しています。

(斉藤隆介・作 滝平二郎・絵)岩波書店

秋の彼岸のころ、突如として咲くゆえか
その真っ赤な色のゆえか有毒草ゆえか

畦道や藪に親しく咲くのに
忌み嫌われることもあり
摘んで帰ると「火事になる」と叱られた人もいらっしゃるでしょう。

だから、俳句の句材としては、とても、魅力的で多くの方が詠まれています。
そのお話は、又。



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2010年9月24日 (金)

ヘンナコトバカリ



男友達(5歳)が遊びに来ました。
しばらく逢わないうちにいい男になっていました。

         

彼とお茶しながら(あちらはミルミル)ハナシをしたんだけど、何ですってね。

今は「みなしごハッチ」っていわないんやね。

みつばちハッチ」っていうそうです。

「みなしご」が「差別的」とかなんとかいうんじゃないの?

バカ。カバ。ちんどん屋、おまえのか~ちゃんでべそ
デブデブ百貫で~ぶ、電車に轢かれてペッちゃんこ

おお。消え行く文言たちよ・・・

表現者・おたま。規制と自由のはざまで揺れ動くのでございますよ。(筒井康隆か!)

その昔、弁護士を招いて勉強会をしたことがあります。
テーマは「子どもの人権」。
ご近所の、お母ちゃんたちが仰山、集まりました

人権派の弁護士せんせ、公演の中で「バカチョンカメラ」という言葉を、お使いになった。
案の定、休憩時間に抗議の声があがり、前言撤回されました。

ばかでもチョンでも」「チョンガー」「チョンボ」と使うとき、それは朝鮮人に対する差別用語だと教えられ、その語源を初めて知る人もいます。

おたまが、このときすごく気になったのは、
バカチョン」の「チョン」は本当に朝鮮人という意味で使われているのかどうかということでした。

それで、調べたり、えらい先生に聞きにいったりしましたが(ウィキペディアなんてない時代です)
どうも、もともとは「満たない」「半分」「たらない」という意味だったらしいのです。

したり顔のお方が「けちょんけちょん」も使ったらいかん。とおっしゃるが、これは、明らかなる、和歌山弁です。

誰かが「これって、差別用語やで」と言い出し、みんなが、「そうだそうだ」。と言って、それを使ったひとが「非常識な極悪人」みたいに見られ「もうしません。ごめんなさい」とあやまらせられるのって、

・・・・・・どうなのでしょう。

社会的規制の「社会」とは、「個人」の集合体なわけだけど
集合しちゃえば、全く別の生き物ができあがる
確立(成熟)しないままの「個」の集合ってやっかいだ
だって、主観の問題なんて誰がどう決めるのよ。

「この人差別的な考えの人だな」と感じる人は、おたまの知り合い(友人ではない)にいるけど、そんな人ほど「こんな言葉つかっちゃいけない」なんて、いいます。

表面繕っても本質が見えていないってことです。

子ども達は学校で、「それを聞いていや~になる気持ちの人がいたら、使ってはいけません」と教えられました。

かくして、100貫デブも、でべそも、口げんかの手段に使えなくなり、

「や~まだの な~かの ○○○のかかし」と歌えなくなり、

子どもばかりではありません。

ウチのお母ちゃんが「ボケ封じのお寺に行く」と言ったら
おたまは、あたりをきょろきょろ見回し、
「しーっ!そうじゃない。認知症封じでしょ」と訂正せんと、あきません。

そんなことより、このぶろぐも

夫と死別した後、婚姻していない、おたまの日記
に変えなければいけないかしらね。


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2010年9月23日 (木)

目の毒・耳の毒



お母ちゃんが、お昼のワイドショーを見ていました

薬物事件で、判決を受けた押尾学氏の獄中メモが映っていました。
歌や芝居をしている人らしいですが、ワイドショー以外では彼を見たことも聴いた事もないので、よく存じ上げません。

知っているのはこの方が
インスタントラーメンは2分しか待てネエ」とか
オレを越えてみろよ」とか
おっしゃっていたことくらい・・・

それで、テレビを見た感想は

。きったネエ!」

こういう方こそ、日ペンのにこちゃんにペン習字を習うべきだわ。

そんなことより、重箱スミコの異名をとる、おたま
見逃さなかったわよ。

そのメモの端っこに書かれていた名前

「中村天風」  をね。

今まで読んだ自伝・評伝の中で三番目に面白かったのが、評伝「中村天風 活きて生きた男」でした。
冒険活劇のようで、ホンマカイナとおもいながら、読みました。

(たぶん)殿様のご落胤として生を受け、若き日に人を一人叩き斬り、右翼の大物に可愛がられ・・工作員として大陸に渡り,「人斬り」の異名をとり。アメリカへの密航を経てヒマラヤで修行をし・・・・・・まだまだつづく。そうそう、新憲法の草案にもかかわっていたらしい・・・

押尾メモにこの名前のあるのは興味深いことでした。

ちゃん。(ってそんなに親しくないけど)

天風さんから何を学ぶ、おつもりなのかしらね。

というような、ベタなギャグの出たところで、お母ちゃんの散歩の付き添いに行ってきま~す。

この人、何しはったん?」「何する人?」と聞くので
老人の教育上良くないと思い・・・

いってきま~す。



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2010年9月22日 (水)

出たり入ったりその後



ピンポ~ン
ガチャピン(近所のともだち)がやってきました。
何してるの~~

カイキャク~~

はあ~?」・・・・だからね、開脚 

のんきねえ~」・・・「ほっといて~~

ガチャピンに、この壮大な開脚計画は解るまい。

そうそう、おたまなりに色々調べてみたけど、続けやすくて、体(腰)に負担の少ないのは、頭を壁に垂直方向にして寝転び壁面に沿わせて開脚をしていく方法です、足の重みで自然に開いてゆき、そのままの姿勢で本を読んだり電話をしたり、できますのよ。おほほ。

