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2009年10月 9日 (金)

父の肖像

今朝の朝刊(武士のサムライ)によると台風18号の残した爪あとの記事。
今朝は台風一過の空が広がっています。

辻井喬著。「父の肖像」を読み終えました。

大いなる政治小説であり、おおむね事実に基ずく濃密な伝記であり、読み応えがありました。革命を夢見た人として、又詩人としての作者が、見据える「父が築きあげたもの」・・・。

以前、辻井喬氏の講演で、ご自分のことを「差別意識に敏感な子どもであった。それは自分の出自に関係している」とお話されていました。

「父の肖像」で、おたまが面白いと思ったのは主人公の母親に関するところです。ここはフィクションの部分なので、辻井氏の出自とは関係がないのですが・・・。

漂白のサンカと呼ばれる「木地師」の存在をおたまが知ったのは、今年の夏のことでした。
京都と滋賀と福井の境にある、深い深い森に案内してもらった時のことです。その深い森に「木地師」の住居跡がありました。
「木地師」は「どこに住むこと」も「どの木を切ることも」許された特別な集団であり、その発祥は「惟喬親王」といわれ、その仕事は表のみならず、実は特別な任務を受け持っていたのではないか・・・と説明をうけました。

でも、こんな深い森の中に・・

  「つぎつぎと蛭降る暗き祠道」  おたま

また、この春から夏にかけ乙川優三郎の新聞小説「麗しき花実」を
楽しみに読んでいました。詩情豊かな心の奥深くに沁みこむ文章に魅了されました。そして、主人公の理野の昔のおとこが、なんとこの「木地師」なのでした。木地師であることの誇りと、特別な世界に生きる漂泊者の故かおとこは理野の前から去ります。

そこで、話は最初にもどりますが。
辻井喬がモデルとなった主人公「広田恭次」の母は隠れ里の出身であり、恭次を出産し手放した後は、隠れ里の奥深くにその情念も姿も隠してしまうというミステリアスな存在として登場します。

「木地師」という言葉はひとことも出てきませんが、滋賀・東近江・宿世を背負う者・惟喬親王の流れを汲む人々・・・という共通項がぴたりと合致するのです。

まあ、隠れ里の定義として、地理上の区分におけるそれのみならず、隠棲を心に決めた人の住む場所ともいえるのでは・・・と小説にはありましたが。

妄想・空想好きのおたまにとってはそういったところも大変興味深く読んだ本でした。


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