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2010年4月11日 (日)

「死」について ①



私、泣いたりするのは違うと感じてた・・・
井上陽水もそう歌ってたわ。

「芸人に涙はいらん」横山ノックの葬儀で上岡竜太郎がそういった。

ワタクシこうは見えても
しかし、血も涙も  たっぷりござる。

幼い兄弟が手を繋いでいる。
犬が飼い主に向かって走る
・・それを見ただけで、涙がにじむ

・・・・・

 

ところが
「死」と涙が結びつかない

「悲しみ」というのがよく解らないのだ。

人が「死ぬ」ってことは悲しいことだろうか。
死は日常と隣あわす。
たまたま我が家に起きたこと。

別れの辛さ、寂しさはあくまで残った側の問題だ。
てめえで処理する。

8歳の頃の「恐怖」は
お化けでもなくカミナリでもなくゴキブリでもなく

「永遠ということだった。

 

良いことをすれば「天国」、悪いことをすれば「地獄」で永遠の命が与えられる
自分はすごく良い子でもないけど、それ程悪い子でもないのできっと、「煉獄」って所へいくのだ。そこでしばらく頑張ったら「天国」へいく。そして、その後は・・・永遠に生きる

 

永遠に生きなければならない

 

・・・・・怖い・・・

 

終わりが無いということが恐怖だった。
もう、終わりにしたいと思っても終われないのだ。
いやだ~。(死にたい時に)死にたいよ~

 

考えると怖くてたまらなかった
けったいな、8歳でした。

我等は死なず。我等死するもなお我等滅せず

 

 生のみが我等にあらず、死もまた我等なり
    我等は生死を並有するものなり  
清沢満之 
 」 

 

生徒手帳に書き留めていた。
けったいな12歳でした。

生の内に死はあり、死してもなお我等は生きる・・・
誰に教わったわけでもないと思うこのことは、いつから自分の内にあったのだろう。

 

・・・・

だから、なのか。それとは関係ないのか。
夫が死んだ時も泣かなかった。
強がっていたわけでも
我慢していたわけでも
こらえていたわけでもない。

たぶんだけどね。

 

夫を肯定してやりたかった。
「死んだ」という事実さえも。
涙の一滴も出てこなかった。       (つづく)

 

おたま、桜にそそのかされて書いています。「重い」方。スルーして下さいね
今更、遅いかい?ごめんなさい。

 


 

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