最近は「股わり」より、もっぱらこの方法でやっています。

ガチャピンは母の顔を見にきてくれたのです。

お母ちゃん、退院後、我が家に来ています
うんこらさっと、ベッドを下の部屋に入れました。

今日、初めて放牧(外の散歩)しました。
体力が日に日に戻ってきているようです。

淡路島のワタツミの宿に一度泊まってから死ぬ」などとわけのわからないことを言っていましたが、最近は「もうチョット遠いトコがええ」。と言い出しました。ハイハイ

入院中に「矢野ちゃん」が引退したことがこたえたようで、「私が病気したから・・」って、カンケーない・ない。

「喜連瓜破(キレウリワリ)の星は必ずや、指導者として、タイガースに戻ってくるよ」と平凡氏になぐさめられていました。

そうそう、平凡氏。バタバタとお引っ越し手配です。

子どもが巣立ち、自分で生計を立ててくれる・・

いぇい! この日がやってきたよおおおお

で、新居?を見てきました。
ま・荷物を運ばされたのですがね。

お部屋が三つもありました。
えっ!すごいじゃん。真綿ちゃんとカクレンボできるね
といったら、
そんなこと、せえへんわ!」と申しました

あなたの、とーさんとかーさんは、お部屋が二つだったけど、やったもんよ。

息子の巣立ちはガチャピンにも言ってないのよ。
おばあちゃんも、こういう場合は「お祝い」するべきかどうか・・・といっています。

「入籍なき同居のメリットって何なん?」

ときいたら、     睨みよった ≫

黙って見守る約束でしたわね。ハイハイ



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2010年9月21日 (火)

望み果て無し



今日のお花002_3

バラ・・・・・・・・・・・・ 愛らしい
オレンジューム・・・・ 可憐
レザーファン

ここには映ってないけど
スプレーカーネーション・・・ 素朴 も入っていました。

お花屋さんが仕入れたままで持ってきてくれるので、バラもトゲがついて花丈も長いままです。

その時の仕入れ次第なので、生け花の時は他の材料を足したり、引いたりしてくださいね。と言われていますが。これでいいの。

おたま、昔の娘さんなので、一応、華道のお免状は(お金を出して)もらっています。
でも、これでいいの。この投げやりな投げ入れで・・・。

月に二回、「わーっきれい」と、楽しみにしています。

きれいなものをきれいと思う感動は人間の幸せのひとつですね。

最近感動をすることも少なくなってねえ・・
だから俳句ができないんだようう。
心がしなびて、干からびてるんだようう。

茶道もお免状持っておりますのよ。(ハイ。お金出しましたわ)

お稽古茶碗のなかに、すごく気に入ったのがありました

志野の筒茶碗で立ち鶴の絵が書いてあります

002_convert_20100920133605

「いいなあ、このお茶碗。大好き」といつもいつも言っていました
いつもいつも、いつもいつも言っていました。

ある日、お稽古の片づけをしていたら、先生がそっと、そのお茶碗をおたまの膝においてくださいました。「持ってお帰りなさい」って。

あとで、聞いたのですが、志野焼にもいくつかの種類があり、その茶碗を焼く人はもう居られない(後継者がいない)貴重なものだったそうです。

好きなものを身ほとりに置き
好きな音楽を聴き
美味しいものを少しだけ食べて
好きなお友達とおしゃべりをする

ああ、これで、ひっちゃん(夫)が居てくれたらなあ。
と申しますと。

それはそれで、面倒くさいものよ・・・
と、お友達は声を揃えていいますがね。



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2010年9月20日 (月)

教育ママ



ポストの前にひよこが群れていました。
ひよこというのは近くの幼稚園児です。
手に手に、お手紙をもち、順番に投函しています。

先生が気を遣い「どうぞ、お先に」と言ってくださいましたが、そこは、そう、おたまとて、大人でございます。
教育的配慮ってモノくらい心得ております。

順番は守りましょう

その代わり(って何の代わりかわからんけど
前に並んでいた子に耳打ちしてやりました。

ポストに手を入れたら、お化けが引っ張るで~

とっても、いやな顔をされました。

敬老の日にあわせ、町内のおじいさん、おばあさんにお手紙をだすのだそうです。

え~。字が書けるのですか?」

はい。五歳児クラスですから・・」ときれいなセンセは鼻をぴくつかせながら、おっしゃいました。

思い起こせば、「字は学校で習うモンや」と、
親には教えてもらえず、
保育所では、「字」より、一本の縄を使って、どのような遊びを考え出すかってなことばかりの毎日だった、
そんな平凡氏の小学校入学2日目は悲惨でした。

先生が、黒板に、時間割・もちもの・を書き、それを周りの友達は当然の如く、連絡帳に写しはじめたそうです。

ご本人、何が起こったのかワケがわからず。

パルプンテ 状態 

隣のマツバラさんに書いてもらったそうです。

帰ってから、
おたまちゃんの教育方針のおかげでボク赤っ恥かいたわ」みたいなことをいうので、
それは、おかしかろ。親が教えたらセンセの仕事がなくなるやんか」と口にはださず、手紙を書きました。

ウチのお坊ちゃまは自分の名前の五種類の字しか書けません

その後も教育に関しては
もっと、べんきょーせえって言ってくれたらやっていたのに・・」とぬかしよる。

そのくせ。「ボクにお金かけても捨て金やで」と言って塾に行かなかったのは本人です。
この近辺、とくにおハイソでもないのに通塾率はごっつう高かったのです。

五歳年下、しっかりモノの次男・明星は兄を見て育っているので、(こんな母ちゃんあてにならんと)早々と中学に入るとき

勉強したいという子どもの芽を摘むな。塾に行かせてくれ」といいました。

心で「ムダ・ムダ」とおもいながら、「ハイハイ」といいましたが
案の定、塾の宿題がたまって出しなさいといわれてじゃあ辞めますといって↓ ↓ ↓
すぐに、やめよりましたわ。はっはっはっ・・・

ちなみに、ひっちゃん(子の父親)は、息子等に「何年生になった?」ときいて、「ほーほー。ほーほー」と、言って、
それが、しょっちゅうなので(覚えてくれよ)、逆にいえば、あまり関心がなかったのかなと思います。

そんなことを思い出していたら、ひよこ集団は

ライオン組が終わり、ペンギン組が割り込んできました。

まてまて、待たんかい。

おたま、おばちゃんが先や!

ちゃんと、切手貼ってる」 「貼ってるわい

さすが、字が書けるだけあって、
しっかりしてはります。



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2010年9月18日 (土)

思春期の入り口3



いつものように会い、おたまは熱いレモネードを飲んでいました。彼は、珈琲だったとおもいます。

「死のうかとおもってるんや」と彼がいいました。
口にすることで考えを整理しているようでした。

おたまは、吃驚しました。
なぜなら自分が思っていることと一緒だったからです。

それで、「私も、死のうかと思ってる」といいました。
(正確に言えば「死んでもいいな」と思っていました)

そこで、「じゃあ、一緒に死のう」ということになりました。

それで、「次に会うまでにお互い≪方法≫を考えておこう」ということになりました。

一月の寒い日だったとおもいます。

あちらの抱えていたものが何だったのかは詳しくききませんでした。又、こちらの持っているものも詳しくはなしませんでした。

若さとは、乱暴なものです。
今ならわかりますが・・・
未熟さゆえにそれしか無いとおもってしまう・・

幸か不幸か、不幸か幸か、それからしばらくふたりは出会いませんでした。

再会したのは春の初め。おたま、18歳になった頃だったとおもいます。

「生きてた?」「生きてる、生きてる」といって笑いあいました。

彼はすごく明るい表情になっていました。上の学校に進んでいたのですが
「ヤメタ」と言いました。

「今、あそこで働いてる」と言って、近くの公共機関を教えてくれました。

おたまの方は、相変わらず夢も希望も無かったけどそれなりに進んでいました。

その頃、高校生同士の心中事件が新聞紙上に取り上げられていました。
大人たちは、どろどろした話を作り上げていたけど、「ふつーにあることじゃないかなあ・・」って感じていました。

利用する沿線の乗り換え駅や電車の中で、

それからも、「おうっ!」「よっ!」と出会う感じで月日がながれました。

あるとき、彼が「俺らも(付き合いが)長いなあ・・」といいました。

出会って、7・8年経っていました。
20年そこそこしか生きていないうちの7.8年ってながいですよね。

それで、今度どこかへ遊びに行こうということになり
私の連絡先を教え

信じられないけど、ココで、初めて、お互いの名前を名乗りました。

それまで、名前を言うでもなく聞くでもなくいたのです。
あんなに、身近にいた人なのに。

これから、どう変って行くのかなあ。今までのような「ダチ」の関係というのはムリなのかなあとぼんやり思いました
年頃の男女だもんなあ。

幸か不幸か、不幸か幸か、お互いの都合がつかず計画倒れとなりました。

1・2年が経ちました

おたまも、地元を離れ、それぞれの社会も広がり、会うこともなくなったころ、
ある日、駅で電車を待っていました。久しぶりに利用する懐かしい駅でした。

其処へ急行列車がホームへ入ってきて
おたまはその電車をやり過ごすつもりでぼんやり乗降の人を見ていました。

視線を感じたその先。
彼が赤ん坊を抱き奥さんらしき人と電車に乗り込むところでした。

初めてであった日のように心底おどろいたような顔でおたまを見ていました。その目の奥が笑っていました。

電車とホームのすれ違い。
おたまは一生懸命に手をふりました。

それが、最後の出会いです。

ながながとハナシを聞いてもらってありがとうございました。

13歳と14歳。

トキメキとか、恋心を育てるには、あまりにも幼すぎる出会いだったけど、
指の一本も触れないままの、付き合いだったけど、

おたまの思春期の入り口にいた、
とてもとても、懐かしい人です。

まっすぐに目を見てハナシをする人でした。
「キミ、○中の子やろ?どこから来てるの?」

おたまが、こうして、思い出すように、あちらも、おたまのことをたまには思い出してくれているんじゃないかと、勝手に考えています。

匿名希望さん。甘い話でなくてゴメンナサイ。



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2010年9月17日 (金)

思春期の入り口2



一昨日の続きです。

京都方面から通勤されている先生も多く、帰りの電車で時々、一緒になりました。
「何読んでるねん」とおたまの持っていた本を手にし、「大人っぽいもの読んでるんやな」といわれました。水上勉の「飢餓海峡」だったかもしれません。
13・4歳の読み物じゃないかもね。当時の話題作です。

「皆と同じ時間の使い方したらあかんで、通学に(時間)とられてるんやから」
と、いわれました。
おたまは、中学3年生・・受験生になろうとしていました。

高校三原則の一つ「小学区制」を守っていたのは、蜷川府政の京都で、大阪は当時13学区が5学区となり、学業成績(テスト)による高校選択の輪切りがますます、細分化されていました。

春になりました。件の男の子に会いました

彼は成績トップクラスが(輪切りで)行く学校の制服を着ていました。

「この子、あったまいいんやあ・・」と思いました。
受験参考書を貸してもらったりしました。

別に待ち合わせをしたり、約束をするわけではないのだけど、何となく出会っては言葉を交わしました。

そういえば、初めて男の子と二人で喫茶店に入ったのは彼とでした。
おたまも高校生になっていたと思います。
制服のままパチンコ屋についていきました。立ったままで親指ではじく台でした。

こういうのを当時の言葉で「男女交際」っていうのでしょうか。
別にお互いの気持ちを確認したわけでもなく、こちらはこちらで、女の子「お定まりの」運動部のキャプテンに「先輩すてき~」っと大騒ぎをしていたし、あちらはあちらでガールフレンドもいたと、思います。

そんなふうでしたが、おたまが高校三年生の冬、
「一緒に死のう」という話になるのです。

出会って、四年が経っていました。



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2010年9月16日 (木)

それは、言うたらあかん。



昨日の記事について、匿名希望さんから
「もったいぶらず、さっさと書け」というコメントがあったが

とっても腹立たしいことがございましたので

あの、続きは明日にします。(どんだけ引っ張るねん)

おたまは、自分をよりよく、自分で言う人間ですが

自分で言うのも何だけど、

きわめて穏やかな人間なのです

誰が・・・って?

ワ・タ・ク・シ ですよ。

小学校の通知表には「明朗温和・素直な性格でとても良いお子さんです」っていつも書かれていました。ホントだってば。

そんな、おとなしい人間を怒らせるのは、怒らせるほうが100㌫悪いって、思われません?

昨夜、至福のひととき(晩ご飯食べてた)を過ごしていたら電話が鳴りました。
もぐもぐもぐ、ゴックンと大急ぎで受話器を取り

おもいっくそ、可愛い声をだしました。

「ハイ。おたまの家でございます・・」

思い出すだに、むかっ腹が立つ(どこが穏やかやねん)のでございますが。
先方。何て言ったと思われます?

 「若い人に替わって下さい」

って、おぬかし遊ばしたのよ。

えっ?えっ?どういうこと?
何?何?何?意味わかんない・・・

おたまね、不埒な電話営業でも、理不尽な新聞の勧誘でも、意味不明な宗教関連のピンポン訪問でも、それは、それは丁寧な対応を心がけています。

穏やかな性格(自称)のせいもあるけど、
せまい世間、どこでどうつながってるかわかんないのでね。

そう、人の世は「一期一会」なんだよ。って亡き母の教えです。(まだ、生きてるっちゅうねん)

そんな、広い心の持ち主に向かって、あの人は・・・
決して言ってはならぬことを言ってしまったのだ

生まれて28年間で初めて、受話器をガッチャンと置いてしまいました。

平凡氏が驚いて、「どないしたん?」と聞きますので、仔細を報告しますと。

 「おたまちゃん声は 若いのになあ

・・・・・・・・・・

あれから息子とは口を利いておりませんの。



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2010年9月15日 (水)

思春期の入り口



二年ほど、京都の宇治に住んだことがあります。 

中学2年の秋、13歳から15歳になる頃です・・
大阪に戻ることになっていたので、中学は越境通学をしました。

電車を下りて、宇治橋を渡ると、お茶を焙じる香りがしました。
県(あがた)神社の鳥居脇の参道に小さな八百屋さんがあり。中学の詰襟をきた男の子がよく店の手伝いをしていました。

同じ年頃の異性って、少しまぶしいなと感じるそんな年頃でした。

平等院の前を通り、宇治川に沿って堤を歩いて帰りました。

塔の島ではよく、時代劇の撮影をしていました。
大瀬康一の隠密剣士だったかな・・よく覚えていませんが。

宇治に来るまでは、学校が終ると誰かが家に来たり、友達の家に行ったり、防空壕ごっこをしたり、探検をしたりで、楽しかったのに。
ここは、知り合いも友達もいませんでした。

二時間も通学するので、よくラブレターをもらいました。
駅のホームで待つ男の子がいたり、あとをつけてくる人もいました。
先生に「他校生が校門で待っているから裏門から帰りなさい」といわれました。

人間、人生に一度は花の時期があるのでしょう。
おたま、アレがピークだったです。

残念なことに、非常に晩熟だったので、今なら「もったいない。ありがたい」と思うことでも、関心がない。というより、ちょっと怖かったです。

そんな中、中二の冬だったと思いますが。
中学校のある駅の二つ手前から隣の中学の生徒がどやどやと乗ってきて、一人の男の子が、おたまの正面に立ちました。

その子は心の底から驚いたような顔をして、
「きみ、○中の子やろ?どこから来てるの?」とききました。
「宇治」
「へ~っ。宇治から?越境か?」
そんな話しをしていたら、おたまの下りる一つ手前の駅に着き、その子は下りていきました。

次の日も、その次の日も、同じ車両に乗り、少しずつハナシをしました。

襟の記章から、一学年うえの三年生だとわかりました。

てへっ! こんな話。面白くない?
秋だからね。

気が向いたら、続きは又ね。



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2010年9月14日 (火)

男前いずこ



「男の顔」というカテゴリーを作っておきながら
最近とんと、ご無沙汰だわ。

男前に飽きたのか・・・うんにゃ。そうではありませぬ。

男前が見当たらないのです。ノット ファインドなんです。

「男は見た目」
なのに。きれいでもないフツーの男子が映画やテレビに出たり、ジャニーズ事務所にはいっている。それでもって、人気がある。

許せん 

あれなら、ウチの子らのほうが男前や・・
                 by 生みの親

男の顔といえば・・

おたまが花もあきれる 恥らう高校生だったある日、授業中に一枚の紙切れが廻ってきました。

そこには、こう書かれていました。

「伊藤雄之助っておやまやってんで」

(伊藤雄之助氏は歌舞伎の出身です)

そのメモ書きは教室を一周して・・・

ただでさえ、箸が転げても可笑しい年頃なのに

伊藤雄之助とおやま・・・・きつすぎる

みんなみんな、我慢していたのに

A子が素っ頓狂な声(音)を出して、吹き出した・・・

「ぐぐむ・・」「ほげっ」「ぷぅわ・・」

伊藤雄之助の・・・・・・バカ!
あの方に責任はないわね。

特異な風貌と声、そして演技の俳優さん。
味わいのある役者さんが少なくなっていくみたいです

派手な大顔・阿部九州男   策士・月形龍之介
くいだおれ太郎・杉狂児  悪だくみのボス・原健策
若い頃からおじいさん・加藤嘉
何は無くても・進藤英太郎

皆さん、良い顔をされていた。

・・・・・今は、どいつもこいつも

どちら様もこちら様も、中途半端な二枚目ばかり。
あえて、名前は出さないわ。おたまも命は惜しいから

THE「男」って顔の人が少なくなったわね。

女性もそうね。「美しい人」が見当たらない、
顔立ちは良くても品位に欠けていたりね・・・

残念だわ・・・

仕方ないので、鏡でも見ておくとするかっ!

(えっ?聞こえた?メンゴメンゴ)

ウソ。ウソ。 ちょっとしたジョークさっ!

命は惜しい・・どうぞお助けを・・・



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2010年9月13日 (月)

浄瑠璃の里



おたまの住むところは山の中なのですが
もう少し奥に行くと、大阪府は最北のまち
「能勢町」(のせちょう)があります。

昨夜は人形浄瑠璃があるというので俳句仲間と吟行にでかけました。

丹波路、能勢路は200年もの昔から浄瑠璃や農村歌舞伎がさかんな地域です。
一説には、灘や伊丹、西宮に出てきた杜氏さん、蔵人さん達が故郷にこのような文化を持ち帰ったとも聞きますが・・・どうでしょう。

実はおたまの住む町のお宮さんにも、立派な舞台があり、秋祭りには子ども歌舞伎がおこなわれます。

6時半の開演が近づくと会場となった小学校の校庭に、
(ここは、神社の境内でもあり校庭でもあるような・・・)

そう、客席は境内なのです。

篝火が焚かれ、本殿の両脇の灯籠に灯がはいります
大きな入日が西の山にかかり辺りは茜色に染まります。

大きなシートの上に持参した、お座布団をしいて、愛ちゃんが蚊取り線香をつけ、S子さんがオムスビを持たせてくれる・・・あなたまかせの夜ですわ

出し物は、

「三番叟・傾城阿波の鳴門・本朝廿四孝

覚えて下さっているかしら、あの肉食姫,八重ちゃん
再びの登場です。
彼女、昨夜は恋人、勝頼公を追って諏訪神社まで行ってたわよ(奥庭狐火の段)
この段では彼を救い出すために氷の張った湖を歩くの。
とんだアドベンチャーだわ。
それを、狐がサポートします。どうか氷が割れないように力を貸しておくれ・・
でも、この体重、イヤ衣装じゃねえ。かんざしだけでも重いのよ・・
恋の一念ってすごいわね。八重垣姫ガンバレ

それを、お人形が演じるわけです。
そして、演者は伝統芸能を守る地域のかたがたです。

たまたま、お隣にスイスからのお客人が。
スイスで尺八を習っておられるそうです。
良い旅をなさってね。日本の文化を愛してくださってありがとう」と言っておきました。もちろん英語よ。
伝わったかどうかはわかんないわ。

帰りに我が家に寄って、句会です。
おっちゃんも、おばちゃんもようやるわ。
三句出句で堪忍してあげることにする。

お菓子を食べながらきゃっきゃ、やっていると平凡氏が帰宅なされた。

母がいつもお世話になっています。どうぞごゆっくりしていって下さい

へえ~。ちゃんと言えるんや。(そら、おっさんやもん)

解散は22時30分

平凡氏いわく。

年寄の夜遊びって秘密結社の匂いがするなあ

誰が、年寄りやねん。
ま、おたまが最年少なんですがね。

 「浄瑠璃の開始待ちをり秋扇」 おたま

 「狐火の出でて佳境に村芝居」 おたま

「狐火」は冬の季語ですが、この場合はお芝居の小道具ということで許容はんいかな?と。季語は「村芝居」(秋)です



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2010年9月11日 (土)

出たり入ったり



何となく家の中がバタバタしています。

長男平凡氏と真綿嬢の共同(?)生活がもうすぐ、スタートするのです
「おめでとうさん」と言ってよいものやら・・・・

結婚に「おためし期間」なんか要る?
「ゲゲゲの女房」を見せておくべきだったわ。

母、おたまとしては、
先方の親御さんに申し訳ない気持ちだけど・・・・

真綿ちゃんは「大丈夫ですぅ~」と呑気そうに言う。
それより、思い描いた通りのレンジも炊飯ジャーもぴたりと収まる、小ぶりの食器棚が見つかり,満足げです。

ああ、何も言うまい思うまい。
愚かなる息子を引き取ってくれる奇特な女性が現れたのだ、ありがたや、ありがたや。

それで、お婿のお支度として、ユニクロ&スーパーを2軒まわって、パンツとシャツと靴下を山ほど買ってきました。

せめて、パンツ位は「快適なはき心地を実現する、優れた伸縮性と特殊な立体裁断で男の魅力をUPするレギュラーサイズ」をもたせてやろう。

母(85歳)がシャバに出てくる。
10日間のベッド生活で弱体化しておられる。
退院と同時に、おたまんちに護送することになった。

どうせ、元気になったら「帰る・帰る」と言うに決まっているが、我が家にいてくれたほうが、コチラは、楽です。

病院ではお医者様はじめ周りから「本当にそのお歳ですか?」と驚かれ、すこぶる上機嫌でございます。

平凡氏がおばあちゃんに
おたまは、早く出て行け、出て行けっていうけど、あれって、ほんまは寂しいんやで」と言っていたらしい。

うぬぼれるんじゃねえよ 

あと、おたまの望みは次男明星が
「弓折れ矢尽き」東京から嫁も娶らず帰ってきてくれること。

いけないわ・・そんなこと考えちゃ。



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2010年9月10日 (金)

黒塚2



、「黒塚」でございますが

これほどシンプル且つ、幻想的で美しい歌舞伎舞台も無いのではないかと思います。

福島県は鬼女伝説の残る「安達ヶ原」・・・芝居の舞台となった、この地をぜひとも訪ねてみたいものです。

 「芒原身の内にあるされかうべ」 おたま

あ、その前にお話の大まかなところをご紹介します。

ちゃんと知りたい方は、それなりに調べてね。
PCなどで得られる情報をここに写しても、シャーナイと考える、おたまの独断解説ですのであしからずご了承くださいませ・・・

私だって、まっとうに生きてみたい・・
好きで鬼になったわけじゃないわ。

ま、今日もレアで人肉食っちゃったけどさ。

一夜の宿を求める、あのお坊様はおっしゃったわ

悔い改めれば罪は許される・・・

それは全ての人において・・・、いはんや人食い鬼となったワタクシ、老女岩手においてもをや。だわ・・

うれしいな、うれしいな。

鬼も成仏できるんだ~~~

あさましや はずかしの この姿・・

人を怨み、世を呪い、妄執のうちに鬼と成り果てた彼女とて、心には求めて止まない「救いへ切望」があったのでございます。

こんな罪深い私でも、いいのね、いいのね、仏様。

舞台は一面の芒の原。月光が作り出す銀色の波・・
その寂寞たる宇宙の只中にぽつんと在る鬼女の魂。

鬼女とて哀しいのだ、己が業の浅ましさに幾度、佇ち尽くしたことでありましょう。

悟りの道の遠くチラチラ灯りが見える。。(って唄入り観音経だっけ?)

そう!救われるんだわ、わたし。うれしい・・・

待ってました!

ココからが見せ場の鬼女の踊りです。

来世に希望を繋ぐことのできた老女岩手の喜びに満ちた、まるで幼子のような無邪気な踊り。

一人なす、影踏み遊び・・・

岩手ちゃん。良かったなあ。
そうそう、仏さんは救ってくれはるんやで

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ちゃんちゃん。おしまい。

とならないのが、お芝居の深いところやね。

あれほど、「見てくれるな」と言ったのに・・
「見たのね~。死骸の山。私のベッドルーム」

人って裏切るんや・・・やっぱり・・・

怒  怒      怒 

もう終わりや。お仕舞いや、と裏切りのカタストロフィは

鬼女の本性あらわにする。

怒りで スーパーサイヤ人に変身してしまう岩手なのでありました。

ハナシは続く・・

昨日も書いたかもしれませんが

曲の素晴らしさ、三味線ソロの巧さ

これぞ、歌舞伎サウンドを堪能しました。

寂とした静謐な舞台の美しさ、照明技術。

楽しんで、心に残って、感動する・・・
見どころ聴ききどころ溢れる作品。
「黒塚」

ぃやあ。良かったです。

右近さん、もちろん結構でした。
しかし、猿之助で見ておきたかった・・・



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2010年9月 9日 (木)

黒塚1



は~い。開脚に明け暮れるおたまです。
ヒマさえあればやってます。
先は長いので、あまり張り切りすぎては「飽き性」が目を覚ますのではないかとハラハラドキドキ、いや~んもー。状態です。

そんな中、歌舞伎をみてきました。

ナンバは御堂筋にあった新歌舞伎座が上本町にお引っ越しをしまして、その杮落とし興行と相成りました。

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市川猿之助監修による「二十一世紀歌舞伎組」公演
(喜び組とちゃうよ)

お目当ては「黒塚」

でも、あれねえ。歌舞伎って観られるときにちゃっちゃと観ておかないといけませんねえ。おたま、今もって口惜しいのは、
「隅田川」中村歌右衛門さまの班女の前です
南座の顔見世、チケットまでとってあったのに急病休演となりました。20年以上前のことなのに・・・ムムム残念。

そして、もうひとつがこの「おもだかや歌舞伎の原点」といわれる「黒塚」です。

「いつまでも、あると思うな、親と猿之助」

ナゼに観ておかなかったのだろう・・・数年前、岩藤の宙吊りでまだまだお元気と安心しきっておりました・・・

申しても詮無きことでございます。

とうことで、今回は猿之助の秘蔵っ子というより、今や澤潟屋の屋台骨を背負う市川右近の「老女岩手」でございます。

その、舞台美術のすばらしさ
ブライアン・メイのギターソロ顔負けの三味線の巧さ
・・・

そんな、お話はまたね。

そうそう、またね・・股ね
開脚、開脚。ああ。楽しい。



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2010年9月 7日 (火)

またねっ!



開脚を決意してから2日。
くじけそうになるおたま(まだ、何もやってへんのに)に
地球の反対側から、そして全国から励ましのおたよりが届く・・・。(わけワカンナイ人は昨日の記事にもどってね

B型オバはんさんによると、8ヶ月で達成するらしい。

8ヶ月かあ・・

出来うることならば、還暦の宴席で見事、180度開脚をご披露したい。
赤いちゃんちゃんこを着て。

誰が、見たいねんって話だが、かまうもんか。

股といえば、おたま、たまたま。

この夏の思い出として、股覗きをしてきました。
もちろん、天橋立にて・・・でございます。

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は~い!おたまでやんす。

お初にお目にかかるのに、こんな格好でごめんなさいね
恥ずかしいのでメチャンコ小さい画像にした。拡大もできないぞ。

これを、残暑見舞いとして、血のつながっていない、歳の離れた弟(ったて彼も不惑ではあるまいか)に送り付けてやった。

おたまねえさん。股の向うに何がみえるのですか?
と、訊いて来た。

今なら、はっきり言える。

明るい未来さっ !

股・股・股・って

何かのはずみで、本日初めてこのブログに来てしまった方は、驚かれることでございましょう。な・何なんだあ。この人!

私、未亡人おまた って申しますの。イヤほんま。

春駒(PC)のお気に入りバーには
「開脚に挑戦」「開脚ストレッチ」「開脚エクササイズ」と
並べておいた。  よ~し。よしよし。

本日のメニューもチャッチャッとこなしておいた。

股割。鉄砲。すり足・・・・????

何か、間違ってる?



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2010年9月 6日 (月)

高すぎる目標



今日のお花 009  

トルコキキョウ・・・・・・・・優美
シンフォリカルポス・・・・・可愛い
スプレーカーネーション・・素朴
ワレモコウ・・・・・・・・・・・・物思い

本当に下手な写真だわね。

そのうえ、投げやりな投げ入れ・・・

写真、うまくなりたいです。そうでも、ないか・・・

いい俳句にであったとき、自分もこんな風に詠めたらいいなあって思うけど。
いい写真をみたとき、自分もこういう風に撮れたらなあ・・って思わないのは、ハナから自分にはムリって思ってるからかしら・・・

あまりモノを欲しがらない子だったと思うのだけど
カメラが欲しくて欲しくて、親が東京出張の土産に「コニカ・ハーフ」を買ってきてくれたときは嬉しかったなあ。

一枚のフィルムに写真が2枚写せるの。

クラスにカメラを持ってる子がいなくて、大喜びで遠足なんかに持っていきました。5年生だったと思います。

いつから、興味がなくなったのか。
この、「飽き性」がなかったら、おたま、も少しまっとうな人間になっていたような気がします。あと、「努力」

それも、ないんや・・・

全然、あかんやん。

うわーっ。今日、ごっつう。不景気なこと書いてるわ。

おたまよ、前を向け!
沈む夕日を追いかけるんだ! イヤ違う。
昇る朝日に向かって走るんだ!

夕日のばっかやろ~~~

誰にも言ってないけど、ま・ここに書いちゃうけど

おたまには、大きな目標があります。そしてそれに向かって努力しようと思っています。



それは  「180度・開脚」

言ってしまえば「おおまたびらき」?ってんですかね。
 (キャッ。失礼!)

そのトシでなんでやねんと、言ってくださいますな。

昔から、あこがれてましてん。

で、今ですか?

90度くらいかな。

ええ、ええ。道は遥か遠うございますがね。



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2010年9月 4日 (土)

入院騒動



あなたの母上様が入院されております」と病院から電話があった。

お小水の通る路に菌が入って高熱がでたらしい。
急を要するわけでもありませんので、ま・おヒマなら来てよね」みたいなニュアンスだったが、そうもゆくまい。

世間体ってモノがあるからな

で、飛ぶような(振りをして)感じで行った。

ね。おたあさま。
病院からの電話はとってもビックリするから、前もって知らせてね・・

母、無言。(都合が悪いとこの態度)

実は彼女、この2月、単なる打ち身を「心筋梗塞」だと言い張り救急外来で入院した「騒ぎ」を気にしておられるのだった。

そのときも夜中に病院からでんわがあり
急を要するわけではありませんので、ゆっくりおいで下さい」と言ってくださったが、おたま、てっきり「召された」と思ったものだった。

85歳。本人の希望ではあるが、一人暮らしはここらが限度かな・・・
と、娘おたまがしんみりしていると、

母、やをら、言った
ここの先生、イケメンやで。松岡昌宏にチョット似てるわ。いっぺん見てみ

いやいや、お母ちゃん。
言われなくても、病状と治療方針は、伺っておくつもりだし・・・それより、85歳が、
なしてTOKIOのメンバーまで知ってるねん。恐いわ

イケメンDrでなくても見てみる。イヤ、お話を伺うわよ。

おかげ様で抗生剤がよく効いて、じきに退院できそうです

松岡君に似ているかどうかは、なんとも・・・

一週間も病院のベッドにいたら筋力も体力も弱るのだから、退院、即おたまんちへ来てもらいます・・と言ったが

母、無言。(都合が悪いと、この態度)

その代わりこうおっしゃった。

「熱に浮かされながら、ひっちゃん(おたま夫)と鶴橋で焼肉食べてん。

ひっちゃんが、戸締りと、ガスの元栓しっかり閉めて、早くこっちへおいでって言うんやで

やっぱり、迎えに来てたんやな

どこまで、呑気な人なんやろ。イエ、母のことですよ。

おたまには、よう解りません。
何で、鶴橋で焼肉なのか・・・・。



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2010年9月 3日 (金)

名人芸



思い起こせば半年前。・・・・そう。

アレは、半年まえ。

動き始めた汽車に一人飛び乗って

 ません が・・・

余談ですが
昔、電車の車掌さんって「飛び乗って」ましたよね。
動き始めても、車掌さんはまだ、ホームの上。

ゆっくり動き出す電車。ゆっくり走る車掌。
加速する電車。加速する車掌

ささ。間に合うのか!

乗客のドキドキ感が頂点を極める間際にひらり飛び乗り、次に全開の車掌室の窓から半身を大きく乗り出して、指差し確認。

出発進行 !  もうとっくに出発してるし・・・

そうそう、駅のホームで名人芸のような水撒きをする駅員さんがおられたわ。
ちっこい、おじさんで、スミバサミの先でタバコの吸殻を挟むのも上手なら、
ほうきとちりとりの扱いもすばらしい。
その後の水撒きが・・なんと言ってもすごすぎる。

アレだけの利用者に決して水をかけることなくホームに水を撒いていく、そのリズミカルなこと・・・(おけいはんも惚れちゃいそう)

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京阪電鉄のHPで
美しいおけいはんに会えますよ。

あれぇ?

何の話だっけ・・?

思い起こせば半年前。  そうそう、それよ。

今日は、皆様に御心配いただいた、おたまの「四十肩」のその後をご報告しようと思っていたのに・・・

肩は、最近やっと、腰に手を当てられるようになりました。
「キヲツケ・マエニナラエ」の先頭の子のポーズね。

そんな、ハナシをするはずだったのに・・・

えらい、横道にそれました。

電車でなくて、よかった・・・



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2010年9月 2日 (木)

希望の始まり



お肌も気持ちもザラついたとき、(めったに無いけどね)
美しい詩を読みます。

たとえば・・・

わたしたちの恋の始まりが希望の始まり
ひとつだってそのことを疑ったりしない
きみのことを考えて道をあるきながら
きみのおかげでわたしはさびしくない
わたしは口笛を吹き春の雨にぬれてどこまでだって歩く

      ・・・・小長谷清実詩集「希望の始まり」より
                     花ある青春・・・・・・・

この詩は
わたしたちの青春は花ある青春だ・・・略
1960年・・・・略
ニッポンのうつろにやさしい恋人たちに幸あれ、だ

と、続く。

「アンポハンタイ・キシタオセ」をおしくらまんじゅうの掛け声だと思っていた、子ども時代でしたが、

あの1960年という政治的時代にも、「青春」は花としてあり、それはいつの時代でも変らずあり続けるもので・・

そして、青春とは、人生の一時期を指すのではなく

心に花を持ち続ける限り、青春は普遍のはずですわね・・・

おたま。忘れていたものがなんだかはっきりしてきたわ。


最近の自分に妙な違和感があったのです。
ボケてたわけじゃなかった。

そげです。ばあさんに成り下がっていた。
いかんいかん。

ガチガチ人間ではなかったはず・・

したり顔の、教条主義よさようなら。だわ。

やわらかい心で、
フレッシュ・フレッシュ・フレッシュ(聖子ちゃ~ん
どうよ、聖子ちゃんの若作り

そして、おたまの・・

(なんとすばらしい、一人合点)

そうね、そうなんだわ。

あんな大人になりたくないと思っていた大人になっていたかもね。

止めてくれるなおっかさん。っていってるんだもん。

平凡ちゃん。真綿ちゃん。好きにやりなはれ。

おたまは、心に花を。だわさ。

おたま、心の自由を求めてはばたく。

バタバタバタ・・・



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2010年9月 1日 (水)

小学生に告ぐ!



一年中で一番つらく悲しく、眠られぬ夜を過ごされた

全国児童のみなさん。

おはようございます。

今日から新学期、

お遊びはここまでだぜ!

ほら、輝けるステージが皆さんを待っていますよ。

「ハイ!宿題はここに出して下さい」ってね。

大人っていいよね。
宿題もないし
試験も何にもないっ!ゲゲゲのゲ。

児童のみなさん。

別に勉強なんかしなくてもいいのよ。
あの、天下のNHKだって、境港が島根県だか鳥取県だかわかんなかったんだから・・・

そういえば、「ゲゲゲの女房」も終盤ね。
応援、どうも、ありがとうございました。登校中で見られなかったですって?
そうよね。忙しいわよね、小学生。

境港出身の友人によると、安来と境港では微妙なニュアンスの違いはあるけど、出雲弁がお上手だったのは、ヒロイン布美枝の父親、源兵衛役の大杉蓮さん。だそうです。

全国児童のみなさん。

おたまオバチャマが言いたいのはそこのところ。
えっ? どこのところ?

だからね。「プロの仕事」の何たるか。なの。

出雲の人が納得する、出雲弁を使うのが役者ってものよ。

だから、オバチャマ、岩下志麻の「あほんだら~」は認めることができないわけよ。

素の自分がサウスポーだからといって左利きの板場はんは、おらんやろう。

綺麗な芸者さんがそんな、お箸の持ち方はせんやろう。

役者なら、それも含めて「演技力」やって思うわけ。

全国児童のみなさん。

学ぶとは、そういうこと! 努力とはそういうことよ!

えっ? どういうこと? (いらぬツッコミはいらないのよ

夏休みの宿題が出来ていなくても泣かんでもエエ・・
先生もそのうち、忘れはる。

それより大切な事は、

立派な板場はん役者になること ! ちゃうちゃう

とことん。や、何でも。

しかし、児童の皆さんが、こんなブログ見てるわけないな、

呼びかけ失敗やな 

   



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